『その復讐、お預かりします』原田ひ香
読後の感想
原田ひ香さんの『その復讐、お預かりします』は、「もしも復讐屋が本当に存在したら?」という設定をリアルな生活感で包み込んだ異色の物語です。
淡々とした会話の中にピリリとした本音や社会風刺が混ざり、読み終えた後にじわじわと「効いてくる」一冊でした。
・盗作というテーマを通して描かれる「創作の本質」
盗作という行為の裏側にある「才能のなさ」という、容赦のない核心。
創作する人なら誰でも一度は突き当たる「自分の限界」と「他者との比較」。
そこに正面から切り込んでいるシーンは、物語のテンションが一段深まる場面でもありました。
特に、「書く喜びを放棄してまで得る名声は本物じゃない」というくだりには、創作の尊さが凝縮されています。
・「生活感」が物語にリアリティを吹き込む
「ゲスいパン」や「都銀に預けるだけの貯金」というパワーワード。
原田作品のすごさは、どこまでも“地に足のついた”描写にあります。
非現実な「復讐代行」も、安パンや保険証と年金の話を挟むことで、途端に私たちの隣にあるものに感じられる。
誰にでもわかる匂いや味、あるいはお金のやりくりといった感覚が、読者を物語世界にしっかりと引き込んでくれるんですね。
印象的なくだり
「秘書がいる一番いい点は、上品に居留守が使える、ということです」
「……なるほど」
「事前に話を聞いて、依頼を取捨選択することもできます」
成海は仏頂面のまま、デスクの前に座った。
「ね。なかなか便利なものでしょ」
「……それで、依頼はどういう話なんだ」(P.031)。
「あなたは、人がどうして盗作するかわかる?」
栗原はめぐみと美菜代の顔を交互に見た。めぐみは首をかしげた。
「実はそれがよくわからないところでもあるんです。もちろん、有名になりたいとか、苦労せずにシナリオライターになりたいとかは少しわかるんですけど、自分の作品でないもので褒められて、何が嬉しいんでしょうか。それに一番楽しい、書く喜びを放棄して」
「私も同じよ。この仕事の何よりすばらしいのは、作品を産み出す瞬間よ。華やかな舞台にそれがあるわけではない。小さな自分の部屋の中で起きるの。そこで生まれた作品がさまざまなキャストやスタッフによって、映像作品として立ち上がる。何ものにも替えがたい喜びだわ」
めぐみは深くうなずいた。自分も早くその喜びを味わいたいと言うかのように。
「で、もう一度聞く。どうして、盗作すると思う?その喜びを捨ててまで」
「どうしてでしょう?」
「その人に才能がないからよ」
「あ」とめぐみは叫んだ(P.242)。
解説
もうひとつ、私が原田さんを「名手」だと思う理由は、イマジネーションとリアリテイのバランス感覚にある。
復讐屋という単語を目にしたとき、現実感を伴ったイメージをすぐさま思い浮かべられる人は、おそらく多くない。
だが、原田さんは、そういった少し不思議な商いにも太い背骨をとおし、地に足をつけさせる。
その手腕を、私は本筋とはやや離れた文章に見る。
例えば、美菜代がしょっちゅう食べているパン。
安価でカロリーが高く、味は濃いが栄養価は低そうな市販のパンは、誰にとっても身近な食べものだ。
このようなパンは、今作では「ゲスい」もの呼ばわりされ、特に匂いの描写が幾度もこまやかに書き込まれている。
ここに、圧倒的な生活感がある。
お金にまつわる表現も印象的だ。
美菜代には貯金がないとすぐさま見抜いた成海は、「ブランド品を買ったり、ホストクラブに行くタイプでもないが、株や副業で儲ける力量もない。貯金は都銀か良くてMMFに預けているだけ」と彼女のことを語る。
実に鮮やかな分析だ。そんな美菜代も終盤で、男性にとっての妻は、「一生を捧げる相手、その存在を守るとたくさんの人の前で誓った相手、健康保険も年金も一緒で、墓も親戚も親も子も共有すると決め、法的に認められた相手」だと定義する。
私は今まで配偶者のことを、健康保険と年金の観点から考えたことはなかった。
このような生々しい文章が、読者の暮らす現実と、成海事務所のある世界を地続きに均していく(P.316)。
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