『のはなしさん』

伊集院 光
宝島社

読後の感想
感想というよりも、僕の伊集院さんへの愛を語る文章になってしまいそうで怖い、なんて思いつつ。
思えばニッポン放送がちゃんと入らない地方で、雑音の中、かすかに聞こえる「Oh!デカナイト」を聞き出した頃から、僕の人生の基本姿勢が形成されてきているような気がします。
その後、電気GROOVE、浅草キッド、(あと大槻ケンヂとか)と、後世に「バカばっかりのニッポン放送」の時代を満喫してきました。
そして、東京に出てきてから聞き始めた「深夜の馬鹿力」。
当時はこんなに長寿番組になるとは思っていなかったなぁ。

と、予想通り話題がそれてるけど、本のお話。
一つ確信したのは、僕は敬愛する人物の話ならいつまででも聞いていたい、読んでいたいと思うタイプであるということ。
読み進めている時間は本当に幸福でした。

その中でもきっと誰しもが思った新規収録のお話。
五代目三遊亭圓楽師匠が亡くなってのお話はホロリときました。
偶然にもこれを読んでいたときに、自称5代目立川談志師匠も亡くなり、
伊集院さんは今もこんな気持ちなんだろうかと胸を馳せました、とさ。

ほらね、好きすぎてまともな感想になってません、なのでおしまい。

『男30代、悔いなく生きる約束事!―人生の先輩から35通の手紙』

男30代、悔いなく生きる約束事!―人生の先輩から35通の手紙
三笠書房
船井幸雄

読後の感想
せっかく分かりやすくていい本なのに響かないのは何故なんでしょう。
多くのいいことが、雑然と羅列されている感じを受けてしまいます。
もっと骨子が一本通るような文章だと良かったのですが。
内容についてはよくある話。別に30代に限ったことではありませんでした。

印象的なくだり

現状への不平不満や否定は、活力を生み出すことよりも、自己弁護や逃避につながり、周囲の人たちを不愉快にすることが多く、たまたま、それによって活力を生んだとしても、人生を上手に生きるうえで最も大きな条件である、他の人々からの応援を失うことになり、決して得策ではない。
何か問題が起こるたびに自己弁護する人がいるが、それは自分の無能を証明するだけである(P051)。

一人の人間の能力など知れたものだ。
また、人生も無限ではない。時間は限られてるし、会える人も限られている。
したがって、体験しようにもできないことがたくさんある。
それを補ってくれるのが読書である。読書によって、著者の学んだこと
体験したことを自分のものとすることができるからだ(P070)。

私は、すべての人の言動は、その人の立場ではすべて正しいと思っている。
したがって、なるべく多くの人の言動を、「あれも正しいのだ」と肯定し得るように努力するのが、人として生まれてきた以上、人生の挑戦目標であると考えている(P098)。

過去に読んだ同じ著者の本と感想
『早起きは自分を賢くする』 感想はコチラ

『夢をかなえるゾウ』

夢をかなえるゾウ
飛鳥新社
水野敬也

読後の感想
 体裁としては、面白おかしく書かれていますが、自己啓発本を読み込んでいる著者がエッセンスを抽出しようとした苦心の後が随所に見受けられ、読み応えがあります。
 ハードカバーの本とは異なり、取っ掛かり易く、本を読む習慣が無い人にはかなりオススメできる本だと感じました。
 ただ、あくまでも取り掛かりだけなのでこの本を読み終わった後は続けて参考文献に挙がっている本を読んで欲しいところですが。
 内容を一言で示すなら、要するに「実行しろ」ということです。

印象的なくだり

「ほなら逆に聞きたいんやけど、自分のやり方であかんのやったら、人の言うこと素直に聞いて実行する以外に、何か方法あんの?」(P031)

「(前略)こうやって自分が頑張れてるの確認するんはめっちゃ大事なことなんやで。それ、なんでか分かる?」
「それは……自分を盛り上げるためですか?」
「まあそれもそうやけど、もっともっと大事なことがあんねん。それはな、『成長したり頑張ることは楽しい』て自分に教えていくためやねん」(P100)。

「(前略)自分がこうするて決めたことを実行し続けるためには、そうせざるを得ないような環境を作らなあかんということや。
ただ決めるだけか、具体的な行動に移すか。それによって生まれる結果はまったく違ってくるんやで」(P117)

「(前略)世界は秩序正しい法則によって動いとる。成功も失敗もその法則に従うて生まれとる。
だから、その法則に合わせて自分を変えていかなあかん。その法則と自分のズレを矯正することが、成功するための方法であり、成長と呼べるんや。」(P147)

「(前略)『愛の反対は憎しみやない。無関心や』言うやろ」(P182)

「自分らは、お金も、名声も、地位も、名誉も、自分で手に入れると思てるかも分からんけど、ちゃうで。むしろ逆やで。
お金は他人がお前にくれるもんやろ。名声は、他人がお前を認めたからくれるもんやろ。全部、他人がお前に与えてくれるもんなんや」(P312)

『そうか、もう君はいないのか』

そうか、もう君はいないのか
新潮社
城山三郎

読後の感想
 淡々と語られる妻への思い、そして別れまで。
妻を天使や妖精と持ち上げるくだりは読んでいて、少し照れてしまいますが、それだけ思いの強いものだったのだろうと感じました。
 知らず知らずのうちに、自分の身に置き換えており、気づくとホロホロと泣いていました(しかも新幹線の中で…)。
 これを読んで泣けない人とはお友達になれないような気がします(笑

印象的なくだり
「旅が好きっていうけど、どこにでも行きたい、というのは旅好きでも何でもないんじゃないか」
いつか、そう訊いたら、
「だって、家事をしなくていいですもの」という一種の名言(P090)。

もっとも、容子の買物は、町なかに限らない。
海外での列車旅でも、車内販売員から買うだけでなく、ホームでの停車時間が長そうだと知ると、駅ホームの売店でも。
「寸暇を惜しむ」という買物ぶりだが、「この国の小銭を残しておいては、もったいない」という大義名分があり、小銭入れを持って、ホームの売店へ走る。
おかげで、こちらが思わぬ巻き添えを喰った。
国際列車がスイスからイタリアへ入る時も、いつもの手で、「残っているスイスの小銭を活かさなくては」といいながら、容子は小財布をもって、ホームの売店へ。
ふだん気にしている体重のことなどとは無縁に、軽やかに走って行った。
ところが、その数分後、国境警察が巡回してきて、私の脇に置いてあった彼女のハンドバックを見咎めた。
私が事情を説明しても、聞く耳を持たず、「それなら、中にいくら入っているのか」妙な質問だがと、私は首をかしげながら、「そんなこと知るわけがない」。
とたんに警察はホイッスルのような物を鳴らし、いま一人、警官が走ってきた。
いわく、「妻がハンドバッグに、どれほど金を持っているか知らぬのは、夫ではない」と。(P091-092)

特攻隊員の親や妻子にとって、戦後は一種の長く、せつない余生であったのではないだろうか。
特攻隊員たちは、サブタイトルにもしたが、花びらのような淡く、はかないものにせよ、幸福な時間を持って、死んでいった。
残されたほうは、特攻機が飛び立った後、ただひたすら長い、せつない、むなしい時間を生きなければいけなかった。
これは、どちらが、より不幸なのだろうか
(P114)。

暗い灰色ばかりのカードを並べたような、最後の日々の中、一枚だけカラーの絵葉書が混ざり込んだ印象の一日がある(P134)。

若者はなぜ「繋がり」たがるのか―ケータイ世代の行方

若者はなぜ「繋がり」たがるのか―ケータイ世代の行方
PHP研究所
武田徹

読後の感想
色んな雑誌で連載したものを寄せ集めて、単行本にしました、という本。
そのためか、若干一貫性に欠ける印象をところどころで受けました。
本のタイトルの問いに対して、ある事柄を挙げて問いに答えるという帰納的方法を取っているため、事柄の部分の説明に終始した章も散見されました。
重要な部分については、他人の著書からの引用が多く残念。
結局、問いにはきちんと答えることが出来ておらず、タイトル負けの一冊です。

印象的なくだり
(前略)マスメディアに親しんで育った親は、この普通のことができなくなる、らしいのだ。
TVメディアに夢中になった経験を有する親と、その子の会話パターンを追跡調査した金原は、たとえば宿題が解けない子供に対して親がなぜわからないの」「どこが難しいの」とひたすら説明を求めるケースが多いことを確認している。
これは子供にしてみれば辛い。
どこがわからないのか、言葉で説明できるくらいなら問題は、すでにほとんど解決されているのだ。
しかし、「どこが」「なぜ」がわからないから、彼らは心底困っているのだ。
ところがそれをせずにひたすら説明を求めてしまう。
こうしてマスメディアの影響を受けてメタコミュニケーション能力の欠落した親が子供をスポイルする(P030)。

精神科医の野田正彰は、繰り返される凶悪な少年犯罪に共通する特徴として「他人の命を弄ぶことで自分の全能性を確認しようとする」傾向を挙げ、「魔術的全能感」というキーワードでそれを説明しようとした(P115)。

僕たちは「隠されるとつい見たくなる」習性がある。なぜか。
経論家の四方田犬彦は『映像要理』(朝日出版社)のなかで、「隠されているものには真理が宿っており、それを露わにすることで真理に到達できる」という価値観に僕たちが縛られていると指摘している。
たとえば旅の多くが、どこかに隠されているユートピアを捜し求める期待に促されている。
哲学とは、隠された真理を見届けようとする知的欲望の産物だ。僕たちは、いまはまだ隠されているが最終的には明らかになるはずの偉大な「意味」=真理の存在を信じ、その探求に取り憑かれるのだ(P143)。

(前略)、これは前にフリマを取材したときに、すごい印象的だったのが、たとえば四時半とかに催事終了の時間がくる。
公園の使用申請を出していた時間が終わって、さぁ片づけだとなる。
そのときに会場に残っているのが大量のごみです。
ぼくが取材したころのフリマは、けっこう置き去りにしていく人が多かった。
終わりの時間が近づくと出展者がだんだんと引き上げてゆくが、自分でもって帰るのが面倒くさいから、誰が残したものかわからないようにして置いていっちゃう。
これってすごいことで、フリマの終了時間までは中古とはいえ商品だったものが、フリマが終わると同時にごみになってしまう。
ということは、遡って考えると、それまでもじつはごみを売っていたわけです。言葉が悪いですけど。
(中略)時間が過ぎてしまえば、シンデレラの馬車じゃないけど、魔法が解けてしまうかのように、ごみに戻ってしまうものを商品として売っているのは変だなと思った。
これはつまり、使いたい人がいて、それを必要としている人に安く提供するのだ、賢い消費なのだとはいってはいるけれでも、裏を返していえばそこでは「使える」ことでしか人と人とが繋がっていない(P223-224)。

過去に読んだ類似の本と感想
『ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊』正高信男 感想はこちら

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