『AI監獄ウイグル』

『AI監獄ウイグル』ジェフリー・ケイン著 濱野大道訳

読後の感想
もしも仮に本書に書かれていることが事実だとするとこれほど恐怖を覚えることはありません。
静かにアウシュビッツと同じことが目立たないように現在進行形で行われていることとほぼ同義だからです。

『AI監獄ウイグル』は、ジャーナリストのジェフリー・ケイン氏が執筆したノンフィクション作品であり、中国新疆ウイグル自治区におけるウイグル民族への弾圧と、それを支える高度な監視技術の実態を詳細に描いています。
本書は、AI(人工知能)やビッグデータを駆使した監視システムが、いかにして一民族の文化やアイデンティティを抹消しようとしているのかを明らかにしています。

ウイグル人の男性が「中国はぼくを拷問し、睡眠を奪いました。すべてを放棄するよう求めてきました」と語るように、物理的な虐待だけでなく、精神的な抹殺を目的とした洗脳が行われています。
これは、単なる肉体的な迫害にとどまらず、個人の思想や文化的アイデンティティを根絶やしにする試みであり、現代における新たな形のジェノサイドといえます。

中国政府は、国外のウェブサイトへのアクセスを遮断する「グレート・ファイアウォール」や、インターネット上のデータを検閲・ブロックする「金盾」といったシステムを構築し、情報統制を強化しています。
これらの技術は、国内の新興テクノロジー企業と連携し、AIを活用した監視体制の構築に利用されています。特に、米国の技術や専門家を取り込むことで、AI分野での急速な発展を遂げています。

さらに、政府職員をウイグル人家庭に送り込み、寝食を共にしながら監視する「家族になる運動」など、社会全体を監視網で覆い尽くす政策が実施されています。
これにより、個人のプライバシーや自由は著しく侵害され、抵抗する者は強制収容所に送られるという恐怖政治が敷かれています。

本書は、これらの監視体制がウイグル民族の文化や歴史、アイデンティティをいかに破壊しているかを、詳細な取材と証言を通じて描き出しています。
AI技術の進化がもたらす人権侵害の危険性を警告するとともに、国際社会に対してこの問題への関心と行動を促しています。

『AI監獄ウイグル』は、現代のテクノロジーが権威主義的な政権によってどのように悪用され得るのかを示す重要な作品であり、人権と自由の価値を再認識させられる一冊です。

印象的くだり
「中国はぼくを拷問し、睡眠を奪いました。すべてを放棄するよう求めてきました」と彼は私に語った。「集団全体を殺すことを目的とした、古いスタイルの集団虐殺ではありません。もっと洗練されたものでした。彼らはぼくの考え、アイデンティティー、すべてを消すことを望んだ。ぼくが誰であるかも、ぼくが書いたものもすべて消そうとしました。歴史と文化のなかに、ぼくたちの記憶はある。記憶、存在、精神を消してしまえば、民族そのものを消すことができるんです」(P.062)。

「結果、2003年にマイクロソフトは中国とほかの59の国にたいして、ウィンドウズのオペレーティング・システムの基本ソースコードを開示し、特定の一部分をその国独自のソフトウェアと置き換える権利を与えた。それは、マイクロソフトが過去には絶対に許可しようとしなかったことだった」とフォーチュン誌は伝えた。
マンディの意見を聞いたゲイツは、マイクロソフトが過ちを犯していることに気づいた。裕福な国でも、中国のように貧しい国でも、マイクロソフトはウィンドウズの価格を世界で均一に設定してきた。しかしそれは現実的ではなく、結果として海賊版が出まわることにつながっていた」(P.088)。

国外のあらゆるウェブサイトへのアクセスを遮断する中国のインターネット検閲システムは、万里の長城になぞらえて「グレート・ファイアウォール」と揶揄されるようになった。このシステムを作り上げたのは、コンピューター科学者のが浜輿だった。インターネット検閲の父と呼ばれた方は全国的な嫌われ者となり、2011年には怒った男性から靴と卵を投げつけられるという事件も起きている。しかし政府の方針が変わることはなく、中国は「金盾」と呼ばれる第2のシステムの開発も進めた。このシステムによって政府は、インターネット上で送受信されるすべてのデータを検査し、国内のDNS(ドメイン・ネーム・システム)をブロックすることができるようになった。
急成長する中国の新興テクノロジー企業の存在に気づきはじめた米国政府は、中国の技術の近代化がアメリカの軍事的利害や国家安全保障にもたらす脅威について危惧するようになった(P.092)。

国家の支援を受ける中国企業には、外国企業と提携関係を結ぶときに“強制的な知山的財産の移転”を行なう習慣があった。通例として外国企業は、中国の閉鎖的な市場に参入するためには現地企業と提携しなければいけなかった。その際の非公式の条件のひとつが、半導体、医療機器、石油、ガスなどに関連する機密技術を中国企業に移転するというものだった。
この習慣は、世界貿易機関(WTO)のルールに反するものだった。しかし、中国の1億人の潜在的な顧客にアクセスすることを望むアメリカ企業は、技術上の秘密をしぶしぶ中国側に教えた。
前述のとおり中国は、微信などのアプリやサービスの利用情報を集め、全国民のデータを蓄積しはじめていた。すると国内の新興テクノロジー企業の多くは、大きな利益を見込める急成長中の分野である人工知能においてトップリーダーになることを目指すようになった。中国で一気に数が増えつづけていたAI研究者たちは、世界のAI先駆者たるアメリカの飛躍的進歩に眼を向けた。中国企業はAIの秘密を解き明かすため、海外に留学してマイクロソフトやアマゾンに就職した優秀な中国人AI開発者を探しだそうと躍起になった。そして彼らに大きな報酬を与え、さらに愛国心に訴えかけて母国におびき寄せようとした(P.112)。

半年ほどたつと、あまりの退屈さに耐えられなくなった。スパイとして雇われるまえ、独立運動のための戦闘員を目指していたころに思い描いていた戦場での栄光などこれっぽっちもなかった。ユスフはアメリカのメッセージング・アプリWhatsAppを使ってハンドラーにメッセージを送り、もう辞めたいと伝えた。
「いつもWhatsAppを使っていました。安全だと思っていましたから」と彼は言った。「微信は使いませんでした。中国の諜報機関でさえ、微信は監視されているんじゃないかと疑っていました。政府はいつでも、データを引き渡すよう微信に命令することができましたからね」(P.177)。

家庭に政府職員を送り込む
2017年12月に共産党は、100万人の党幹部をウイグル人の家庭に配置する「家族になる運動」(結対認親)をはじめた。政府のプロパガンダでは、この人員配置は「家族の再会」と呼ばれた。しかし実際のところその取り組みは、ウイグル人の住居に政府職員を送り込み、寝食をともにしながら住民を監視するためのものだった。
実験的に行なわれた「家族になる運動」は、やがて本格的なホームステイ・プログラムへと拡大した。政府職員は、2ヵ月おきに5日間にわたってホスト・ファミリーとなる一般家庭の家で生活した。受け容れ先の家庭が参加を拒んだ場合、その家族はテロリストとみなされ、強制収容所送りになった。
世界じゅうから人権侵害の報告が出てくると、中国はその評判をなんとかごまかし、新疆の状況から注目を逸らそうとした(P.310)。

ある日の昼食後、携帯電話が振動し、メイセムは画面をたしかめた。アルフィヤと名乗る見知らぬ女性から、微信のメッセージが送られてきた―家族が「ケア」を受けているから「帰国」したほうがいい。
「あなたの家のまわりは最近とてもきれいになりました」とアルフィヤは綴り、実家のある街角の写真を送ってきた。「近所の人たちはあなたのことが大好きなようです。友達も家族も、みんなあなたに戻ってきてほしいと言っていますよ」メイセムは暗灘たる気持ちになった。『アルフィヤ』が政府の諜報部員であることはまちがいなかった。完璧な警察国家はおそらく微信の近況更新の内容をとおして、メイセムへとたどり着いた。当局は秘密の『近況の更新をいつから監視していたのだろう、と彼女は考えた。
「その瞬間」とメイセムは言った。「家族が収容所送りになったと確信しました」(P.370)。

2018年から2019年にかけて行なわれた数多くの研究のなかで、アメリカ国立標準技術研究所などの研究機関は、AIシステムが有色人種や女性に不利に働く傾向があることを一貫して明らかにしてきた。2019年に公表された政府の調査結果によると、アジア系およびアフリカ系のアメリカ人男性のほうが、白人男性に比べてAIに誤認される確率が100倍ほど高いことがわかった。さらに、女性は男性よりも誤認されやすい傾向があった。一方で、中年の白人男性にたいする誤認率はほぼゼロだった(P.429)。

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『お金持ちは合理的』

『お金持ちは合理的』
立川健悟

読後の感想
知人がtwitter(現X)でリポストしていたので読んでみました。
が、まぁ、合理的に考えて、読まなくてもいいかな、、、。

印象的なくだり
お金持ちは「経験の話し方」も違う
また、お金の使い方とは少しずれますが、旅の話をする際にも、お金持ちの方には一般の方とは異なる特徴があるように感じます。
それは話を伝えるときのスタンスです。
普通は「○○へ旅行に行ってきて、△△という経験をしてきたよ」と話すため、自慢話のように聞こえてしまうものです。
しかしお金持ちの方は、そうした内容も話すのですが、それに加えて「きっとあなたなら、△△の□□に魅力を感じて楽しめると思うよ」などと、こちらの利益まで考えて提案してくれることが多いのです(P.051)。

第1章の冒頭で、お金持ちは「お値段以上」の価値が得られる物やサービスにお金を使うとお伝えしました。それと同時に、物やサービスから得られる「情報」や「知識」、そこからつながる「人脈」などの付加価値を引き出すことを意識しています。
たとえば馴染みのないエリアで外食をする際、お金持ちの多くは「ネットやアプリで、そのエリアのお店を調べるようなことはしない」と言います。「その代わりに、まわりの人から勧められたお店に行く」とのこと。
その理由がわかるでしょうか。
自分で選ぶのではなく、人に勧められたお店に行けば、食事をするという通常の価値に加えて「あなたにご紹介頂いたお店に来ています。○○が美味しかったです」という感想を紹介者に伝えることができます。食事代が「人脈」を育むコミュニケーション面での投資にもなるわけです。
さらに、SNSに紹介者の名前を挙げたうえでお店の感想を発信すれば、単なる食事が「情報」としての価値を持つことにもなります。
このように、使ったお金に価値を上乗せしていくことが、お金持ちが行う未来への投資としての「お金の活用法」です(P.161)。

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『獄中日記 塀の中に落ちた法務大臣の1160日』

『獄中日記 塀の中に落ちた法務大臣の1160日』
河井克行

読後の感想
元法務大臣の河井克行氏が収監されていたときの心情を綴った日記。
あおりには「史上初めて、法務大臣が受刑者に。」とあって、法務大臣としての視点とかあったりするのかなぁと思って読みました。
ただ、全体として確定した裁判に対しての態度は非常に悪く、決して好感の持てる印象は受けませんでした。
もちろん、全部がダメではなく、喜連川社会復帰促進センターでの受刑者としての振る舞いは、非常に読みごたえがあり、体験談としては興味深く読むことが出来ました。
繰り返しになりますが、既に公職選挙法違反(買収)で確定している事件についての軽視する姿勢が透けて見えました。
あおりに「法務大臣が受刑者に」とあるので、少なくとも確定判決は尊重する姿勢はほしかったところです。

印象的なくだり
この時の総理のご指示はまことに適切なるものであった。わが国ではあまり知られていないが、米国の政治を真に動かしているのは「キャピトルヒル」、すなわち連邦議会である。
日本の政治家はホワイトハウスや各省の高官とばかり会いたがるが、それはピントがずれている。たとえばホワイトハウスは自力で予算案を議会に提出することができないし、最高裁判事や大使の任命には議会での承認が不可欠だ。政権はその都度、議会に頭を下げなければならない。総理が仰るとおり、役人の前には「elected(選挙で選ばれた)の壁」が厳然と存在するのである(P.072)。

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著者について
河井克行(かわい・かつゆき)
1963年、広島県生まれ。慶應義塾大学卒業後、松下政経塾に入塾。広島県議を経て、96年、衆議院選挙に初当選(広島3区)。外務大臣政務官、自民党国防部会長、法務副大臣、自民党副幹事長、衆議院外務委員長、内閣総理大臣補佐官(外交担当)などを務める。当選7回。第2次安倍政権発足後だけで34回を数えるワシントンDC出張をはじめ、戦略的に重要な国々を駆け回り、安倍晋三内閣総理大臣の“密使”として首脳外交の下支えを行い、第4次安倍第2次改造内閣では法務大臣を務めた。

『組織不正はいつも正しい』

『組織不正はいつも正しい』中原翔 著

読後の感想
 「不正は悪である」というステレオタイプに挑戦し、その背後にある組織の構造や心理的要因を解き明かす内容は、多くの示唆に富んでいます。組織不正を他人事と捉えず、自分たちの身近な問題として考えるきっかけとなる一冊です。
 明快な分析と豊富な事例で納得感が高い反面、議論が専門的になりやすいため、やや難解な部分もあります。しかし、読み応えがあり、考えさせられる内容です。

 本書は、「組織不正」がなぜ繰り返されるのか、そしてその背後にある構造や心理について、具体的な事例を交えながら解説しています。著者は、組織不正が単なる「悪意」や「倫理観の欠如」ではなく、時に組織の「合理性」や「正当性」の枠組みの中で生じることを指摘します。東芝の不正会計や組織内部の統制の問題、さらには多様性が組織不正を防ぐ可能性に至るまで、幅広い視点で議論を展開しています。

 例えば、組織は短期的な利益や目標達成のために、不正行為に手を染めることがあります。しかし、その行為は長期的な視点では必ずしも合理的でありませんでした。
 著者は「非効率性の合理性」や「不正の合理性」という概念を通じて、不正がどのようにして組織内で正当化されるのかを説明しています。
 この「正当化」というのが肝です。従業員の心理としては当然不正は良くないと感じていますが、組織の論理がその不正を正当化してしまうのです。

 また、内部統制は不正を防ぐための重要な仕組みですが、完全ではありません。「監視されているから不正は起きない」という前提は危険であり、時に統制の網目をくぐる形で不正が発生します。
 興味深いのは、アメリカ型不正(利益追求)と日本型不正(会社存続)という対比でした。日本型不正として例に上がっていた東芝の事例では、不正によって得られた利益が組織にとって「小さすぎる」点が問題の本質として議論されています。

 また、組織不正を防ぐ組織作りの可能性として。女性役員やジェンダーの多様性が示唆されていました。組織に多様な視点を取り入れることが、不正行為の抑止力となる可能性がある点は、実務的にも注目すべきポイントでした。

 「発生型不正」(明確な原因がある不正)と「立件型不正」(捜査機関による立件ありきの不正)に分類することで、従来の理解をさらに深めることができました。

 本書の最大の魅力は、「不正」というネガティブな行為を単なる倫理問題として片付けず、その背景や構造にまで踏み込んで考察している点にあります。著者は単に企業の事例を挙げるだけでなく、「合理的であろうとする組織が、なぜ不正に陥るのか」を科学的に分析しており、多くの気付きがありました。
 特に、東芝の事例を通じて描かれる「利益がほとんど得られないにもかかわらず続けられた不正」は、組織が目先の目標やプレッシャーに囚われた結果、非効率的な選択肢を採ることがある点を浮き彫りにしています。
 一方で、現場やリーダーの責任感の欠如、組織内部のチェック機能の限界といった具体的な問題点も明確に描かれており、読者が職場での実践に活かせるヒントが随所にあります。

印象的なくだり
ところで、なぜこのような組織不正があとを絶たないのでしょうか。いくつかの理由が考えられますが、一つには組織が不正をすることによって多くの利益を生み出しやすいと考えられるためです。例えば、不正会計がそうです。本書で言えば、第三章の東芝の不正会計問題です。本来であれば、「短い時間」でそこまで多くの利益を生み出せないにもかかわらず、東芝は不適切な会計処理をすることで短時間に多くの利益を生み出そうとしました。利益の水増しは、多くの利益を生み出すためによく利用される方法です。
でも、組織不正が発覚したあとのことを考えると、多くの人々は「組織不正を避けるべきだ」と考えるのではないでしょうか。あるいは、「組織不正と疑われるようなことはやめよう」と思うのではないでしょうか。
というのは、組織不正がひとたび発覚すれば、企業の株価や評判などは下がりますし、時には多くの罰金を払う必要もあるからです。最悪の場合、企業は倒産してしまう場合もあります。より大きな企業であるほど、倒産した時の影響は計り知れないものですから、あとから取り返しがつかなくなってしまいます。こう考えると、組織不正を行わない方が得策にもかかわらず、それでも組織不正に手を染めてしまう企業が少なくないのです。
本書では、このように組織不正を行わない方が得策にもかかわらず、なぜ組織不正があとを絶たないのかを考えていきたいと思います。とりわけ、組織不正がある種の「正しさ」において生じたものとして考えることによって、組織不正が私たちにとって身近な現象であることを明らかにしていきたいと思っています。詳しくは、本書で事例も交えながら説明していきますので、各章を自由にご覧いただければと思います(P.007)。

内部統制とは、簡単に言えば、組織内部での不正が起きないように、人々を統制(コントロール)する仕組みのことです。
このような内部統制制度は、大企業を中心に積極的に拡充されており、日頃の業務活動がくまなく監視される状況にあると言えます。日頃の業務活動がくまなく監視される状況にあるというのは、私たちが日頃仕事をしている時には必ずと言っていいほど、誰かのチェックを受けなければならず、たった一人で不正を行おうと思っていても、その疑いを指摘されてしまうということを意味しています。
したがって、明確な意図をもって不正を行おうとしていても、結局誰かに指摘されてしまう、あるいは不正が起きる前に「これはおかしい」と書類の修正などを求められてしまうのです(P.024)。

一般的に、組織は合理的に活動することによって物事を前に進めるのですが、合理的に失敗してしまうのです。なぜでしょうか。菊澤先生によれば、この合理的失敗は次の二つが原因となっているとされています。それらは、次のようなものです。
一、たとえ現状が非効率的であっても、より効率的な状態へと変化・変革する場合、コストが発生し、そのコストがあまりにも大きい場合、あえて非効率的な現状を維持する方が合理的となるという不条理〈非効率性の合理性〉
二、たとえ現状が不正であっても、正しい状態へと変化・変革する場合、コストが発生し、そのコストがあまりにも大きい場合、あえて不正な現状を維持隠ぺいする方が合理的となる不条理〈不正の合理性〉(P.041)。

不正会計を、アメリカ型不正会計(利益追求)と日本型不正会計(会社存続)として比べられているのが澤邉紀生先生です。ここでは、澤邉先生の論文から一節を引用してみたいと思います。
アメリカ型不正会計の私利追求という動機、旧来の日本型不正会計のお家を守るという気持は、ともに不正によってそれを上回る利益を得ようとしたという意味で合理的である。しかし、東芝では、会社としても個人としても、誰も大きな利益を得ることがないにも関わらず不正が行われた。通常ならば、善良な市民である優秀な東芝の従業員が、なぜこのような不正に長くにわたって染まってしまったのか、その背後にある構造が現代社会における会計の力を物語っている。
東芝問題の本質を理解するヒントは、会計不正によって得られた利益の小ささにある。2015年7月に公表された第三者委員会報告書によれば、会計操作によってかさ上げされた利益は1500億円程度である。7年間の累積で約1500億円であるから、1年あたり220億円である。同期間の1年の売上高が6兆円あまりであるから、会計操作によってかさ上げされた利益額はその0.3%にしか過ぎない。純利益が約2000億円であるから、1割弱の比率である。1500億円という金額も、220億円という金額も決して小さなものではない。しかし、東芝というブランドを毀損してまでして得られる利益としては小さすぎる。実際に、会計操作の影響を除外して東芝の財務分析を行なっても、全体として大きな違いはない。会計操作をしてもしなくても、東芝全体としての財務状態に大きな違いはなかったのである(P.099)。

つまり、「自分たちの製品はこういう理由で外為法に違反しない」と考えていたとしても、ある日突然、捜査機関によって逮捕や起訴されてしまうことがあるのです。
これは、第一章で述べた「立件型不正」の典型です。組織不正には組織に明確な発生原因のある「発生型不正」だけではなく、捜査機関があらかじめ立件することを決めてかかり、その逮捕や起訴に乗り出す「立件型不正」があります(P.153)。

これは一般的な組織で考えれば、管理者・監督者の判断に対して最終的な決裁権限をもつ人物が部下の判断を鵜呑みにして、そのまま決裁を行うような構図に似ていると思います。最終的な決裁権者は、「部下がそう言っているから」とか「自分は直接管理したり、監督したりしているわけではないから」などと言って、責任を放棄してはなりません。
それは最終的な決裁権者である限り、そこに一人の人間としての判断が必ず介在しているからです。つまり、決裁権者もまた管理者・監督者の一人であり、その自覚をもたなければならないからです。
そういう自覚なしに確認印だけを押すようなことがあれば、一体何のために稟議制度において多段階の確認をしているのかが分からなくなってしまいます。何より管理者・監督者が誤った判断をしていることを想定して最終的な決裁権者を置いている組織が多いでしょうから、その判断を疑う目をもたなければならないのではないでしょうか(P.184)。

ここでは、女性役員と銀行不正の関係を論じているバーバラ・カスの研究を紹介したいと思います。カスは、欧州大手銀行の取締役会の多様性とこれらの銀行が米国政府から科せられる罰金の関係を調べています。
その結果分かったのは、女性役員の割合が多い企業の方が、不正行為に対する罰金額や頻度が減っており、平均して年間七八四万ドルを削減しているという事実です。
この詳細についてカスは、ハーバード・ビジネス・レビュー誌のインタビューにおいて次のように話しています。「結果は明らかなもので、適度に説得力のあるものでした。取締役会に女性の割合が多い金融機関は、罰金の頻度も少なく、罰金そのものも軽いものであったのです。(中略)言い換えれば、取締役会に女性が多かったからではなく、取締役会が全体的に多様性に富んでいたこと、つまり様々な年齢、国籍、役員や非役員を代表するメンバーがいることなどがより良い結果をもたらしたのかもしれません。結局、重要なのはジェンダーの多様性だったということです。ただし、他の多様性も罰金の減額に寄与している可能性を認める必要があります」(P.215)。

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『剣持麗子のワンナイト推理』

『剣持麗子のワンナイト推理』新川帆立著

新川帆立による『剣持麗子のワンナイト推理』は法律の専門知識や弁護士という立場から人間社会の複雑さを解き明かし、読者に倫理的な問いを突きつける。
表面的にはエンタメ小説の形を取りながらも、実際には現代社会における権力、倫理、そして人間関係のひずみを深く掘り下げている点で、他のミステリーとは一線を画している。

主人公・剣持麗子の魅力
剣持麗子は、ただの敏腕弁護士ではない。彼女は、鋭い知性と冷徹な合理性を併せ持ち、常に法律の文脈の中で行動する。
彼女の一貫した姿勢は、法律の役割と限界を読者に示す一方で、彼女自身の人間性の輪郭を浮かび上がらせる。
例えば、冒頭で警察官に対して「権力を持つ者は、自らの権力に無自覚なわりに、権力を妄信している」(P.030)という鋭い洞察は、弁護士という立場から見た社会構造への批判を端的に表している。
このような視点は、読者に法律や権力の在り方を再考させるきっかけを与えるとともに、剣持の性格に深みを持たせている。

本書の中で特に興味深いのは、主人公の倫理観だ。
麗子は「無償で働く優しい人になんか、なりたくない」という独白で、自己犠牲を求める社会の風潮に強く反発する。
これは、多くの読者にとって一種のタブーとも言える感情だが、それを臆することなく吐露する彼女の姿勢は爽快でもある。

この考え方は、現代社会の「弱者性」を盾にした要求や、「善意」の濫用といったテーマを浮き彫りにする。
剣持の冷徹さは一見すると冷酷にも映るが、彼女が語る「真っ当な商売をしている者の肩身が狭くなる」という意見には説得力がある。
この冷酷さの裏に潜むのは、むしろ「公平性」へのこだわりなのだ。
この「公平性」を追求すると、むしろ弱い立場に置かれるものが不利になるように思うが、法律が担保している公平性とは「機会の公平性」であって「結果の公平性」ではないのです。

麗子自身もまた、完璧な正義の体現者ではない。彼女は時に迷い、時に妥協する。
だがその姿勢こそが、読者に「正しさ」についての多様な視点を提供している。

また、作中では「直接会って話したがるクライアント」への苛立ちや、メールを通じた効率的なコミュニケーションの推奨など、日常の中での人間関係の煩雑さや効率化のジレンマも扱われている。
これらの描写は、麗子が現代的な視点を持つ弁護士であると同時に、読者が共感しやすいキャラクターであることを示している。

剣持麗子というキャラクターを通じて、読者は自分自身の「正しさ」と向き合うことを余儀なくされるだろう。

印象的なくだり
弁護士は警察捜査をスムーズに進めるために存在するわけではない。私を現場に呼んだら、より厄介なことになるとは考えないのだろうか。
きっと考えないのだろう。
権力を持つ者は、自らの権力に無自覚なわりに、権力を妄信している。周りの者たちは当然のように指示に従い、協力してくれるものと思っている。反抗的な態度をとると、「まさか、信じられない」という態度を示すのだ。
協力してもらって当たり前、反抗的な者には容赦なく権力を振りかざす(P.030)。

黒丑の件は、報酬目当てで働いたわけではなかった。警察の対応に腹が立っただけだ。だが働いた以上は報酬を払ってほしい。
世の中の人はそんなことも分からないのだろうか。
無償で働く優しい人になんか、なりたくない。
困っているから、お金がないから助けてくれと言ってくる人たち。その図々しさに虫唾が走る。力を持っている者には何を言ってもいいと思っているのだ。弱者の脅迫、大嫌いだ。脅迫に応じる心優しい人たちのことも嫌い。そういう人がいるから、真っ当な商売をしている者の肩身が狭くなる(P.079)。

メールでやりとりしたほうが話が早いことも多い。事務手続は口頭で説明しても伝わりづらいのだ。メールで要点をまとめて、必要な書類のフォーマットを送ってやったほうが親切である。だがたいていのクライアントは、直接会って話したがる(P.131)。

「こうすれば儲かると分かっていても、それはやってはいけないという境界線があるのよ。普通の人は境界線で立ち止まって引き返す。それなのに私は、突き進んでしまったのよ」
容子は死に、牧田原には前科がついた。瀬戸は保険金を手に入れたが、すぐに夫の会社が倒産し、会社の債権者への支払いで手元には一円も残らなかった(P.224)。

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