『憂鬱でなければ仕事じゃない』
藤田晋
見城徹
読後の感想
サイバーエージェントの社長である藤田晋さんが私淑する幻冬舎社長の見城徹さん。
この本は、藤田さんが仕事をする上で大いに影響を受けたと公言する見城さんの言葉が、見開き右側に自筆で書かれ、左側にはその解釈が書かれている部分に引き続き、お二人それぞれがコメントをつけているというスタイルで書かれています。
この二人の交換日記のようないちゃいちゃする雰囲気がたまらなく好きです。
お二人とも大きな会社の経営者でもあり、その言葉には厳しさと力強さ、そして二人の経験が語る説得力が多く含まれています。
藤田:
何事でも、「結果ではなく、プロセスを評価してほしい」という人がよく
いるけど、僕はこれを聞くたび、ただならぬ違和感をおぼえます。
僕は経営者なので、結果が出なくても、本気で仕事に取り組んだ社員には、次のチャンスを与えるようにしています。
しかし、プロセスを評価してほしいと本人が考えているとしたら、一体どこに焦点を合わせて仕事をしているのか心配になります。そういう人が結果を出したのを、僕は見たことがありません(P.036)。
リーダーや経営者の仕事は、単にいい人ではできない。
さまざまな問題や矛盾を解決しなければならないので、不公平や損得が生じ、全員ハッピーにはならないからです。
誰にも嫌われないように、公平で、不正がないように、きれいごとばかり言っている人は結局何もできません。
何かを決めて、物事を推し進める時は必ず何割かの人は反対してきます。
時には圧力をかけたり、裏から手を回したり、あらゆる手を尽くしても、前進させなければなりません。
そうしたことも厭わずに責任を負う覚悟が、必要なのです(P.150)。
章立てに従って進んでいくと、最初は人間としての心構え、次第に社会人・ビジネスマンのことに進み、最後は経営者・成功者としてのくだりになります。その過程を読み進めると、人間の成長という流れになるような構成は秀逸だと感じました。読み進めるに従って成長を追体験できるような物語になっているからです。
見城さんは、角川書店から単身で独立し幻冬舎を立ち上げ、作家を口説き落としヒットを飛ばすような、絵に描いたようなトップセールスマン型の経営者であると思います。
その人の心を動かすような心得が随所にちりばめられていました。
人として極端な見城さんは、好き嫌いがはっきり分かれるタイプかと思えますが、そうでなければ選ばれもしない、というポリシーを読み、はっとしました。自分も小さくまとまっているのではないかという糾弾を受けた気がしたからです。
「極端」こそわが命
世の中には選ばれるものと、選ばれないものがある。
そして人は誰でも、選ばれるものになりたがる。
しかし奇妙なことに、多くの人はそのための戦略を欠いている。
「極端」は、選ばれる戦略の最大のキーワードだ(P.059)。
一つ気になったのは、本書はなぜ「幻冬舎」ではなく「講談社」から出たんでしょうね。
本に点数をつけることは馬鹿げているとは思いつつ
評点は5点満点中4点です。
印象的なくだり
「運がよかった」は、謙遜でのみ使うべきだ。
断じて他人をこう評するべきではない。
その言葉は思考を停止させ、努力を放棄させ、成長を止めてしまう(P.071)。
見城:
僕は、朝起きると、必ず手帳を開く。自分が今、抱えている仕事を確認するためだ。そして、憂鬱なことが三つ以上ないと、かえって不安になる。
ふつう人は、憂鬱なこと、つまり辛いことや苦しいことを避ける。
だからこそ、あえてそちらへ向かえば、結果はついてくるのだ。
楽な仕事など、大した結果は得られない。憂鬱こそが、黄金を生む。
マルクスは、人間を受苦的存在と規定した。
ドイツ語では受苦とはパッション、つまり、情熱を意味する。
苦難と情熱はワンセットなのだ。人間は苦しいから、情熱を感じ、それを乗り越えてゆけるということである(P.090)。