『知的障害者施設潜入記』

『知的障害者施設潜入記』織田淳太郎 光文社新書

読後の感想
本書『知的障害者施設潜入記』は、著者・織田淳太郎氏が知的障害者施設に潜入し、支援の現場で実際に働きながら、その内実を記録したルポルタージュである。
タイトルの「潜入記」という言葉から、スキャンダラスな告発本を想像する人もいるかもしれない。
しかし、実際にページをめくると、そこに描かれているのは、著者自身が施設の利用者と向き合う中で生じた葛藤や発見、そして読者に突きつけられる「私たちの側の問題」だった。

本書で、著者は「私たちの無意識の差別感(あるいは障害者に対する漠然とした恐れ)が、過去の悲劇の根底にあったのではないか」と語る。これは極めて重要な指摘だ。
多くの人は、自分が差別をしているとは思っていない。
しかし、「障害者には特別な支援が必要だ」「かわいそうだから助けなければならない」といった発想そのものが、すでに“健常者を基準とした価値観”に基づいていることを、本書は鋭く突きつける。
たとえば、施設の支援計画書にあった「物を投げる」といった行動を、障害の「特性」として書き記すことに、著者は疑問を抱く。
この行動が「問題行動」とみなされるのは、それを受け止める側の価値観によるものではないか。
つまり、障害のある人の行動を、私たちがどうラベリングするかによって、彼らの「特性」は決定されてしまうのだ。
障害のある人たちは、私たち「多数派」の社会のあり方によって、ある意味で“障害者”にされている——この視点は、読む者の意識を大きく揺さぶる。

本書の中で語られるナチス・ドイツの「T4作戦」は、障害者差別の歴史の最も恐ろしい側面の一つだ。
知的障害者や精神障害者が「生きるに値しない命」とされ、組織的な殺害の対象になったこの過去は、決して遠い昔の話ではない。
現代においても、「障害のある人が生まれるのは不幸だ」「生きるのが大変だから、事前に防ぐべきだ」という優生思想に基づく考えは、根強く残っている。
日本でも、戦後しばらくまで優生保護法の下で障害者の強制不妊手術が行われていたし、2016年の相模原障害者施設殺傷事件では、「障害者は社会に不要である」とする極端な優生思想が、悲劇的な形で噴出した。
著者の指摘のとおり、こうした事件は単なる「異常な個人」の問題ではなく、社会の無意識の中に根付いた価値観と無関係ではないのではないか。

本書の終盤で語られる「転移」「逆転移」の概念は、障害者支援に関わる人だけでなく、すべての対人支援に携わる人にとって考えさせられるテーマだ。
支援者は、障害者に対して個人的な感情を投影しやすい。そして、それが過剰な同情や保護的態度につながると、障害者本人の主体性を奪うことになりかねない。
著者自身も、利用者と接する中で、自分の中にある「博愛主義」に気づかされる。
そして、それが本当に相手のためになっているのか、自分の満足のためのものではないかと自問する。
この葛藤は、障害者支援に限らず、家族関係や教育、福祉の現場でも見られる普遍的な問題だろう。

本書を読み終えたとき、私は「知的障害者の世界を知った」というよりも、「自分たちの世界のあり方を問われた」と感じた。
私たちは、障害者を「支援される側」として捉えることで、無意識のうちに上下関係を作っていないか。
彼らの行動を「問題」とみなすこと自体が、私たちの側の価値観にすぎないのではないか。
本書は、知的障害者施設の現場をリアルに描きながら、読者に「あなた自身はどう考えるのか?」と問いかけてくる。
障害者に対する無意識の偏見や、善意の中に潜む自己満足、そして社会の構造が生み出す「障害」という概念について、深く考えさせられる一冊だった。
読後、私は改めて、私たちが共に生きる社会のあり方を、もう一度見つめ直す必要があると強く感じた。

印象的なくだり
誤解を恐れずに言えば、そのほとんどが私たちの無意識の差別感(あるいは障害者に対すされた事件だったのではないかと、私は思い始めている。
そういう意味で、本書は知的障害者施設(施策)の内実の一端を世に伝えると同時に、私たち一人一人の心の奥に潜む差別的・優生的な観念を明るみに出し、その内省を促すルポルタージュという側面も有しているかもしれない。
私もそれを促された一人だった。日々を共にした多くの知的障害者たちに、内省への意識転換を急き立てられ、自分のなかに居座る偽善的な「博愛主義」と対峙せざるを得ない心理状態へと追いやられてきた。そして、ときにユーモラスな、ときに哀切漂う彼らとの交流が、どれほど私の目を開かせてくれたか。
彼らには感謝以外の言葉が見つからない(P.005)。

ナチスのT4作戦
ヒトラー政権が発足した1933年、ナチス・ドイツは国内初の断種法となる「遺伝病子孫予防法」を、早々と制定した。これは、遺伝性と見なされた障害や病気のある人に対する強制的な不妊手術を認めた法律で、ナチス政権下において30万~40万人が不妊手術を受けたとされている。
ヒトラーによる独裁体制が盤石になるにつれ、この断種政策はさらにエスカレートした。1920年にドイツで出版された、刑法学者カール・ビンディングと精神医学者アルフレート・ホッへの共著による『生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁』。2人の著名な学者によるこの狂的な「能力差別論」も、ヒトラー政権の犯罪的蛮行に決定的な正当性を与えた。
1939年9月1日の開戦日(ポーランド侵攻)、ヒトラーの命により知的障害児や精神障害児などをターゲットにした「安楽死計画」が発布された。その後、成人障害者の殺害を対象とした「T4作戦」も実行に移され、この2つの殺害計画の犠牲者は、20万人以上に上ったという(P.040)。

T作業所が作成したキコちゃんの個別支援計画書の一文が、ふと頭をよぎった。
〈気分の波が激しく、物を投げつけたりの物品破壊に及ぶこともあるため、傾聴によって気分を落ち着かせる・・・・・・〉
あたかも物品の破壊が、障害の特性のように書かれていた。しかし、障害それ自体は先天性、後天性を問わず、ある意味で自然なものである。障害の特性も自然発生的なものだが、その特性に良くも悪くも色を付けるのは、私たち「外部」の人間なのではないか。
何度も読み返した障害者権利条約の前文の一節も、脳裏をかすめた。
(障害が、機能障害を有する者とこれらの者に対する態度及び環境による障壁との間の相互作用であって・・・・・・)
まるで謎が解けたような想いだった。
このとき私は、キコちゃんだけでなく知的障害者すべての障害特性が、「マジョリティ」と呼ばれる私たち多数派によって作り出されていることを、緩やかに悟った(P.236)。

心理学に「転移」「逆転移」という用語がある。心理療法において、クライエントは重要な他者(肉親や教師など)に対して抑圧してきた感情を、治療者に向けて投影することが多い。これが「転移」と呼ばれるもので、愛情や信頼、尊敬などの好感情を向けることを「陽性転移」、敵愾心や恨み、憎悪といった悪感情を向けることを「陰性転移」という。
一方、「逆転移」とは、治療者が他者に抱いてきた個人的な感情を、クライエントに投影することを意味する。クライエントの転移感情に対して、治療者が逆転移感情を向けることが一般的で、そうなると、もはや心理療法としての機能を喪失するだけでなく、ともすればクライエント本人に悪影響を与えてしまうこともある。そのため、治療者には中立的な感情がつねに求められるが、この逆転移は障害者施設の支援者と利用者との関係においても、たびたび見られる投影現象だという(P.385)。

駅に着くと、母親がバッグから一枚のDVDを取り出した。
「これ、よかったら観てください。必要なら差し上げます」
虐めに苦しむ人や不登校児、さらに障害のある人とその家族の苦闘を追ったドキュメンタリー映像だった。
これまでの自分の歩みが、走馬灯のように脳裏を駆け抜けた。T作業所で働いた2年強の歳月において、私は障害当事者のことばかりに心を向け、その肉親の労苦や葛藤をほとんど顧みることなく過ごしてきたのではないか。
差し出されたDVDには、そんな私に対する忠告の意味が込められているような気がした(P.438)。

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『AI監獄ウイグル』

『AI監獄ウイグル』ジェフリー・ケイン著 濱野大道訳

読後の感想
もしも仮に本書に書かれていることが事実だとするとこれほど恐怖を覚えることはありません。
静かにアウシュビッツと同じことが目立たないように現在進行形で行われていることとほぼ同義だからです。

『AI監獄ウイグル』は、ジャーナリストのジェフリー・ケイン氏が執筆したノンフィクション作品であり、中国新疆ウイグル自治区におけるウイグル民族への弾圧と、それを支える高度な監視技術の実態を詳細に描いています。
本書は、AI(人工知能)やビッグデータを駆使した監視システムが、いかにして一民族の文化やアイデンティティを抹消しようとしているのかを明らかにしています。

ウイグル人の男性が「中国はぼくを拷問し、睡眠を奪いました。すべてを放棄するよう求めてきました」と語るように、物理的な虐待だけでなく、精神的な抹殺を目的とした洗脳が行われています。
これは、単なる肉体的な迫害にとどまらず、個人の思想や文化的アイデンティティを根絶やしにする試みであり、現代における新たな形のジェノサイドといえます。

中国政府は、国外のウェブサイトへのアクセスを遮断する「グレート・ファイアウォール」や、インターネット上のデータを検閲・ブロックする「金盾」といったシステムを構築し、情報統制を強化しています。
これらの技術は、国内の新興テクノロジー企業と連携し、AIを活用した監視体制の構築に利用されています。特に、米国の技術や専門家を取り込むことで、AI分野での急速な発展を遂げています。

さらに、政府職員をウイグル人家庭に送り込み、寝食を共にしながら監視する「家族になる運動」など、社会全体を監視網で覆い尽くす政策が実施されています。
これにより、個人のプライバシーや自由は著しく侵害され、抵抗する者は強制収容所に送られるという恐怖政治が敷かれています。

本書は、これらの監視体制がウイグル民族の文化や歴史、アイデンティティをいかに破壊しているかを、詳細な取材と証言を通じて描き出しています。
AI技術の進化がもたらす人権侵害の危険性を警告するとともに、国際社会に対してこの問題への関心と行動を促しています。

『AI監獄ウイグル』は、現代のテクノロジーが権威主義的な政権によってどのように悪用され得るのかを示す重要な作品であり、人権と自由の価値を再認識させられる一冊です。

印象的くだり
「中国はぼくを拷問し、睡眠を奪いました。すべてを放棄するよう求めてきました」と彼は私に語った。「集団全体を殺すことを目的とした、古いスタイルの集団虐殺ではありません。もっと洗練されたものでした。彼らはぼくの考え、アイデンティティー、すべてを消すことを望んだ。ぼくが誰であるかも、ぼくが書いたものもすべて消そうとしました。歴史と文化のなかに、ぼくたちの記憶はある。記憶、存在、精神を消してしまえば、民族そのものを消すことができるんです」(P.062)。

「結果、2003年にマイクロソフトは中国とほかの59の国にたいして、ウィンドウズのオペレーティング・システムの基本ソースコードを開示し、特定の一部分をその国独自のソフトウェアと置き換える権利を与えた。それは、マイクロソフトが過去には絶対に許可しようとしなかったことだった」とフォーチュン誌は伝えた。
マンディの意見を聞いたゲイツは、マイクロソフトが過ちを犯していることに気づいた。裕福な国でも、中国のように貧しい国でも、マイクロソフトはウィンドウズの価格を世界で均一に設定してきた。しかしそれは現実的ではなく、結果として海賊版が出まわることにつながっていた」(P.088)。

国外のあらゆるウェブサイトへのアクセスを遮断する中国のインターネット検閲システムは、万里の長城になぞらえて「グレート・ファイアウォール」と揶揄されるようになった。このシステムを作り上げたのは、コンピューター科学者のが浜輿だった。インターネット検閲の父と呼ばれた方は全国的な嫌われ者となり、2011年には怒った男性から靴と卵を投げつけられるという事件も起きている。しかし政府の方針が変わることはなく、中国は「金盾」と呼ばれる第2のシステムの開発も進めた。このシステムによって政府は、インターネット上で送受信されるすべてのデータを検査し、国内のDNS(ドメイン・ネーム・システム)をブロックすることができるようになった。
急成長する中国の新興テクノロジー企業の存在に気づきはじめた米国政府は、中国の技術の近代化がアメリカの軍事的利害や国家安全保障にもたらす脅威について危惧するようになった(P.092)。

国家の支援を受ける中国企業には、外国企業と提携関係を結ぶときに“強制的な知山的財産の移転”を行なう習慣があった。通例として外国企業は、中国の閉鎖的な市場に参入するためには現地企業と提携しなければいけなかった。その際の非公式の条件のひとつが、半導体、医療機器、石油、ガスなどに関連する機密技術を中国企業に移転するというものだった。
この習慣は、世界貿易機関(WTO)のルールに反するものだった。しかし、中国の1億人の潜在的な顧客にアクセスすることを望むアメリカ企業は、技術上の秘密をしぶしぶ中国側に教えた。
前述のとおり中国は、微信などのアプリやサービスの利用情報を集め、全国民のデータを蓄積しはじめていた。すると国内の新興テクノロジー企業の多くは、大きな利益を見込める急成長中の分野である人工知能においてトップリーダーになることを目指すようになった。中国で一気に数が増えつづけていたAI研究者たちは、世界のAI先駆者たるアメリカの飛躍的進歩に眼を向けた。中国企業はAIの秘密を解き明かすため、海外に留学してマイクロソフトやアマゾンに就職した優秀な中国人AI開発者を探しだそうと躍起になった。そして彼らに大きな報酬を与え、さらに愛国心に訴えかけて母国におびき寄せようとした(P.112)。

半年ほどたつと、あまりの退屈さに耐えられなくなった。スパイとして雇われるまえ、独立運動のための戦闘員を目指していたころに思い描いていた戦場での栄光などこれっぽっちもなかった。ユスフはアメリカのメッセージング・アプリWhatsAppを使ってハンドラーにメッセージを送り、もう辞めたいと伝えた。
「いつもWhatsAppを使っていました。安全だと思っていましたから」と彼は言った。「微信は使いませんでした。中国の諜報機関でさえ、微信は監視されているんじゃないかと疑っていました。政府はいつでも、データを引き渡すよう微信に命令することができましたからね」(P.177)。

家庭に政府職員を送り込む
2017年12月に共産党は、100万人の党幹部をウイグル人の家庭に配置する「家族になる運動」(結対認親)をはじめた。政府のプロパガンダでは、この人員配置は「家族の再会」と呼ばれた。しかし実際のところその取り組みは、ウイグル人の住居に政府職員を送り込み、寝食をともにしながら住民を監視するためのものだった。
実験的に行なわれた「家族になる運動」は、やがて本格的なホームステイ・プログラムへと拡大した。政府職員は、2ヵ月おきに5日間にわたってホスト・ファミリーとなる一般家庭の家で生活した。受け容れ先の家庭が参加を拒んだ場合、その家族はテロリストとみなされ、強制収容所送りになった。
世界じゅうから人権侵害の報告が出てくると、中国はその評判をなんとかごまかし、新疆の状況から注目を逸らそうとした(P.310)。

ある日の昼食後、携帯電話が振動し、メイセムは画面をたしかめた。アルフィヤと名乗る見知らぬ女性から、微信のメッセージが送られてきた―家族が「ケア」を受けているから「帰国」したほうがいい。
「あなたの家のまわりは最近とてもきれいになりました」とアルフィヤは綴り、実家のある街角の写真を送ってきた。「近所の人たちはあなたのことが大好きなようです。友達も家族も、みんなあなたに戻ってきてほしいと言っていますよ」メイセムは暗灘たる気持ちになった。『アルフィヤ』が政府の諜報部員であることはまちがいなかった。完璧な警察国家はおそらく微信の近況更新の内容をとおして、メイセムへとたどり着いた。当局は秘密の『近況の更新をいつから監視していたのだろう、と彼女は考えた。
「その瞬間」とメイセムは言った。「家族が収容所送りになったと確信しました」(P.370)。

2018年から2019年にかけて行なわれた数多くの研究のなかで、アメリカ国立標準技術研究所などの研究機関は、AIシステムが有色人種や女性に不利に働く傾向があることを一貫して明らかにしてきた。2019年に公表された政府の調査結果によると、アジア系およびアフリカ系のアメリカ人男性のほうが、白人男性に比べてAIに誤認される確率が100倍ほど高いことがわかった。さらに、女性は男性よりも誤認されやすい傾向があった。一方で、中年の白人男性にたいする誤認率はほぼゼロだった(P.429)。

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