「はちどり」

「はちどり」
監督 キム・ボラ
出演者
パク・ジフ
キム・セビョク
イ・スンヨン
チョン・インギ
パク・スヨン

あらすじ
舞台は1994年の韓国ソウル。主人公は女子中学生のウニ。家族構成は父、母、兄、姉の5人。両親は自営業で忙しく、兄は受験ストレスで暴力を振るう、姉は彼氏と遊び歩いている。自分は学校で居場所がないが、彼氏と遊んだり、後輩の女の子と遊んだりして時間を潰している。
そんななかに通っている塾に、大学生の先生キム・ヨンジ(キム・セビョク)がやってくる。

鑑賞後の感想
14才の女の子の不安定な感じが、気持ち悪く伝わってきて素晴らしい映画でした。
ウニには居場所もなくあちこちで俯いて歩き、ただ時間を埋めるために何かをしている感じが、思春期の中学生特有に感じました。
全体的に家父長制、男尊女卑、学歴社会の韓国社会のストレスに加えて、時代背景として韓国の民主化が進んだ時代というのが、本当に社会全体が強引に変わっていく様子が、混乱の中に描かれていました。
いつの時代も優しい人が最初に傷ついてしまうし、子供が1番の被害者なのが辛いです。

しかし、子供同士でディスコに行ったりなどの自由さは「サニー永遠の仲間たち」にも共通している民主化のはっちゃけ感を受けました(なお、キム・ヨンジ役のキム・セビョクのデビュー作も「サニー永遠の仲間たち」らしく、級長役だったそうです)

主人公のウニが一人で俯いているカットが多く、そこはかとない不安感を感じながら映画を見ました。雄弁よりも沈黙の方が怖すぎです。

この作品の背景を知るには、1994年のソンス大橋事故を理解する必要があります。この事故が韓国国民に与えた影響は大きく、とても重要なものがあっというまに壊れてしまう、という象徴でしょう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%B0%B4%E5%A4%A7%E6%A9%8B

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『リバー、流れないでよ』

映画「リバー、流れないでよ」を見てきた。
ユナイテッドシネマ金沢。
普段は夜しかこないのでガラガラのイメージしかないのですが、今回は1日一回上映ということで明るい時間に来館。
いつもなら余裕で駐車場に停められる場所も車でいっぱいでした。
(もしかしたら私が遅い時間に行っているだけで、普段は混んでるのかも)

というわけで、「リバー、流れないでよ」

舞台は、京都・貴船の老舗料理旅館「ふじや」。
静かな冬の貴船。ふじやで働く仲居のミコトは、別館裏の貴船川のほとりに佇んでいたところを女将に呼ばれ仕事へと戻る。
だが2分後、なぜか再び先ほどと同じく貴船川を前にしている。
「・・・・?」

ミコトだけではない、番頭や仲居、料理人、宿泊客たちはみな異変を感じ始めた。
ずっと熱くならない熱燗。なくならない〆の雑炊。永遠に出られない風呂場。自分たちが「ループ」しているのだ。しかもちょうど2分間!

2分経つと時間が巻き戻り、全員元にいた場所に戻ってしまう。
そして、それぞれの“記憶”だけは引き継がれ、連続している。
そのループから抜け出したい人、とどまりたい人、それぞれの感情は乱れ始め、
それに合わせるように雪が降ったりやんだり、貴船の世界線が少しずつバグを起こす。
力を合わせ原因究明に臨む皆を見つつ、ミコトは一人複雑な思いを抱えていた―――。

https://www.europe-kikaku.com/river/

劇団ヨーロッパ企画の最新映画。
監督は、監督はアニメ四畳半神話大系の脚本、演出をした上田誠さんなので、鑑賞前から「自分の好みであることは間違い無いだろう」と半分確信しながら鑑賞しました。
結果としては、その通りでした。

以下、ネタバレあり。

感想、丁寧なB級映画。
作り込みがしっかりしてて、細かい点回収が丁寧。
台詞回しは舞台チックで、「ループの原因は何か?」のターンでは、登場人物が変わるたびに情報が少しずつずれていて、思わず笑ってしまった。
「祈っただけ」「能力がある」「儀式をしている」で最後は「時を司っている」との情報の飛躍、みたいな。

タイムループするために天候や周囲の様子などが変わっていくさまが、何か意味があるのかなと思わせる、いや、あんまりなかったりして(分からん)
主人公はミコトの喋り方がツボな感じでした。
この手の独白にはいつもヤられてしまいます。
ちなみにループの開始は必ずミコトを中心に描かれている。

観客目線では、2分経つと画像がぼんやりして、必ず川床のミコトのところに戻るのだが、いつの間にかこのループが安心に感じていた。
さらにいうと、川床のミコトのシーンも毎回カットが少しずつアングルが変わっている。何かの比喩かなと思ってみたけど分からず。
(記憶が正しければ、2分の最後のカットのミコトの位置と、ループ後のミコトの位置も合わせていたように思う)

本庄まなみの無駄遣い。

ループするたびに、登場人物とそれをみている観客に対して、少しずつ情報が上乗せされてきて、話の筋がわかるようになってくるのが心地いいのと、登場人物たちも「次のターンで」とか言い出して、メタ的になっていくのがクスッとする。
毎回2分経つとそのループが終了するので、3階に移動するだけでタイムロスになってしまい、次のターンでは「時間がもったいないからここで話を進めましょう」とか言い出すのが、非日常の中にある日常感が、妙に心地よさを感じます。
もちろん、演者さんのずれ具合が見事な効果で、ありえない非現実的なことが「あるある」みたいな印象を与えるのでしょうね。

髪を切るシーンはの最後の撮影と思う。

貴船ふじやという川(リバー)と神社、そして館内を移動するというカメラワークの必然があって、最高の舞台だなと感じました。
そしてなんと主演のミコト役の藤谷理子さんのご実家らしい。
道理で、貴船のプロモーションビデオみたいな綺麗なカットだらけなわけだ(褒めてます
貴船ふじやには実際に宿泊できるようなので、聖地巡礼マニアの方は是非とも詣でてもらいたいものです、しらんけど。

http://www.kibune-fujiya.co.jp/

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『グリーンブック』(Green Book)

『グリーンブック』

題名は、黒人アメリカ人旅行者のガイドブック「黒人ドライバーのためのグリーン・ブック」ヴィクター・H・グリーン著。

あらすじ(wikipediaより引用)

ジャマイカ系アメリカ人のクラシック及びジャズピアニストであるドン”ドクター”シャーリーと、シャーリーの運転手兼ボディガードを務めたイタリア系アメリカ人のバウンサー、トニー・ヴァレロンガによって1962年に実際に行われたアメリカ最南部を回るコンサートツアーにインスパイアされた作品である。

鑑賞後の感想(ネタバレあり)
舞台は1960年代のアメリカ。

一番の心に残ったのは、トニーの心境の変化の描写が見事な点です。

最初、ドンとツアーに出る前は、トニーが黒人を差別する様子が描かれていました。
例えば、家に来た黒人の作業員に妻が水を出すと、そのグラスをこっそり捨てるなどです。
トニーはあからさまな差別主義者ではありませんが、その気持ちが表に出ない分、却って潜在的な(無意識的な)差別の気持ちが伺えます。

そのトニーが、ツアー中、ドンと接することで気持ちがどんどん変わっていきます。
元々手紙を毎日書くというマメで誠実さと体はデカいが気は優しくて家族思いな側面を持つトニーは、分かりやすくドンに影響されていきます。
一方、腕っぷしは強いが素直なトニーに対して、ドンも心を開いていきます。

実は、この映画の表面的な変化はこのトニーの心情に表れていますが、本当に伝えたいメッセージは、黒人であるドンも変わっていった点にあるのではないでしょうか。

この映画の中のドンは黒人でありながらも、黒人として育ってきていません。
いわゆる名誉白人的な印象を同じ黒人から持たれています。
農村地域で働く黒人たち同胞がドンに対する視線は、白人のそれよりも冷たくて厳しいです。
また、ドンは性的マイノリティでもありました。
人種的にも性的にもマイノリティであるドンの気持ちは、誰にも打ち解けないことで守られていたのでしょう。
カーネギーホールの上に住み、執事はいるが打ち解けていない様子、神経質で孤独な芸術家として自らの殻の中に入り身を守ることで、自尊心とアイデンティティを保っているように見えました。

そのドンの気持ちは、トニーに男娼を買ったところを見られたことで爆発します。
トニーだけには知られたくなかったと叫ぶドンは、分け隔てなく接してくれるトニーだけには差別されたくないという気持ちだったように思います。

そういったことで、トニーが変わっていくのは表面上のメインテーマで、実はトニーに釣られてドンも変化していっているところも肝だと感じました。

ドンは名誉白人なので、あからさまに差別される描写は少ないですが、食事を通じて、あちこちで白人の無意識の差別に合います。
その差別は主に「食事」を通じて描かれています。
今では全くそういった意図はありませんが、フライドチキンは元々被差別人種であった黒人のソウルフードでした。
比較的高級であった牛や豚を飼うことができない黒人であっても、扱える食材がチキンだったのです。
そして、可食部分が極端に少ない鶏肉を、余すことなく食べる方法がフライドチキンなのです。
だから、黒人=フライドチキンが好き、というのは事実でありながらも、差別的な要素を含んだ表現なのです。
例えば、黒人差別が激しい南部に行くと、白人たちがドンに提供する食事は見えない差別が感じ取れます。
黒人だからフライドチキンが好きだろうと、ドンの好みを聞くことなく押し付けるホストや、レストランに呼ばれて演奏するVIPなのに、そのVIPであるドンがそのレストランで食事を断られる不条理さなどが挙げられます。
「決まりなので」と無神経にドンを断る白人のボーイには、差別の意図はありません。
彼らにとっては黒人を断ることは当然で当たり前なのです。

このように全体的に重い内容で進みますが、時折クスリとさせられる場面はほっこりします。
それはケンタッキー州でフライドチキンを食べるところです。
トニーが運転しながらバーレルでフライドチキンをむさぼるシーンがあります。
「ドンがフライドチキンを食べたことがない」ということを知ったトニーはドンにフライドチキンを渡して食べるように勧めます。
おっかなびっくりフライドチキンを口にするドンはおいしそうに味わいます。
しかし、ある疑問にたどり着きます。
「食べた後の骨はどうすればいいのか?」。

トニーは、その問いに対して無言で車の中から外に骨を放り投げるのでした。
このシーンは全体的に重い主題の映画の中で、清涼感のあるほっこりしたシーンでした。
ちなみに、トニーは骨だけではなく、ドリンクのカップも捨ててしまいますが、これはドンに怒られて、車を止めさせられて拾いにいかされてしまいます。ここはこの映画で唯一笑えるシーンでした。

子供が大きくなったら見せたい映画でした。

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『15時17分、パリ行き』(The 15:17 to Paris)

『15時17分、パリ行き』(The 15:17 to Paris)

あらすじ
2015年8月21日に高速鉄道タリス内で発生したタリス銃乱射事件と事件に立ち向かった3人の若者を描く。監督は、クリント・イーストウッド。主演の3人は、実際にタリス銃乱射事件に巻き込まれた3人を本人役として起用している。キャッチコピーは『その時、3人の若者が乗ったのは運命の列車だった。』

観賞後の感想
クリント・イーストウッドが演出したので、みる前はわくわく。先入観なし。
94分の短いスピード感のある映画かな、と思って鑑賞し始めました。
しかしながら、実際のテロ事件のシーンは15分程度で、映画の大部分は、主人公たちテロリストを制圧した3人の幼なじみの生い立ちについて描かれていました。
登場人物に一人がなぜ軍隊に入ったのか、どうやって知り合ったのか、子供の頃の学校の評判などが、これ以上ないくらいに時間をかけて表現されています。
もちろん、登場人物のバックグランドを丁寧に描くことによって、その人物がなぜその行動を取ったのか、について納得感があり、演出としては非常に素晴らしいとは思います。
しかし一方で、背景を丁寧に描きすぎることに全体の大半を費やしており、実際の事件について尻切れトンボ感は否めない、と感じました。
回顧のシーンを観ている途中で「いったいいつ事件のシーンになるのだろう」と思っていましたし、実際に15分程度で終わったときは「え?これで終わり」とあっけないものを感じました。
映画館で観てたら「こんなの映画じゃない」とちょっと憤慨するかもしれないレベルかも。

ちなみに、本人役で本人が出演しており、映画というよりもドキュメンタリー、再現ドラマに近いです。

テレビドラマ『犯罪の回送』の感想

テレビドラマ『犯罪の回送』の感想

犯人についての一部ネタバレあります。

観賞後の感想
松本清張の重厚な犯罪小説も、テレビ局の2時間ドラマ制作者にかかれば、おじさんがイチャイチャするBLになってしまいました。
見所は東京の警部である田代俊一郎(村上弘明)と、北海道の警部である小森修司(陣内孝則)の二人の気持ちの変化です。
初顔合わせは敵対する感じで、ツンツンする小森と困惑する田代という関係。
同じ車に乗る時も、田代は後部座席、小森は助手席。
カウンターのお店でお酒を飲む時も、小森は田代にお酌するが、自分は返盃も受けずに一人で飲んでしまう、というように。

そんな二人は捜査の進行が進むにつれて、お互いの背景を話始めちょっとだけ打ち解けていきます。
上層部は単純な動機で幕引きをしようとしているけど、そんなに浅い事件じゃないことや、真犯人は別にいることなどをお互いの話をしてどんどん仲良くなる二人。
最終的には殺人事件の捜査中に二人でソフトクリームを食べたり、ギャグパート多めのおじさんドラマでした。

原作にはない演出でしたが、秘書の有島澄江(鈴木保奈美)が春田美知子(矢田亜希子)を憎悪の目で見る、という部分は、非常に素晴らしい翻案でした。

視聴者をミスリードして、結果的には物語のストーリーには大きく影響しないものの、犯人の非人道的な行為を強めるという重要なシーンです。

松本清張マニアの視点から見ると、今回は定番の時刻表トリックではなく、方言テクニック(亀田と亀高)案件なのですが、やはり2時間ドラマだと脚本にそこまで詰め込むのは難しいようでさらっと解決されていたのがちょっと残念でした。

 

公式サイトからのあらすじ

公務出張中の東京で失踪した北海道北浦市長・春田英雄(川野太郎)を探してほしい――警視庁捜査一課に北浦市議会から捜索願が出され、警部・田代俊一郎(村上弘明)が担当することになった。春田市長は、港湾拡張計画の認可を関係省庁に陳情するために、秘書の有島澄江(鈴木保奈美)や市議会議員らと上京していた。しかし春田市長は、5日前に秘書の有島が宿泊先のホテルに送っていったのを最後に、行方が分からなくなっていた。

一方、港湾拡張計画に反対する革新派の北浦市議・早川準二(尾美としのり)も密かに上京していたことが判明する。早川市議は、これまで政策を巡って春田市長とかなり対立していたことから、市議会議長の福島(寺田農)らは、政敵・早川が春田市長とトラブルの末に殺害したのではないかと、推測する。春田市長の妻・美知子(矢田亜希子)の代わりに北海道から駆け付けた市長の実弟・雄次(勝村政信)は、行方不明の春田市長が生きていると信じたいが……。田代は、部下の警部補・岡本和也(平岡祐太)や巡査部長・奈津美(田中道子)らと捜査を続けるが、依然として早川の行方を掴めない。さらに、秘書の有島も不可解な単独行動を続けており、田代は不審感を募らせる。

そんな中、東京・日野市の雑木林で、絞殺された春田市長の遺体が見つかった。春田市長は、失踪後、1両日以内に殺害されたとみられ、ネクタや財布などがなくなっていた。また、春田市長の地元・北海道では、道警の警部・小森修司(陣内孝則)らも捜査を進めていて……。

北海道と東京、二つの土地にまたがる殺人事件。不可解な単独行動を取る澄江の目的とは…?対立する二人の政治家と二つの地酒、…様々な思惑と愛憎が入り混じる中、驚きのトリックとどんでん返しで、市長殺しの犯人が明らかになる!愛憎絡み合う珠玉の社会派ミステリー。

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