『ガチャガチャの経済学』小野尾勝彦著

『ガチャガチャの経済学』小野尾勝彦著

読後の感想
大人になっても物を合理的に持たない方針を持っている自分ですが、最近、身の回りで頻繁に見かけるガチャガチャには非常に興味を抱いています。かつては無関心で、あの「コップのフチ子さん」すら知らなかったほどでした。しかし、この本を読んで、自分が古い常識の中で生きていたことに気づかされました。

自分が知らない間にガチャガチャは進化し、かつての「キン肉マン消しゴム」の時代とはまったく異なる構造に変貌しています。今日のガチャガチャ業界は、企画からリリースまでの基本3ヶ月の短いサイクルで構築され、各ベンダーが独自の特色を打ち出しています。再販しないポリシーから生まれるレアアイテムは多く、高いコレクターズアイテムとしての価値があります。

市場の規模を見ると、カプセルトイ市場は約610億円という巨大な存在となっています。2002年から2020年までは200億円から400億円の範囲で推移していましたが、2021年から急激に成長し、2022年には約610億円に達しました。2022年の成長率は前年比35.6%という異例の数字です。ちなみにUFOキャッチャーなどのクレーンゲーム市場規模は2330億円で、ガチャガチャの4倍にも及ぶそうです。

驚くべきは、現在のガチャガチャの製作プロセスです。企画から製造、流通までメーカとオペレータ(代理店)が原価計算を徹底的に行い、高品質を確保しています。従来の軒先商売とは異なり、イオンモールなどの一等地に出店するビジネスモデルが確立されています。

一方で、何が出るか分からないサプライズ感や射幸心を煽る手法により、無意識にコインをどんどん投入してしまう様子も見受けられます。両替機が絶えず利用されている光景もあります。これらの事実から、ガチャガチャがまだまだ伸び代があるビジネスであることが示唆されます。新しいアイデアやユニークなコンセプトが続々と生まれ、業界は着実に成長しているようです。

ガチャガチャの基本構造は「メーカー」「オペレーター(代理店)」「販売店」の3つで、特に拡大している「ガチャガチャ専門店」は、オペレーターが販売店の機能も担う形態と言えます。在庫リスクはオペレーターが負担し、利益の分配はメーカーが50%(うち工場が20%)、オペレーターが30%から35%、販売店が20%から15%程度となっています。企画から製造までの所要時間が約3ヶ月が主流であり、新規参入を考えるならば、既に寡占状態にあるオペレーターは難しく、販売店の集客も一苦労と考えられます。まずはメーカーの企画側に参加することが有益でしょう。

ガチャガチャは従来、コインを使用する前提でしたが、現代においてはQRコードやSuicaなどを読み取れるマシンが登場しています。これにより、コインを使わずに利用でき、両替機が不要となるだけでなく、価格設定も柔軟に行えるようになりました。つまり100円単位に限られないということで、例えば、777円なんて値付けも可能ということです。

これらの情報を得て、ガチャガチャは単なる子供の遊びだけでなく、ビジネスとしても興味深い分野であることが明らかになりました。未知の世界に触れる喜びと、進化し続けるガチャガチャの魅力に引き込まれています。

印象的なくだり

ガチャガチャの発祥地はアメリカだった
そもそも現在のようなガチャガチャの歴史はどこから始まったかというと、今から140年以上前の1880年代にアメリカのニューヨークでチューインガムやキャンディ、鉛筆、香水などが無人販売機で販売されていたのがルーツだと言われています。設置場所は駅のプラットフォームやタバコ屋でした。当時はカプセルに入っておらず、むき出しの状態で入っていたようです。
1940年代に入ると、マシーンの中にガム以外にセルロイド製の小さな玩具を混ぜて売るようにしたところ、この玩具目当てにハンドルを回す子どもたちが増え、いつの間にか玩具だけが独立して売られるなりました。疲れて泣き叫ぶ子どもたちをなだめるのに便利ということで、「シャラップ・トイ」と呼ばれたそうです。これが現在も受け継がれる「何が出てくるかわからない」要素を備えたガチャガチャの原型です。その当時もカプセルに入っておらず裸のまま出てきたので不衛生でした。また、マシーンの故障が多くて大変だったようです。1940年代後半からカプセルの中に入れる現在の形になりました。この時代から第二次世界大戦を挟んだ1960年代まで、カプセルの中身の玩具をつくっていたのは、実は日本の会社でした。東京の葛飾区や墨田区にある町工場がつくったミニチュアトィをアメリカの会社へ輸出していたのです。日本でつくられた玩具がアメリカの子どもたちのコレクショントイになっていたわけです(P.031)。

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