『低コスト生活』

『低コスト生活』かぜのたみ著

読後の感想
装丁に惹かれて購入しました。
元々ミニマリスト界隈のyoutuberさんの動画にゲストとして参加されていたのが知ったきっかけでした。

私がいいなと思った点は、5ページの「スタバが好き」の例を分解するところくらいでした。
こんな感じで、低コスト生活をするための「視点の変更」のアドバイスが多くあるかなと思って読み始めました。
しかし、内容として、全体的にふわっとして抽象的すぎる記述が多くて具体的な内容を求めていた私には本書は合いませんでした。

印象的なくだり
例えば、生活費を低く抑えるために「いつも楽しみにしていたスタバでの読書を我慢する」よう自分をコントロールするよりも、「自分はスタバの何が好きなのか」「お金を使わずにできる方法はないのか」と、ちょっと考えてみるのです。
スタバが好き
・店内のBGMを聴きながら読書をするのが好き
→家で音楽を流しながらでいけるかも
・外出先でコーヒーを飲むのが好き
→インスタントコーヒーをマグボトルに入れて、家にあったおやつを持って、近くの公園でゆっくり過ごすだけでいいかも
こんな感じで「自分は⚪︎⚪︎が好き」と思っていることも、細かく分解していくと意外なハッピーの元が見つかるのです(P.005)。

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『赤い指』

読後の感想
東野圭吾の加賀恭一郎シリーズの第7弾。
本作は加賀恭一郎シリーズにしては珍しく「犯人」も「動機」も最初から知らされているままで読み進めていましたが、家族関係の土台だけ気が付かないように読み進まされていました。
家族の根底が分かっていないまま読み進めると、最後にアッと言わされた。
あぁ、やっぱり最後はそうなってしまったか、分かっていたけども。

一読目が最も衝撃でした。

印象的なくだり
「刑事というのは、真相を解明すればいいというものではない。いつ解明するか、どのように解明するか、ということも大切なんだ」(P.246)。

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『希望の糸』

東野圭吾著『希望の糸』

読後の感想
この本をネタバレせずに感想を書くのは本当に難しい。
あらすじは加賀恭一郎シリーズのもう1人の主人公、松宮修平の出自に関わるストーリーと殺人事件の捜査が並行して進んで行きます。
被害者は善人というだけでそれ以外の情報がない中で、最初の地震の伏線が生きてきます。
衝撃なのは被害者のスマホに残された連絡先からのつながり。多くの人はそこを読み飛ばしてしまうなぁと。もちろん自分も読み飛ばして後から戻って、なるほどと思いました。

それにしても結局一日で読み終えてしまった。合計4時間くらい読んでました。一気に引き込まれました。それにしても本を読む体力が残っていたよかった。

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『軍事郵便は語る 戦場で綴られた日露戦争とその時代』

『軍事郵便は語る 戦場で綴られた日露戦争とその時代』桂木惠著

読後の感想
日露戦争時代に戦地から長野県の小学校校長に送られた550通の軍事郵便から、日露戦争の雰囲気を読み取ろうとする珍しい切り口の本でした。
戦病死した曽祖父が軍属として野戦郵便隊に所属していたことも伴って、非常に興味を持って読み始めました。

送られてきた軍事郵便からは、当時のロシア、中国に対して兵士が持っている差別的な印象、情報がないながらもあちこちから見聞きしたことが多いこと、日露戦争時にはまだ検閲がそれほど厳しくなかったのか割と軍事行動について記載があること、などが読み取れました。

日露戦争に対しての記載は、軍事郵便の分析からはちょっと離れて著者の私見が強く出過ぎているように感じましたが、それを除けば日露戦争に関する重要な史料といえるでしょう。

印象的なくだり
「余は如何にして社会主義者になりしか」 先年現役兵に徴集せられ、別社会のこととて、万事異様の感慨に打たれたる折柄、或筋多き者が新兵に向かって最も残酷なる一語を吐けり、曰く「汝等如き者は死んでもかまわない、伝票を切れば何程も替りが来る」この一語は予の脳髄に深刻せられて深く軍隊の害悪を感ぜしめたり。(『平民新聞』8号明治30年1月3日付)
これを書いた半田一郎は、小県郡傍陽村(上田市)出身で、第三軍徒歩砲兵第一連隊の一等卒として出征、旅順攻囲戦や奉天戦に参加しました。生家は蚕種生産を兼業する農家でしたので、それなりの収入があったと思われます。その半田がなぜ社会主義者となったのか。決定づけたのは軍隊での経験でした。
〈或筋多き者〉とは階級章から見た上級の将校を指していると思われます。それにしても、〈汝等如き者は死んでもかまわない、伝票を切れば何程も替りが来る〉の一言は強烈です。半田でなくとも、ショックに打ちのめされそうです(P.236)。

〈上天皇陛下〉の上が一文字分空いているのは闕字です。天皇への敬意を表す表記で(後略)(P.254)。

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『闇バイト 凶悪化する若者のリアル』

読後の感想
『闇バイト 凶悪化する若者のリアル』

著者廣末登の『闇バイト』は、独自の視点から半グレに焦点を当て、その中でも特に闇バイトと呼ばれる裏社会での仕事にスポットを当てた興味深い作品です。本書では、著者の広範な交友関係や犯罪者側の証言を通じて、この危険な仕事の実態に迫っています。

筆者は半グレをいくつかのカテゴリに分類し、その中でもカテゴリ1「準暴力団」、カテゴリ2「不良がかった青少年や一般人」、カテゴリ3「兼業半グレ」、カテゴリ4「ヤメ暴=元暴アウトロー」そしてカテゴリ5「外国人犯罪集団」の存在に注目しています。特に、カテゴリ1、カテゴリ3、カテゴリ4に分類される人々が、かつては「暴常」つまり「暴力常習者」として警察にマークされていたことに触れ、暴力団対策法施行以前は、彼らには「暴常」のハンコが割り当てられていたとの事実を明らかにしています。

本書の中で描かれている闇バイトの入り口は、驚くべきことに軽いものであると述べられています。個人情報を把握され、脅しをかけられることで、被害者は簡単に犯罪の渦に巻き込まれ、脱出が難しくなります。また、「受け子」と呼ばれる直接的な被害者と関わることで捕まる可能性が高まり、犯罪首謀者にとっては使い捨ての存在となります。

特殊詐欺の中でも、電話をかけたりする役割には演技力が求められる一方で、クレジットカードを受け取る役割やATMからお金を引き出す役割の受け子や出し子は、使い捨ての存在として扱われています。本書は、犯罪の裏で何が起きているのかを暴露し、その手口や背後に潜む仕組みを詳細に探求しています。
また、「たたき」と呼ばれる強盗もまた誰でもできる簡単な役目であり、首謀者からすると使い捨ての存在です。
例えば、どうせ使い捨てるので足がついてもいいようにレンタカーを使わせ、ナンバープレートも変えていないので、Nシステムや防犯カメラに映っても気にしないのです。

興味深いのは、著者の広い交友関係から取材されたさまざまな人々のインタビューです。特殊詐欺の首謀者や半グレの幹部、元暴走族のヤクザまで、多岐にわたる視点からの証言が本書を一層深化させています。彼らは口を揃えて「闇バイトはやめたほうがいい」と警告しており、これは闇バイトを検討している読者たちにとって強烈なメッセージとなっています。

総じて、『闇バイト』は半グレという社会の裏側に光を当て、その危険性と非倫理性を浮き彫りにしています。著者の不幸な青少年時代から得た視点が、この作品に深みとリアリティを与えており、他の誰にも書けなかったであろう独自の内容が堂々と綴られています。

印象的なくだり

この半グレについては、二〇一二年に、ノンフィクション作家の溝口敦氏が、『ヤクザ崩壊—侵食される六代目山口組』(講談社+α文庫)において活字化し、それ以後、広く用いられるようになった用語です。同氏は、『暴力団』(新潮新書)において、半グレは「暴力団とは距離を置き、堅気とヤクザとの間の中間的な存在である暴走族OBである」と述べています。しかしながら、前述したように、現時点において、半グレには明確な定義があるわけではありません。
「半グレ」は、平成の日本社会に忽然と現れた新しいものではありません。昭和の時代に存在した「暴力団の影響下にある暴走族」や「暴力常習者」「不特定準構成員」常習的・集団的に違法行為を行なう者として、警察の取締り対象でした。
「暴力常習者」とは、その名のとおり「暴力を常習にしている者」であり、「不特定準構成員」は「特定の一つの暴力団とだけ関係を持っているのではなく、不特定の複数の暴力団組織と、持ちつ持たれつの関係を持ちながら犯罪行為を繰り返す者」と定義されます。いずれも現代の半グレと同様の特徴を有していました(P.033)。

「資産の状況を聞き出すのは簡単です。例えば『○○テレビです。池上彰さんの「○○」という番組ですが、ご覧になったことはありますか?アンケート調査に協力してもらえませんか』と電話で切り出して、『老後二〇〇〇万円問題が話題ですが、備えはできていますか?』『タンス貯金は三〇〇万円以上ありますか?』など次々にイエス、ノーで答えられる質問をしていきます。最後に、『当番組は夜○時に放送しています。お一人で観られますか、ご家族と一緒に観られますか』と聞くんです」(「現代ビジネス」二〇二三年二月二七日)。
どこまでも狡猾で油断のならない詐欺グループの探りに、我々はなお一層の注意を払う必要があります(P.140)。

緊張下の適応も人によって異なる
アメリカの社会学者R・K・マートンは、『社会的理論と構造』(一九六八年)において、社会の人々に共通する目標(=「文化的目標」、たとえば富を得て裕福になること)がそれを達成するための合法的な手段(=「制度的手段」)との間に不協和音を生じることをアノミーと呼びました。
現代社会においては、「経済的な成功」が万人にとっての目標として強調されていますが、他方において、全ての者が富を獲得するための合法的な手段を授けられているわけではなく、多くの困難が待ち構えているのです。このため合法的な手段で目標を達成することのできない者は、目標を達成することができないというアノミー的な緊張状態に陥り、その緊張から逃れるために、犯罪によってでも目標を達成しようとするのです。
つまり、マートンは遵法意識の衰退した社会構造の中で犯罪が生じると主張したのです(瀬川晃『犯罪学』成文堂)。マートンのアノミー論が示唆するアノミー下における人々の対処方法を見てみましょう。
①同調(文化的目標を、合法的手段を用いて達成する)
②革新(文化的目標を、合法的手段を用いずに達成する)
③儀礼主義(文化的目標を放棄し、合法的手段は遵守する)
④逃避(文化的目標を放棄し、合法的手段にも従わない)
⑤反抗(文化的目標を新しいものに置き換える)
仮に「外国製の高級自動車を買う」という文化的目標を、「働いてお金を稼ぐ」という合法的手段によって達成する場合を例に考えてみましょう。
①同調は、「働いてお金を貯めて、あるいは、銀行のマイカーローンに申し込んで高級外車を購入する」という、遵法意識の高い人たちが普通に適応している形態です。
②革新は、文化的目標のためには手段を選ばない方法の選択、つまり「高級外車を盗む」、あるいは「違法に稼いだ金で高級外車を買う」というものです。③儀礼主義もまた一般的な適応で、「高級外車を買う」という目標を諦め、たとえ生活が苦しくても働いて節約しながらやり繰りすることで適応しようとします。逃避は、高級外車を買うという目標を断念して、薬物乱用などに至る適応形態です(これも社会問題化しています)。⑤反抗は、政治犯罪に手を染めたり、カルト宗教などに加わったりして、「高級外車を買う」という目標自体を、政治的信念や帰属する団体で共有される目標に挿げ替えるものです。
今回、本書の議論において注目すべきは、②革新の適応形態です。「経済的な成功」のためには、手段を選ばないという選択であり、昨今、巷間を騒がせている強盗事件は、まさにこの「革新」に当てはまるといえます(P.196)。

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