『若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来』
光文社
城繁幸
読後の感想
今まで新入社員の離職率が下がってきたのは、単に我慢とかの問題かと思っていましたが、年功序列精度の崩壊を読み、それが誤解であると気づきました。
なんにせよ、他者を犠牲にして成り立つ制度には、致命的な欠陥があるのですが、その解決のきっかけにまで触れられれば良かったのですが。
印象的なくだり
大企業の人事部には、サラ金から従業員への返済催促の電話が代表番号経由でしょっちゅうかかってくるが(こういう誰の担当か曖昧な業務はたいてい人事部に回される)、ほとんどの場合「ああそうですか」で終了だ(P020)。
自身がせっかくいい大学を出て、有名企業に正社員として入社して、いざ配属先が「マックの店内でポテトを揚げる仕事を向こう三〇年間」だとしたら、どういう気分になる(P055)。
そして、なにより重要な点は、彼らより下の世代では格差はさらに拡大するだろうということだ。いまの二〇代は入社以来、定期昇給を知らず、代わりに成果主義の洗礼を受け続けている。一〇年後にはより明確な勝ち負けの差がついているに違いない。そのとき自分がどちら側にいるのか。少なくとも、いつでもレールを飛び降りる準備をしておくことは必要だろう(P070)。
企業のなかでレールに乗って順調に先に進めるか、それとも完全にキャリアパスが止まってしまうのか。それが自分ではっきりとわかる年齢は、おおかたの企業において三〇代だ。
これが、企業内で三〇代が壊れていく最大の理由だろう。プレッシャーというよりは、閉塞感というほうが正しい(P087)。
余談だが、かのJR西日本の事故を起こしたとされる運転士は運転席に立つようになって一年足らず、まだ二三歳の若者だった。
JRは一部の幹部候補以外、長年新規雇用を抑制してきた経緯がある。そのため民営化から一九年、つまり現在の三〇~四〇代前半の世代が、極端に数が少なくなっている。まさに技術の空白地帯が生じたわけだ。
そんななか、経験の浅い運転士が第一線に立ち続けなければならなかった状況を考えると、これは本人の責任だけで済ませる問題ではないだろう。未来をリストラして生き延びてきた企業を、それを黙認してきた社会。その矛盾は深く広く存在している気がしてならない(P111)。
もし、心から格差をなくしたいと願うなら、それは当然、年功序列の否定をともなわねばならない。新人から定年直前のベテランまで、全員の給料を一度ガラガラポンして、果たす役割の重みに応じて再設定し直すべきだろう(もちろん、その結果、やはり年功序列になる企業もありうる)。そうすることで、若者を派遣として使い捨てたり、中高年だけを放り捨てたりする必要性はなくなるのだ。もし、それでも年功序列の維持に固執する人間がいるのなら、彼が本当にしがみついているのは制度云々の議論ではなく、単なる自分の既得権に違いない(P161)。
年功序列というレールからなかなか降りられず、人生のすべてを費やして、ただ前に進むしかなくなった人間は、本来の動機を喪失してしまいがちだ。
たとえば、入社一年目の新入社員時代、同期でお酒を飲みにいくと、たいてい各自が担当する仕事の話が中心になる。まだ社会経験が少ない分、それぞれの仕事内容に興味津々なのだ。
ところがこれが一〇年以上経つと、同じ面子で飲みにいっても、間違いなく話題の中心は”人事”の話だ。やれ誰それが課長になっただの、誰それは転職しただのといった話題が、下手をすると二時間近く続くことになる。なかには、「あいつが課長になったのが許せないから、俺は転職する」と言い出す人間まで出てくる始末だ。昔は多少なりとも抱いていた「~をやりたい」という気持ちはすっかり影を潜めてしまっている(P182)。