ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか
梅田望夫

読後の感想
 『ウェブ進化論』に触発されて読み始めた本です。ウェブの話というより、これからの人生論や仕事論が記述の中心でした。

 Googleなどに代表される検索エンジンの性能が格段に上がり、情報の流れるスピードが速くなった現代でどのように生きるほうが、個人にとって幸せなのかという視点で書かれていました。
 説得的というより、そういう選択肢もあるという視点で読むことができる本です。著者の考えを押し付けるような印象は受けませんでした。

 これから自分自身がどうしたいか、を見つけるにあたって大いに参考になりました。ネットに触れる時間が少ない人に是非読んで欲しいと思いました。

印象的なくだり

「一身にして二生を経る」時代に生きるうえで大切なことは、「最初の半分」での常識(現在私たちが皆身につけている常識)と「あとの半分」での常識はきっと異なるはずだという想像力を抱きながら生きることだと思う(P012)。

(前略)ネット世界の最先端を生きる若者たちは、すでにネットとリアルを区別しない。「区別して理解しよう」と考えた瞬間に、もう理解できなくなっているのだと言う(P030)。

ネット上にできた「知の高速道路」を疾走して「プロの一歩手前」くらいまでいけばその世界のどこが「見晴らしのいい場所」なのかがわかってくる。リナックス・プロジェクトのように「見晴らしのいい場所」がネット上にある場合もあるが、大抵の「見晴らしのいい場所」は今のところリアル世界にある(P099)。

私はよく「五百枚入る名刺ホルダー」を用意したらどうかと提案する(むろんネット上のソフトだっていい)。その名刺ホルダーに、仮に自分が組織を離れて一人になったとき、自分の能力に正当な対価を払ってくれそうな人(仕事を時給換算したときに最低でも時給数千円は支払ってくれそうな人)だけを入れるのだ。ネット上で知り合った人から、リアルの仕事上の知己、親、親戚、先輩、友人、後輩に至るまで自分が関係する人々すべてを対象に、「一人になった自分」を正当に評価してお金を支払ってくれる可能性が少しでもあるかどうかだけを判断基準に、その名刺ホルダーを埋めていくのである(P107)。

日本の若い人たちのブログを読んで思うのは「人を褒める」のが下手だなということである(P137)。

梅棹忠夫による名著『知的生産の技術』(岩波新書)
個人が、しらべ、読み、考え、発見し、何か新しい情報を創出し、それをひとにわかるかたちで書き、誰かに提出するまでの一連の行為を、梅棹は「知的生産」という言葉にこめた。ただ「頭がいい」とか「記憶力がいい」ということも生産を伴わなければ意味がなく、「本を読む」という高度な知的な行為も、アウトプットがないならば「知的消費」に過ぎず「知的生産」ではないのだと梅棹は言い切った(P146)。

「情報共有が当たり前で、隠すものを例外とする」のか「隠すこと前提で、共有する情報を例外とする」のかで、組織内の情報に関する考え方は一変してしまうのだ(P178)。

実践できるくだり

私は、知的生活に必要な自分の情報をかなりネットの「あちら側」に移している。「あちら側」とは、自分のパソコンの中(「こちら側」)ではなく、ネット空間上ののことである(P155)。

あらゆる面で徹底的にネットを活用すること。自分の志向性や専門性や人間関係を拠り所に「自分にしか生み出せない価値」(さまざまな要素からなる複合技)を定義して常に情報を発信していくこと(ブログが名刺になるくらいに、自分にとって大切ないくつかのキーワードの組み合わせで検索すると自分のエントリーが上位に並ぶようなイメージ)。自分の価値を理解して対価を支払ってくれる人が存在する状態を維持しようと心掛けること(P103)。

この本をどう活用すべきか

 なるべく自分のパソコンの中にデータを溜め込まず、オンラインを利用したサービスに移行していきます。
 RSSリーダやオンラインブックマーク、作成したデータなどもストレージなどを利用していきたいと思っています。
 理想形としては、外出先から自宅パソコンの遠隔操作なども視野に入れて(必要か?

 そのためには、まず通信環境を整える必要があるので、無線化とラップトップパソコンかスマートフォンを用意しないと。

 それから自分自身のブログの位置づけを少し検討したいと思います。
具体的には、検索との関係とか、自分自身の強みに特化したものを書くべきか否かということです。