『そうか、もう君はいないのか』

そうか、もう君はいないのか
新潮社
城山三郎

読後の感想
 淡々と語られる妻への思い、そして別れまで。
妻を天使や妖精と持ち上げるくだりは読んでいて、少し照れてしまいますが、それだけ思いの強いものだったのだろうと感じました。
 知らず知らずのうちに、自分の身に置き換えており、気づくとホロホロと泣いていました(しかも新幹線の中で…)。
 これを読んで泣けない人とはお友達になれないような気がします(笑

印象的なくだり
「旅が好きっていうけど、どこにでも行きたい、というのは旅好きでも何でもないんじゃないか」
いつか、そう訊いたら、
「だって、家事をしなくていいですもの」という一種の名言(P090)。

もっとも、容子の買物は、町なかに限らない。
海外での列車旅でも、車内販売員から買うだけでなく、ホームでの停車時間が長そうだと知ると、駅ホームの売店でも。
「寸暇を惜しむ」という買物ぶりだが、「この国の小銭を残しておいては、もったいない」という大義名分があり、小銭入れを持って、ホームの売店へ走る。
おかげで、こちらが思わぬ巻き添えを喰った。
国際列車がスイスからイタリアへ入る時も、いつもの手で、「残っているスイスの小銭を活かさなくては」といいながら、容子は小財布をもって、ホームの売店へ。
ふだん気にしている体重のことなどとは無縁に、軽やかに走って行った。
ところが、その数分後、国境警察が巡回してきて、私の脇に置いてあった彼女のハンドバックを見咎めた。
私が事情を説明しても、聞く耳を持たず、「それなら、中にいくら入っているのか」妙な質問だがと、私は首をかしげながら、「そんなこと知るわけがない」。
とたんに警察はホイッスルのような物を鳴らし、いま一人、警官が走ってきた。
いわく、「妻がハンドバッグに、どれほど金を持っているか知らぬのは、夫ではない」と。(P091-092)

特攻隊員の親や妻子にとって、戦後は一種の長く、せつない余生であったのではないだろうか。
特攻隊員たちは、サブタイトルにもしたが、花びらのような淡く、はかないものにせよ、幸福な時間を持って、死んでいった。
残されたほうは、特攻機が飛び立った後、ただひたすら長い、せつない、むなしい時間を生きなければいけなかった。
これは、どちらが、より不幸なのだろうか
(P114)。

暗い灰色ばかりのカードを並べたような、最後の日々の中、一枚だけカラーの絵葉書が混ざり込んだ印象の一日がある(P134)。