タイミーの「事業計画及び成長可能性に関する事項」を読んでみました

タイミーの上場に伴い、「事業計画及び成長可能性に関する事項」という資料を閲覧しました。普段知らなかった情報が多く掲載されており、大変有意義でした。
この資料には、タイミーのビジネスモデルやその成長可能性に関する具体的な内容が含まれています。

https://www.nikkei.com/nkd/disclosure/tdnr/20240723553129/

タイミーとは、いわゆるマッチングサイトの求人版と言えるもので、クライアントが「働いてほしい時間」だけ単純労働をする人を雇用し、ワーカーは「働きたいときだけ働く」というニーズを繋げたサービスです。
この説明を聞くと、非常に合理的で素晴らしいサービスのように聞こえますが、実際には労働者側にスキルがほとんど付かないため、長期的には雇用側に非常に都合の良いシステムになっていると考えられます。

このサービスが提供する労働の多くは、教育が必要ない誰でもできる作業ばかりであるため、働き手が付加価値を付けることが難しい仕組みになっています。
これを象徴するのが、資料の11ページに記載されているクライアント属性の分析です。
そこには、梱包やピッキング、検品といった単純作業が44パーセント、飲食関連の作業(バッシング、オーダー、洗い場、配膳など)が26パーセント、さらにレジ打ちや品出し、陳列が21パーセントと、多くの仕事が誰でも容易に代替可能な作業であることが示されています。(個人的には、レジ業務を一時的なワーカーに任せることには不安を感じますが。)

12ページには「労働者不足を解決する」とありますが、現実には、機械に代替可能な作業において自動化が進むまでの一時的な雇用の調整弁に過ぎないのではないかと思います。
このような状況をタイミーも理解しているようで、資料の20ページあたりでは1枚のページを使って「正社員」と「タイミーワーカー」の仕事の違いを説明しています。
このページでは、雇用形態による格差が浮き彫りになっており、正社員と単純作業を担当するタイミーワーカーの間に大きな違いがあることが示されています。

さらに、私が特に驚いたのが資料の10ページに掲載されているワーカーの属性です。
40代以上のワーカーが全体の47パーセントを占めているという事実は、非常に衝撃的でした。
私はてっきり、スキルがない10代や20代の若年層が主流だと思っていましたが、実際には40代以上のワーカーが半数近くを占めていることが明らかになりました。
この40代以上の層は、たとえ子育てなどで10年のブランクがあったとしても、社会に10年以上出ている経験を持っているはずです。こうした層が単純作業に従事している現実に、私は恐怖を感じました。
いわゆる「氷河期世代」も含め、この現象は日本社会における重大な問題を示しており、かなりのディストピアが来ているのではないかと危惧しています。

タイミーのビジネスモデルは、確かに現代社会のニーズに合致したものであり、多くの企業や働き手にとって便利なシステムです。
しかし、その背後には労働者側に不利な条件が存在し、社会の格差を助長する可能性があることを認識しなければなりません。
短期的な解決策としては有効かもしれませんが、長期的な視点で見た場合、このような雇用形態が社会に及ぼす影響について深く考える必要があるでしょう。タイミーを利用する企業側とワーカーの双方が、持続可能な社会のためにどのようにこのサービスを活用していくべきか、今後の課題として注目されるべきです。

どっとはらい

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『ある男』

『ある男』平野啓一郎

読後の感想
この『ある男』の「男」って誰のことを指しているのであろうか。
最初はもちろん亡くなった谷口大祐(と名乗る人物)のことだっと思っていました。しかし実際に読み進めていくと、果たしてそうなのかという結論に至りました。
結論から書くと、私が考える「男」は、最初は狂言回しかと思っていた城戸のことではないかと思っています。
小説の中での城戸の設定は、在日三世で、妻との間には子供はいるがまぁまぁ冷え切っていて、美涼に妙にちょっかいをかけたりという感じだが、あちこちで心情を吐露する場面が多かったです。バーで他人を語ったり、美涼との関係を望んだりと、まるで城戸自身が谷口の人生をトレースするような動きをしていることに、妙な親近感と違和感を感じました。
ここで登場する人物たちは、いろいろな理由により他人の名前を語ったりしていますが、選択肢次第では城戸も同じようだったのではないかという危うさを感じました。
最後まで本を読み進めていると、実は城戸に関する描写のほうが多いのではないかと感じるほどでしたので、私は『ある男』は実は城戸に関する物語だったんじゃないかなぁという結論に至りました。

どっとはらい。

印象的なくだり
年齢が年齢だけに、親類や知人の訃報に接する機会も少なくはないが、生き足りないまま死んだ若い人間の通夜は、大往生の老人の通夜とはまったく違って、身に堪えた。残された妻も、小学生の二人の娘も泣き通しで、城戸は大した慰めの言葉もかけてやれなかった。確かに多少、肥満気味ではあったものの、本人が腹をさすりながら、笑ってダイエットの決意を語る程度のことで、誰も深刻には考えていなかった。斎場をあとにすると、彼が死んだという事実の現実感も、知らせを受けた直後の曖昧さにふらふらと踵を返してしまいそうになった(P.129)。

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『平場の月』

朝倉かすみ『平場の月』

読後の鑑賞
物語の冒頭からネタバレで始まる。50代の男女、須藤葉子と青砥健将の悲恋模様だ。さらに、須藤は物語の最後で亡くなることも明かされている。これは、裏表紙のあらすじに「須藤が死んだ」と書かれているので、ネタバレではない。つまり、読者はこの恋愛が最後はバッドエンドになると分かっていて読むのだ。辛いけれども引き込まれる。

50代の男女が中学の同級生で、お互いバツイチ。このような関係は「平場」という言葉がぴったりだ。しかし、40代の私には多くの共感できる描写があり、心を揺さぶられた。須藤は子供もおらず、友人も少なく、荷物も少ない。そんな人が亡くなると、その人のことを覚えている人がいなくなるのは本当に悲しい。

本書の目次は全て須藤のセリフで構成されている。読み終えた後に目次を見ると、そこには須藤が生きてきた証が残っているのだ。この本は、20代の頃の私が読んでも響かなかっただろう。なぜなら、その頃は身近な人が亡くなる経験が少なかったからだ。しかし、年齢を重ねるとやや多くの別れを経験し、現在の関係が永遠ではないことを痛感するようになる。
須藤の「ちょうどよくしあわせなんだ」は何度も反芻した。

情熱的でも駆け引きでもなく、少しだけ傷ついた男女が寄り添って生きていこうとする様が、あっけない終わりを迎える。
別に特別なことがあるわけではない、二人で話すシーン、食事をするシーン、時々携帯電話のメールを送るシーンなど、どれを切り取ってもドラマになるようなものではなく淡々とした日常だ。
だからこそ、日常を生きる姿を美しく感じた。

印象的なくだり
須藤は終始ウーロン茶のグラスを指で叩いていた。苛立つというより、もどかしげだった。須藤は、須藤のちいさな世界の話が、他人からすれば退屈なものだと知っているようだった。それでも須藤にとっては生活に密着した重要な世界で、ひととおりの愛着もある。だから、ちょっとはひとに話してみたく、どうせなら正確に伝えたく、結果、思った以上にくわしく説明してしまう自分自身をもてあましているようだった(P.046)。

不定形の「案件」がかたちを持ち始めたように思った。おれは須藤と一生いくのか。そんな言葉が胸の底に潜っていった。問いかけだったが、疑問符は付いていなかった。ルートは見えていた。すごろくみたいなチェックポイントを越えていったら、出現したルートだった。アイドリングから走行へと自動的に切り替わり、夢中で走っているうち、友人ルートも、別離ルートも消えていた。ひらけたのは、離れがたいというルートで、ふたつの藁の束を絡み合わせて丈夫な縄にしたような、そんな手応えが青砥にあった。たぶん愛情というやつだ(P.206)。

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