『ウェブ人間論』
新潮社
梅田望夫, 平野啓一郎
読後の感想
梅田さんも平野さんもいいことを仰っているんだけど、いかんせん対談形式ということで内容がすこぶる薄いです。別の著作(たとえば『ウェブ進化論』とか)を読まないと話してる内容の背景が分かりにくいのが難点といえば難点でした。
同じものについて異なった視点からの見方はとても有意義で新しい発見でした。
印象的なくだり
梅田
前半生と後半生の区切りだと思い、「自分より年上の人と過ごす時間をできるだけ減らし、自分より年下の人。それも一九七〇年以降に生まれた若い人たちと過ごす時間を積極的に作ることで次代の萌芽を考えていきたい」という決断をしたのですが、背中を押してくれたのは『葬送』にあった言葉でした。主人公のドラクロワが、自分の絵が未来に残るためには自分より若い人たちが評価してくれなければならない、と確信する場面があったと思いますが、あれにすごく啓示を受けた。ああ、自分がこれからやろうとしていることは間違ったことではないんだなと感じました(P013)。
平野
たまたまオレが知らなくて、オマエが知ってることだな、くらいにしか感じないのかもしれない。その相似、あるいは相違が何を意味しているのかというところまで、キチンと議論を掘り下げなければ評価されないでしょう。これは僕は、いいことだと思いますね。作家でもアカデミックな世界の研究者でも、知ってる、ということだけでは、もう威張れない(P025)。
梅田
グーグルが実現させるぞと表明している目標の中で、彼らが言うほど簡単にはできないだろうと僕が思っているのは「翻訳」ですよ(P036)。
梅田
たとえば、インターネットの特性を利用して逆に身を守る方法はないか、と考えるんです。
平野
それはどういう意味ですか?
梅田
たとえば「膨大=ゼロ」と考えてみることから出発します。全部がオープンになっていると、逆に誰も全文は読まないんだと。つまり、ある事柄について情報がオープンになっていて、それを全部読めるとなったら、十万件、百万件の情報全部を読む人はいないですよね。だからその中に紛れてしまえば消えてしますと考えるんですよ。
それから、工夫するんです。子供の名前を有名人と同じ名前にしておけば、隠れ蓑になって検索エンジンに引っかかんないんじゃないか、とか(P101)。
梅田
新しい時代を生き抜く哲学なのか、生き方なのか、まだわかりませんが、ネット世界の存在を含めた新しい環境下では、平野さんの仰るところの、「リアルの現状を改善する方向へ努力しなさい」というテーゼより、「今の環境が悪いんだったら、他の合う環境を探して、そちらへ移れ」という方が時代に合った哲学のような気がしています(P169)。
平野
ネットには何故飽きないかというと、自分で情報を取捨選択しているからなんでしょう。本は、面白くない箇所もありますから、途中でイヤになることもあるけれど、実はそここそが、肝だったりする。良くも悪くも、情報をリニアな流れの中で摂取するしかない。ネットはどうしても、面白いところだけをパパッと見ていく感じでしょう?それで確かに刺激はありますけど、なんとなく血肉になりきれない感じというか。僕の関心が、どちらかというと人文系のものに偏っているからかもしれませんが、今のところは、紹介程度のものとして読んでいる感じがまだありますね(P173)。
過去に読んだ同じ著者の本
『ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか』感想はこちら
『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』感想はこちら