映画『靖国YASUKUNI』とかのお話

ムニャムニャ…もうお腹いっぱい(挨拶
そんなこんなで考えたこと。

映画『靖国YASUKUNI』とかのお話。

03月12日
稲田朋美衆議院議員をはじめとする国会議員からの要請、配給会社が試写会
03月19日
上映予定の新宿バルト9が中止を決定
03月20日
上映予定の銀座シネパトスに街宣車などの抗議
03月27日
上映予定の銀座シネパトスが中止を決定
03月31日
上映予定の渋谷Q-AXシネマ、シネマート六本木、シネマート心斎橋が中止を決定

まぁ、抜けとかがあるかもしれませんが、なるべく客観的な事情だけ抜き出し。
脊髄反射的に「自由が~」と憤っても仕方ないので、ちょっと整理。

当たり前なのですが、自分自身はこの映画を見ていないので、公式サイト(こちら)からの情報及び、映画を見た感想を述べているラジオ番組「ストリーム」の内容から判断しました。

↑注意、音が出ます。

こういったときに、どうやって考えるかというと、自分は「誰の、どんな人権が、誰によって制限され、その制限は方法として適当か」という観点から考えます。ベタですが。

で、この場合「映画制作者の」「表現の自由(報道によるとドキュメンタリーらしいので精神的自由と経済的自由の両方)が」「配給会社の」「上映中止という方法」によって、制限(侵害ではないな)されてる、と。
まぁ、私人同士なんで憲法が直接出張ってくる場面ではないけど、一応。
そんなこんなですが、果たして配給会社の制限が不当なのか、と考えるのですが、結論というは「そうかな?」ってところです。

まぁまぁ、確かに映画制作者の表現の自由もそりゃあ尊重に値するのですが、配給会社もボランティアではありません。
そりゃあ、映画館にちょっぴり怖い人がゴラァァといってくれば迷惑だし、配給会社も面倒なほうを避けたいでしょ?
映画配給制度が、配給会社が映画作品自体の権利を買い取り(借受?)して上映する以上、どんな映画を上映するかは配給会社にも一応は選択の自由は保障されてしかるべきです。
(余談だけど、大衆受けする映画ばっかりになったのは、観客のほうにも責任の一端はあると思うけどね)
だったら、抗議が来るような面倒な作品よりも、適当なラブロマンスとかを上映するのも、ある意味自由であるはずです。

そんなこと言っても表現の自由が侵害されているじゃないか?、との反論もあろうけど、そりゃあ映画という手法を採ったから。
映画館を通さない方法、例えばDVDとかネット配信は可能なわけだから、代替手段はあるのでええじゃないか、と。
確かに映画という表現方法は、歴史的にみて、思想を流布するのにうってつけな媒体ですが、もうそんな時代じゃない気がします。

結論としては、映画館で上映という方法をとるなら、相手さん(映画館や配給会社)も商売だから、しゃあない、というところでしょうか。

仮に、仮にだけど、くだんの国会議員が「事実上の影響」までをも予想して、試写会を要求してたとしたら…
ちょっとお友達にはなれそうもありません(笑
また逆に、要求したことやその影響についてまで考えていなかったとしたらならば…
ちょっと知性が足りないカモ(苦笑

いずれにせよ、話を聞く限りでは僕のアンテナにビビッ(死語)と来たので、DVDなり何らかの方法で観てみたいと思います。
観たら感想が感想も書きたいなぁ。

「映画『靖国YASUKUNI』とかのお話」への3件のフィードバック

  1. つき指の読書日記(140)

     大江健三郎『沖縄ノート』(岩波新書)への旧帝国軍人の起こした名誉毀損の民事裁判で、被告大江氏に対し一審・地裁で無罪判決が出た。歴史事実に対しては氏がそう判断、論じても当時の状況下では問題ないとした内容である。明らかに史実がそうでない以上は、前に書いたように、教科書検定にまで野党が政治的圧力をかけるのはいかがなものか。
     確かに歴史認識には、残念ながら時の勢いというものがある。いまでこそ自虐史観と認識され、しかも他国の史料が一部は公開され、そのことを多くの国民が明確に知り得るようになった…

  2.  問題になっているみたいですね~。
     しかし、予告とか見ていて、一度見てみたいと思いました。
     先日、靖国神社に行ってきましたが、俺自身は、日本人としての感覚を味わいました。
     しかし、ここには、いろんな立場の思いがあちこちにあるのが現実なところですね。
     しかし、やはり、一度見てみたいと思います。
     監督と配給会社の関係はどうなんでしょう?確かにそうかもしれないですね。
     こういったところから見ると、わかります。他の手段でもできるとは思います。しかし、この背景には、他には理由がないのだろうか?何かが働いている?っとも。きりがないですが(笑)

  3. ふくしげさんのわかりやすい解説で今回の問題点が理解できました。
    話題性を持たせたあまり反響が大きくて、制作会社が設け損ねた、ってことですよね?
    思想、哲学的な立ち位置であれば、今の世の中、YouTubeとかニコとかありますから、布教活動も楽なはずでは?
    #ちょっと斜に構えてみました ^^

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