人を動かす

人を動かす
デール・カーネギー

読後の感想
 自己啓発の本の中でも、古典の部類に属する名著です。一体何度版を重ねたか分からないほど、多くの人に読まれています。

 読むたびに新しいことが発見できるくらい、幅広い事柄が書かれており、本を一気に読んでも余り効果がないと感じました。自分は、寝る前に一章ずつちびちび読んで、その章のことについて考えながら寝る癖をつけました。

 本の中には、目的地は記されているのですが、そこまでの手段が書かれていません。理想像はとても美しいのですが、そこに到達するまでは大変険しい道のりであり、その部分を補う記述があればいいと思いました。実践できなければ、本の価値は半減以下でしょう。

この本をどう活用するか
 すでに明確な目的を持っている人には(そんな人は少ないでしょうが)、世間で言われているほど効能があるわけではないと思います。もちろんいい本であることには間違いないのですが。

 そうでない人は、目標がぶれたり、辛くなったときに読んで、指針を修正するときに読む本だと思います。

印象的なくだり
 他人のあら探しは、なんの役にも立たない。相手は、すぐさま防御体制をしいて、なんとか自分を正当化しようとするだろう。
 それに、自尊心を傷つけられた相手は、結局、反抗心をおこすことになり、まことに危険である(P15)。

 他人の欠点を直してやろうという気持ちは、たしかに立派であり賞賛に価する。だが、どうしてまず自分の欠点を改めようとしないのだろう?
 他人を矯正するよりも、自分を直すほうがよほど得であり、危険も少ない。利己主義的な立場で考えれば、たしかにそうなるはずだ(P025)。

 「わたしには、人の熱意を呼び起こす能力がある。これが、わたしにとっては何ものにもかえがたい宝だと思う。
 他人の長所を伸ばすには、ほめることと、励ますことが何よりの方法だ。上役から叱られることほど、向上心を害するものはない。
 わたしは決して人を非難しない。人を働かせるには奨励が必要だと信じている。だから、人をほめることは大好きだが、けなすことは大きらいだ。
 気に入ったことがあれば、心から賛成し、惜しみなく讃辞を与える」(P042)。

 名前は、当人にとって、もっとも快い、もっともたいせつなひびきを持つことばであることを忘れない(P114)。

 人にきわられたり、かげで笑われたり、軽蔑されたりしたかったら、つぎの条項を守るにかぎる
一、相手の話を、決して長くは聞かない。
一、終始自分のことだけをしゃべる。
一、相手が話している間に、何か意見があれば、すぐに相手の話をさえぎる。
一、相手はこちらよりも頭の回転がにぶい。そんな人間のくだらんおしゃべりをいつまでも聞いている必要はない。話の途中で遠慮なく口をはさむ(P128)。

 人間は、だれでも周囲のものに認めてもらいたいと願っている。自分の真価を認めて欲しいのだ。
 小さいながらも、自分の世界では自分が重要な存在だと感じたいのだ。見えすいたお世辞は聞きたくないが、心からの賞賛には飢えているのだ(P140)。

 「議論に負けても、その人の意見は変わらない」(P159)。

 「自己の向上を心がけているものは、けんかなどするひまがないはずだ。おまけに、けんかの結果、不機嫌になったり自制心を失ったりすることを思えば、いよいよけんかはできなくなる。こちらに五分の理しかない場合には、どんなに重大なことでも、相手にゆずるべきだ。百パーセントこちらが正しいと思われる場合でも、小さいことならゆずったほうがいい。
 細道で犬に出あったら、権利を主張してかみつかれるよりも、犬に道をゆずったほうが賢明だ。
 たとえ犬を殺したとて、かまれた傷はなおらない」(P164)。

(前略)つぎのような質問を自分に向けてみることだ。
 相手のほうが正しいのではないか?少なくとも正しい部分もあるのではないか?相手の主張に正当性、長所はないか?
 わたしの反論は問題の解決に役立つのか、それともただ溜飲を下げるだけのものか?
 わたしの反論は相手を遠ざけることになるか?それとも引き寄せることになるか?
 わたしの反論は善意の人々から評価が得られるか?
 わたしは勝てるか、それとも負けるか?
 勝てるとしてその代償に何を失うか?わたしが反論しなかったら、この論争はおさまるか?
 この難関はむしろ好機ではないのか?(P166)。

 人を判断する場合、わたしはその人自身の主義・主張によって判断することにしている。
 わたし自身の主義・主張によってではなく(P181)。

「相手にいったん”ノー”といわせると。それを引っ込めさせるのは、なかなか容易なことではない。”ノー”といった以上、それをひるがえすのは、自尊心が許さない」(P205)。

 人に押し付けられているだとか、命令されているだとかいう感じは、だれにしろいやなものだ。
 それよりも、自主的に行動しているのだという感じのほうが、はるかに好ましい。
 自分の希望や欲望や意見を人に聞いてもらうのはうれしいものだ(P221)。

(『人を動かす』デール・カーネギーISBN978-4-422-10051-7)