『剣持麗子のワンナイト推理』新川帆立著
新川帆立による『剣持麗子のワンナイト推理』は法律の専門知識や弁護士という立場から人間社会の複雑さを解き明かし、読者に倫理的な問いを突きつける。
表面的にはエンタメ小説の形を取りながらも、実際には現代社会における権力、倫理、そして人間関係のひずみを深く掘り下げている点で、他のミステリーとは一線を画している。
主人公・剣持麗子の魅力
剣持麗子は、ただの敏腕弁護士ではない。彼女は、鋭い知性と冷徹な合理性を併せ持ち、常に法律の文脈の中で行動する。
彼女の一貫した姿勢は、法律の役割と限界を読者に示す一方で、彼女自身の人間性の輪郭を浮かび上がらせる。
例えば、冒頭で警察官に対して「権力を持つ者は、自らの権力に無自覚なわりに、権力を妄信している」(P.030)という鋭い洞察は、弁護士という立場から見た社会構造への批判を端的に表している。
このような視点は、読者に法律や権力の在り方を再考させるきっかけを与えるとともに、剣持の性格に深みを持たせている。
本書の中で特に興味深いのは、主人公の倫理観だ。
麗子は「無償で働く優しい人になんか、なりたくない」という独白で、自己犠牲を求める社会の風潮に強く反発する。
これは、多くの読者にとって一種のタブーとも言える感情だが、それを臆することなく吐露する彼女の姿勢は爽快でもある。
この考え方は、現代社会の「弱者性」を盾にした要求や、「善意」の濫用といったテーマを浮き彫りにする。
剣持の冷徹さは一見すると冷酷にも映るが、彼女が語る「真っ当な商売をしている者の肩身が狭くなる」という意見には説得力がある。
この冷酷さの裏に潜むのは、むしろ「公平性」へのこだわりなのだ。
この「公平性」を追求すると、むしろ弱い立場に置かれるものが不利になるように思うが、法律が担保している公平性とは「機会の公平性」であって「結果の公平性」ではないのです。
麗子自身もまた、完璧な正義の体現者ではない。彼女は時に迷い、時に妥協する。
だがその姿勢こそが、読者に「正しさ」についての多様な視点を提供している。
また、作中では「直接会って話したがるクライアント」への苛立ちや、メールを通じた効率的なコミュニケーションの推奨など、日常の中での人間関係の煩雑さや効率化のジレンマも扱われている。
これらの描写は、麗子が現代的な視点を持つ弁護士であると同時に、読者が共感しやすいキャラクターであることを示している。
剣持麗子というキャラクターを通じて、読者は自分自身の「正しさ」と向き合うことを余儀なくされるだろう。
印象的なくだり
弁護士は警察捜査をスムーズに進めるために存在するわけではない。私を現場に呼んだら、より厄介なことになるとは考えないのだろうか。
きっと考えないのだろう。
権力を持つ者は、自らの権力に無自覚なわりに、権力を妄信している。周りの者たちは当然のように指示に従い、協力してくれるものと思っている。反抗的な態度をとると、「まさか、信じられない」という態度を示すのだ。
協力してもらって当たり前、反抗的な者には容赦なく権力を振りかざす(P.030)。
黒丑の件は、報酬目当てで働いたわけではなかった。警察の対応に腹が立っただけだ。だが働いた以上は報酬を払ってほしい。
世の中の人はそんなことも分からないのだろうか。
無償で働く優しい人になんか、なりたくない。
困っているから、お金がないから助けてくれと言ってくる人たち。その図々しさに虫唾が走る。力を持っている者には何を言ってもいいと思っているのだ。弱者の脅迫、大嫌いだ。脅迫に応じる心優しい人たちのことも嫌い。そういう人がいるから、真っ当な商売をしている者の肩身が狭くなる(P.079)。
メールでやりとりしたほうが話が早いことも多い。事務手続は口頭で説明しても伝わりづらいのだ。メールで要点をまとめて、必要な書類のフォーマットを送ってやったほうが親切である。だがたいていのクライアントは、直接会って話したがる(P.131)。
「こうすれば儲かると分かっていても、それはやってはいけないという境界線があるのよ。普通の人は境界線で立ち止まって引き返す。それなのに私は、突き進んでしまったのよ」
容子は死に、牧田原には前科がついた。瀬戸は保険金を手に入れたが、すぐに夫の会社が倒産し、会社の債権者への支払いで手元には一円も残らなかった(P.224)。
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