『透明な螺旋』

『透明な螺旋』東野圭吾

読後の感想
東野圭吾の最新作『透明な螺旋』は、人気シリーズ「ガリレオ」における主人公・湯川学の人間性に深く迫りつつ、推理小説としてのスリルと仕掛けを提供しようと試みています。しかし、本作は推理部分において期待を裏切る面もあり、これまでのシリーズとは異なる読後感をもたらします。湯川学という個性が際立つ一方で、物理学的要素を巧みに絡めたトリックが少なく、従来のガリレオシリーズとは一線を画す仕上がりです。

まず、本作のタイトルにある「透明な螺旋」は、DNAの二重らせん構造と血縁関係のないことを暗示していると考えられます。DNAに象徴される「見えない繋がり」が、登場人物たちの人間関係や複雑な家族の絆にどのように影響を与えているかが物語の重要なテーマとなっています。しかし、タイトルに込められた謎解きのヒントに期待しすぎると、推理小説としてはやや凡庸さを感じざるを得ません。本書は心理描写や人間関係の複雑さに焦点を当てており、これまでのシリーズで描かれた科学的なトリックが控えめな点は賛否が分かれるでしょう。

主人公の湯川学は相変わらずのカリスマ性を持っていますが、その個性が強調されすぎてしまったことで、肝心の推理が彼のキャラクターに埋もれがちです。本作では、「ピンクと青の人形」や「男女どちらとも解釈できる名前」などがヒントとして登場し、湯川はこれらに翻弄される形で謎解きに挑みますが、読者にとってこれらのヒントが物理学的視点と直結しないため、物理学者としての湯川の切れ味がいまひとつ発揮されていません。シリーズファンとしては、物理の知識を駆使した湯川の推理が物語を牽引していくのが「ガリレオ」シリーズの魅力でしたが、今回はその点で物足りなさを感じてしまうかもしれません。

物語が提示する仮説も、物理的・科学的な根拠が弱く、事件の推理が湯川らしい理論的な思考で展開されないため、シリーズとしての魅力がやや薄れてしまった印象です。ガリレオシリーズにおける「科学捜査」の要素が薄れ、湯川のキャラクターそのものに頼っている点は、ファンとしては期待と異なる部分かもしれません。

一方で、湯川学の人間的な側面を深掘りする展開は本書の見どころの一つです。彼の知的な分析や冷静な思考に裏付けられた人間観、特に人と人との絆や距離感についての考えが色濃く描かれており、湯川をより人間らしく描くことで、推理小説という枠を超えた人間ドラマとしての厚みが増しています。湯川の人物像に迫る点で、本書はシリーズに新たな側面をもたらしたともいえます。湯川が抱える葛藤や、その背景にある過去の事件と現代の事件との繋がりが彼の内面にどう影響を与えているのかを読み解くことで、新たな魅力が感じられるでしょう。

また、短編「重命る」に比べると、推理のしっかりとした組み立てが弱いと感じる点もあります。「重命る」は短編でありながら、密度の高い謎解きと湯川のキャラクターが際立っており、東野圭吾ならではの緻密なプロットが見事に生かされています。それに比べると、『透明な螺旋』は長編としてのスケールはあるものの、推理小説としての緊張感や構成力においては短編の良さを超えていないと感じられる部分もあり、やや冗長さが残る構成です。

『透明な螺旋』は、ガリレオシリーズとして新たな試みをしつつも、これまでのシリーズと比較すると、推理小説としての印象は薄く、むしろ人間ドラマとしての側面が強く出ている作品です。湯川学の人物像により深く触れたいファンには新鮮な一作であるものの、湯川の鋭い推理が繰り広げられるスリルを求める読者には少々物足りないかもしれません。

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『地面師たち ファイナルベッツ

読後の感想
『地面師たち ファイナルベッツ』は、登場人物が次々と転落し、追い詰められていく心理描写が圧巻のクライムサスペンスです。
特に主人公的な立ち位置である稲田の精神的な変容が見どころで、最初はまだまともな感覚を持ちながらも、徐々にその倫理観を失っていくさまが怖ろしいほどに描かれています。
この物語が進むにつれ、稲田は数々の犯罪に手を染めていき、狂気と欲望の狭間で揺れ動きます。
作品を通じて、人間が持つ脆さや歪みが浮き彫りにされ、読者は手に汗握る緊張感を味わうことができます。

特に替え玉が致命的なミスを犯し、交渉相手の疑念が一気に膨れ上がる場面は、物語の真骨頂と言えるでしょう。
相手に「流れ」を奪われたとき、その状況を覆すのがいかに難しいかを著者は見事に表現しており、交渉ごとにおける緊迫感がリアルに伝わってきます。
一度形成された流れはそう簡単に変えられず、それがビジネスや犯罪の世界でいかに重要かを感じさせられるエピソードです。

また登場人物が頭の中でドラマキャストに置き換わりながら読んでしまうのも、この物語の強い魅力とリアリティゆえでしょう。
ハリソン山中や辻本拓海といったキャラクターがドラマのキャストである豊川悦司や綾野剛に重なるように、視覚的にも臨場感が伴っていました。
特にサクラの描写にはイメージが広がり、池田イライザのような印象が際立ちます。

ただし、登場人物の一人・マヤについては、ハニートラップを仕掛けて性的な場面を利用するという強引な手法がやや目立つ印象を受けました。
彼女が記号的で万能すぎるキャラクターに感じられる部分もあり、狙った相手を確実に落とす手段が同じパターンに頼りすぎているようにも見えます。

本書で特に印象に残ったのは、目的のためには手段を選ばない人々の非情さです。
快楽に溺れるターゲットの川久保を操るマヤや、冷徹な交渉術を操るハリソン山中の姿が、不気味な存在感を放っています。
また、「金がすべて」という価値観が浸透した世界のなかで、弱者の心理や人間の欲望の描写が生々しく、現実のビジネス社会を風刺する要素も見受けられます。
キアスというシンガポールの俗語も効果的に使われ、登場人物たちの野望と競争心が表現されているのも印象的です。

『地面師たち ファイナルベッツ』は、金と欲望に支配された現代社会の裏側を赤裸々に描き、読者に深い余韻と警鐘を残す作品です。

印象的なくだり

ハニートラップにかけられているとも知らず、快楽に溺れる川久保に同情するというより、リー・クアンユーのように目的のために手段をえらばないマヤやハリソン山中という人間が不気味だった(P.067)。

まだ稲田がまともな感性をしているときの描写。このあたりのエピソードは、読者は稲田に親近感と好感を抱くエピソード満載で、珍しくほっこりする部分です。

「宏彰さん、俺も一枚もらっていい?」
白地の名刺を受け取って見ると、それらしい偽名と社名に代表取締役の肩書、シンガポールの住所、携帯電話などの連絡先が日本語と英語で記されている。奇妙なのは、名刺の一辺に切れ込みがあり、袋状になっている点だった。
「なんで、こうなってんの?」
細工がほどこされた切れ込みの部分をしめす。
「名刺なんて渡されて喜ぶの、就活中の学生くらいでしょ。こんな中年のオッサンなんか、普通は相手にされないじゃん?」
「オッサンには見えないけどな」
細い体にフィットしたネイビーのジャケット姿は若々しい。それに感化され、いま身につけている自分のスーツも、シンガポールのオーチャードロードにある宏彰のなじみの店で仕立ててもらった。
「ところが、こん中に万札を何枚か仕込んどくと、ドラえもんのポケットみたいにミラクルが起きる」
「なるほど」
露骨な力技に笑ってしまった。
「でもさ、さっきの娘にしたって、若い客室乗務員ってだけで、いろんな客からちょっかい出されまくってるわけよ」
宏彰の話しぶりに興が乗ってくる。
「少ない給料で面倒臭い客をいなし、先輩のいびりに耐え、大森町のワンルームアパートに帰っても、合コン用のファッション代を捻出するために、深夜のコンビニで買った春雨スープで空腹をしのがなきゃなんない。そんなときにさ、機上の客からもらった名刺に乗務手当何回分かの万札が入ってるのに気づいたら、ヌレヌレになって、感謝のメッセージのひとつも送りたくなるのが人情ってもんじゃない」
宏彰はしたり顔で、
「やっぱり金なのよ。この世はどこまでも」
と、シャンパングラスをかたむけた。
(P.086)。

CAさんの生活の解像度が高すぎなんだけど、実際の取材の賜物なのだろうか。

「ケビンは、『キアス』な感じないもんね」
キアス―シンガポール人の国民性をあらわす俗語としてしばしば使われる。よく言えば、他人に先んじてチャンスをつかむといった競争心や上昇志向、悪く言えば、他人より劣っていたくないといった虚栄心や優越感といった意味合いになるだろうか。父がまさにキアスを体現していた。父の血が流れている自分にも、深いところでキアスが根を張っているのかもしれないが、キアス的な振る舞いは無自覚のうちに避けてきた。(P.154)。

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映画『シャイロックの子供たち』

映画『シャイロックの子供たち』を鑑賞しました。
銀行を舞台にしたクライムエンターテイメントで、主演の阿部サダヲが持つ独特の存在感が作品のトーンを変えているのが印象的です。
現実味が強くシリアスな設定でありながら、阿部サダヲの演技によって硬派な雰囲気が和らぎ、ある種の軽妙さが加わっています。このキャラクターの存在が、金融サスペンスでありながらもエンターテイメント性を高め、物語全体に親しみやすさを与えていました。

物語は銀行内で発生した現金紛失事件をきっかけに進行します。内部の過去の横領や不正が明らかになっていく展開は、銀行という清廉さを求められる職場の裏に潜む人間の欲望がリアルに描かれています。
しかし、単純に「お金が欲しい」という動機ではなく、登場人物の欲望が競馬に集中しているのが面白いポイントです。このギャンブルの執着が、人物の動機を記号化し、軽妙さを漂わせていて、観客もどこか滑稽な印象を受けてしまいます。金銭目的が絡む犯罪でありながら、どこか風刺的でユーモラスな雰囲気が感じられる点は、本作の特徴と言えるでしょう。

また、タイトルにある「シャイロック」は、シェイクスピアの『ベニスの商人』に登場する高利貸しのキャラクターです。この設定により、金融業に携わる人々が金銭を巡る冷徹さと無情さを内包する職業であることが暗示され、観客は銀行員たちが心の奥底に抱える「シャイロック的」な性質を見出します。銀行員の仕事の中でお金が絡む事件が発生することで、彼らが抱える葛藤や欲望も浮き彫りにされ、シェイクスピアの原作のテーマと重ね合わせた皮肉が込められているように感じました。

一方で、設定には少し「?」と思う点もあります。ヤミ金が契約書を作成するシーンや、銀行が抵当権抹消登記に必要な印鑑証明書の期限を切らしてしまう場面など、現実の銀行業務を知る人には不自然さが目立ちました。ヤミ金が契約書を交わすのは現実離れしていますし、銀行が重要書類の管理でミスをするのも通常ではあり得ないことです。こうしたリアリティの欠如は一部観客にとって気になるかもしれませんが、エンターテイメントとしてフィクションの自由を楽しむ要素として見ることもできます。

本木克英監督は、これまでも『超高速!参勤交代』や『釣りバカ日誌』シリーズといった幅広いジャンルの作品で知られており、ユーモアと人間ドラマを融合させる手腕に長けています。社会の中で人々が抱える葛藤や人間関係の微妙な機微を描くことに定評があり、本作でもその持ち味が十分に発揮されています。銀行という堅い世界を舞台にしながらも、コミカルさや人間らしさが随所に散りばめられているのは、本木監督ならではの演出力といえるでしょう。

総じて、『シャイロックの子供たち』は、銀行内部の事件を通して人間の欲望や利己心が描かれる一方で、阿部サダヲが演じる主人公の存在が作品を軽妙に仕上げており、重苦しいだけではない、エンタメ性の強い作品となっています。銀行業務のリアルさに一部違和感があるものの、その分映画的な楽しさを優先した作りとなっているため、観客を飽きさせることなく引き込む魅力が感じられました。本木監督の過去作と比較しながら観ることで、さらに作品の奥深さとユーモアを味わえる一作だと思います。

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『「100万円戸建て」からはじめる不動産投資入門』

読後の感想
黒崎裕之著『「100万円戸建て」からはじめる不動産投資入門』は、これから不動産投資を始めようとする読者に向けた実践的なガイドブックです。
著者は不動産の購入から修繕、管理、そして売却に至るまで、投資の基本的なステップを分かりやすく説明しながら、特に初心者が陥りがちな「分析マニア」「勉強マニア」と呼ばれる過度な勉強の罠を指摘しています。本書では、不動産投資の成功に必要な要素として、「まず買うこと」に集中する重要性を強調しています。
よくわからん大家さんのセミナーに行くよりは、1650円の本で同じことが書いてある本書の方が圧倒的に優れています。

最も印象的なのは、不動産が「変化に強い」投資対象であるという点です。
株式市場が急変した場合、株価が大きく下落するリスクがあるのに対して、不動産は急激に価値がゼロになることは稀であり、特に住居系不動産は生きるために必要不可欠であるため、安定的な収入源として有望であることが説明されています。

また、本書のタイトルにもある「100万円戸建て」という低価格物件を利用した投資手法は、読者に「安く買うこと」の重要性を説いています。
タイトルの付け方、人目を引くキャッチーな方法は非常にうまいですね。さすがです。
不動産投資で収益を上げる方法は複数あるものの、戸建て投資においてはまず最初に「安く買う」ことが成功の鍵であり、これができなければ大きな利益を上げることは難しいと著者は語ります。
修繕や管理の費用は当然発生しますが、初期投資の抑制がその後の収益性に大きく影響するという実践的なアドバイスが具体的に示されています。

不動産投資のリスクとメリットを丁寧に解説し、特にこれから始めようとする人々にとって有益な知識を提供するこの一冊は、慎重な投資計画を立てつつも、まず一歩踏み出すことの重要性を読者に強く伝えています。
著者自身の経験に基づく実例や具体的なアドバイスが随所に散りばめられており、リアリティのある学びが得られるでしょう。

ただ、注意点として「100万円では済まない」ことだけは強調しておきます。
「100万円」というのは不動産の売買価格であり、仲介費用、登記費用、登録免許税、不動産取得税、リフォーム費用と全部合わせると倍以上になるので注意が必要です。

印象的なくだり
あらゆる変化に強い
不動産投資のもう一つの魅力は「変化に強い」ことです。
コロナショックのようなパンデミックや、かつてのリーマンショック並みに未曾有の経済危機が起こった場合、株価は大幅に下落したり、場合によっては投資した会社が倒産して紙切れになるリスクもあります。しかし、不動産はいきなり家賃が半額になったり、物件の価値がゼロになったりはしません。現在、コロナショックの影響でテナント系の不動産は売上が落ちていますが、住居系には大きな変化はありません。それは、生きるのに必要不可欠だからです(P.090)。

集中すべきは買いの1点のみ
不動産投資で成功するためには、まず「買い」に集中しましょう。
というのも、不動産投資では管理や修繕、売却など勉強することがたくさんあるため、買いに集中しないと力が分散して、いつまで経っても買えずにスタート地点にすら立てない人を多く見てきたからです。
不動産投資初心者には「分析マニア」「勉強マニア」と呼ばれる方々がいます。彼・彼女たちは勉強熱心ではあるものの、いつまでも実践に移せず、物件を購入できないまま何年も経ってしまう人たちのことです。勉強は大切ですが、それに何年も要しているのであれば、精神的に負担にならない金額でまず買うべきです。買わなくては何もはじまりません(P.108)。

安さこそすべてのソリューション
不動産投資で収入を伸ばすための方法は5つあります。
「安く買う」「安く修繕する」「高く貸す」「高値で売る(購入してすぐ売るのではなく、数年所有しての売却を指します)」「税金対策をする」です。ただ、戸建て投資において一番重要なのは、何より「安く買う」が大前提です。ここを失敗すると、大きく儲けるのはかなり難しいといえるでしょう。たとえば「安く修繕する」でいうと、古い物件は修繕しなくては人が住めません。
また、管理会社も新しくてきれいな物件のほうがトラブルになりにくいので、できるだけ修繕をするように言います。これは私の経験上間違いありません(P.124)。

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『サクッと分かるビジネス教養東南アジア』

『サクッと分かるビジネス教養東南アジア』

『サクッと分かるビジネス教養 東南アジア』は、東南アジアに関わるビジネスパーソンに向けて、地域全体の文化、経済、歴史などを分かりやすく解説する一冊です。
この地域に出張する機会の多い現代のビジネスパーソンにとって、東南アジアの国々は多様な文化的背景や社会制度を持つ魅力的な市場であり、この本はそのような背景を理解するための手助けとなるでしょう。
著者は、地理的、宗教的、経済的な視点を通して、東南アジアを総合的に捉え、読者が実務で役立てられる知識を提供しています。

出張の際の服装の重要性
まず印象的だったのは、東南アジアでのビジネスマナーに関する具体的なアドバイスです。
特に「出張の際の服装」についての記述(P.027)は、日本人ビジネスパーソンにとって参考になる内容です。熱帯地域である東南アジアでは、エアコンが効いた室内で働くことがステータスとされ、現地のビジネスマンはジャケットやネクタイを着用することが一般的です。
これに対し、日本からの出張者が半袖のシャツ一枚で訪れると、場違いな印象を与えかねないという指摘は、ビジネスシーンにおいて軽視できないポイントです。
私は東南アジアには旅行者としてしか行ったことがないのですが、確かに官庁街(特にベトナムのハノイでは顕著だった)では、靴を履いている人=エリートという感じでした。

このような細やかな服装の配慮は、単に見た目の問題だけでなく、ビジネスマナーの一環としても非常に重要です。
現地の文化や習慣を尊重し、その場に適した服装を選ぶことは、相手に対するリスペクトを示すことに繋がります。
特に、初めてビジネスで東南アジアを訪れる際には、事前の確認を怠らないことが重要です。
この本は、そうしたビジネス文化の違いを具体的な例を挙げて説明しており、読者が実際のビジネスシーンで役立てやすい知識を提供しています。

東南アジアにおける仏教の影響
次に、東南アジアにおける宗教の影響も詳しく説明されています。
特に仏教に関する章(P.032)は、東南アジアの文化的背景を理解する上で重要です。
インドで生まれた仏教が、ブッダの没後に大乗仏教と上座部仏教に分かれ、それぞれが異なる地域に広がっていった過程が簡潔にまとめられています。
大乗仏教が中国を経由して日本やベトナムに伝わった一方で、上座部仏教はインドから東南アジアの国々に広がりました。

特に上座部仏教の影響を強く受けた国々では、出家や修行が非常に一般的な慣習とされています。
黄衣をまとった修行僧が托鉢をする光景は、東南アジアの街中で頻繁に見られる風景であり、これは地域の宗教的、精神的な価値観を象徴するものです。
こうした宗教的背景は、ビジネスにおいても重要な意味を持ちます。
例えば、僧侶や宗教施設への接し方など、現地の宗教的感情を理解し尊重することが、ビジネス関係を良好に保つために必要です。私も旅行中に見た電車やバスの中で「僧侶ファースト」と記載され、敬意を払っている様子を見受けました。少なくとも他国の人が敬意を払っているものに対しては、軽んじることは避けるべきですね。

さらに、仏教が個人の修行や救済を重視する上座部仏教の影響は、ビジネスマインドにも反映されているかもしれません。
個々の努力や自己規律が重んじられる社会では、自己成長や責任を重視する文化が育まれており、これが現地のビジネス習慣や仕事の進め方にも影響を与えている可能性があります。
東南アジアでのビジネスを成功させるためには、こうした宗教的・文化的背景を深く理解し、適切に対応することが求められるのです。

インドで生まれた仏教は、ブッダの没後、大乗仏教と上座部仏教に分離しました。多くの人が救われることを理想とする大乗仏教に対し、上座部仏教は個人が修行をして自力で救済されることを理想とします。大乗仏教は、中国に伝わり、朝鮮、日本、ベトナムに伝来。上座部仏教は、インドから南東方向に伝播しました。上座部仏教の国では、多くの人が「一度は出家・修行すべきだ」と考えており、黄衣をまとった修行僧が托鉢をする光景が、街中で見られます(P.032)。

教育の格差と識字率
東南アジアの教育に関する章も、非常に興味深い内容です(P.046)。
多くの国で識字率が90%を超えている一方で、依然として教育の格差が存在しており、教員や学校の不足が経済成長の足かせとなる可能性が指摘されています。
具体的な識字率のデータを挙げることで、各国の教育レベルの差が浮き彫りにされています。

例えば、ベトナムやタイの識字率が90%を超えている一方で、ラオスやカンボジア、ミャンマーでは80%前後、東ティモールでは68.1%と、国によって大きな差があります。
これらの違いは、経済発展や産業の発展にも直結しており、ビジネスパーソンが東南アジアで事業を展開する際に無視できない要素です。
識字率が低い国々では、労働力の質や教育レベルに注意を払う必要があり、それが事業戦略にも影響を与えるでしょう。

また、この教育格差は、東南アジア全体が経済的に発展する中で、国際的な競争力に影響を与える要因ともなります。特に、技術革新や情報化が進む現代において、教育の普及とその質の向上は、各国がグローバル市場で競争力を保つために不可欠な要素です。この本を通じて、東南アジア各国の教育状況を把握することは、ビジネスの戦略を立てる際に非常に有用です。

参照として、ユニセフの統計データです。
「表11:教育指標」に識字率があります。2023年はラオスは「データなし」になっていますが、、、。

ASEANとその課題
ASEAN(東南アジア諸国連合)の役割とその特異な運営方式「ASEAN Way」に関する章も、非常に読み応えがあります(P.075)。
ASEANは東南アジアの政府間組織で、10カ国が加盟しており、年に2回の首脳会談や閣僚会議を通じて、経済や軍事、教育など幅広いテーマについて協議されています。
ASEANの特徴は、全会一致や内政不干渉を原則とする緩やかな協力体制です。
この「ASEAN Way」は、加盟国が対等であり、他国の内政に干渉しないという原則に基づいています。
このため、文化的・政治的に多様な国々が協調し合うための柔軟な枠組みとして機能しています。し
かし、全会一致が必要なため、たった一国の反対で意思決定が遅れることもあり、時には機能不全に陥るリスクも指摘されています。
たとえば、2006年に軍事政権下のミャンマーが議長国となった際には、人権侵害を問題視した欧米諸国がASEANとの会合をボイコットする事態が発生しました。
この例は、ASEAN Wayの限界を浮き彫りにしています。
ASEAN Wayは、一見して柔軟で協調的な制度ですが、国際的な圧力や加盟国間の政治的対立が生じた際には、その緩やかさが足かせとなることもあります。
しかし、文化や歴史、政治体制が異なる国々が協調していくためには、こうした緩やかなルールが不可欠であるという現実もあり、ASEANがどのようにしてそのバランスを維持していくかが注目される点です。

メコン川を巡る地政学的問題
最後に、メコン川を巡る地政学的な問題(P.087)も、東南アジアの国際関係を理解する上で重要なトピックです。
メコン川は、東南アジア大陸部の5カ国(ベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ミャンマー)にとって、農業や漁業のための重要な水源です。
しかし、近年、中国がメコン川の上流に次々とダムを建設しており、その影響で下流域の水位が低下し、淡水漁業や農業に深刻な被害をもたらしています。

この問題は、東南アジアの国々が共同で水資源管理を行うために設置されたメコン川委員会でも解決が難しい問題となっています。
特にラオスは多くの支流を持ち、水力発電に有利な立場にありますが、中国との関係が複雑化しているため、これが地域全体の経済的安定にも影響を与える可能性があります。こ
うした地政学的な問題は、単に環境問題にとどまらず、地域全体の経済や安全保障にも関わる重要なテーマです。

国際河川であるメコン川でのダム開発には、メコン川委員会での関係国との利害調整が必要です(事実上不可)。支流を多く持つラオスが水力発電で有利なのはこのためです。同委員会に入っておらず、上流にダムを次々と建設する中国(P87)は、ラオスをはじめメコン川中下流域国との関係を複雑化しています。
ラオスは5ヵ国に囲まれた国です。カンボジアと同じく親中国であり、ラオスと中国の間には高速鉄道が建設されています。同じ社会主義国であるベトナムを、発展を成功させた兄貴分として慕っている一方、民族的に近く、相互に言語が通じるタイとの関係は、ベトナムほどではありません(P.133)。

ラオス人民軍博物館を訪問したときに、ラオス独立の歴史の展示を見てきました。そこにはベトナムの国旗があちこち飾られており、ラオスとの密な関係性が伺えました。
特に、独立時に支援してくれたベトナムとは、日本的な用語を使えば「苦楽を共にした」感じになるのかもしれないですね。
とはいえ、ホーチミンルートの関係で大量の地雷を残されたラオスとしては愛憎混じった複雑な感情なのかもしれません。

まとめ
『サクッと分かるビジネス教養 東南アジア』は、東南アジアの多様性を理解するための非常に有用なガイドブックです。ビジネスパーソンに必要な知識を幅広く提供し、文化的背景や歴史、経済状況を通じて、東南アジア各国とのビジネス関係を成功させるための視点を与えてくれます。特に、出張時の服装や宗教的背景、教育や政治の問題、環境資源に関する課題など、具体的な事例を挙げながら、読者が現地で直面する可能性のある問題に備えることができるようになっています。

この本を手に取ることで、東南アジアにおけるビジネスチャンスを最大限に活かすための準備が整うでしょう。地域の複雑な問題を理解し、適切な対応をするための第一歩として、この本は非常に価値ある一冊です。

どっとはらい

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