『すべての経済はバブルに通じる』
小幡績
光文社
読後の感想
本書によれば、資本主義の取引の中で、リスクが分散し証券化していく課程で、エントロピーが増大していき、最後にはねずみ講のように、ババをひくものが出現するとのこと。今まで描いていた経済の本とはかけ離れていて新たな発見が満載でした。
この理屈で行くと、バブル化は必然であり、また定期的に必ず発生するということになるんだけど、個人の力では対抗することができないなと感じました。流れに乗るっきゃない??
印象的なくだり
証券化によって小口投資が可能となり、リスクが分散化されることによるメリットは、さらに大きなリスクの低下をもたらす。
第一に、統計学で大数の法則と呼ばれるメリットがある。サブプライムローンでいうと、何千、何万戸という大量の貸出先を集めてくるので、これらが全て同時に貸し倒れるリスクは極めて低くなるということだ。1軒の住宅に貸した場合の貸し倒れる確率が10%とすると、10軒の貸出先が全て同時に返済不能とんる確率は、通常の場合、単純に計算すると100億分の1に激減する。これが、最も重要な投資先の分散の効果である。
ただし、注意しなければならないのは、一つの貸出先が返済不能になるときは、別の貸出先が返済不能になる確率も多少上がってくるということだ。ある地域で住宅ローンを貸している場合、その地域の景気が悪くなれば失業率が上がり、その結果2軒が同時に返済不能になる確率は10%かける10%で、1%ではなく、やや高くなるだろう。
しかし、証券化による第二の分散化のメリットは、このリスクも低下させる。証券化の場合には、キャッシュフローを生み出す資産を集めるときに、性格の異なった資産を集めることができるので、あえて異質なものを一緒にまとめて証券化することがある。
(中略)
つまり、リスクを切り分けたものを、個々の投資家の嗜好に合わせて組み合わせることにより、投資家にとって、より価値のある金融商品に仕立て上げるのである(P32)。
そもそも、投資家にとって最大のリスクとは何か。たとえば、住宅ローンなどの不動産融資の場合を考えると、借り手が返済不能になることと思いがちだが、そうではない。投資した資産を売りたいときに売れない、ということであり、住宅ローン債権を他の投資家に転売できない、ということなのだ。
多数の投資家の投資対象となっている証券化商品は、リスクが極めて低い投資商品となる。なぜなら、証券化前と物理的には同じ資産であっても、多数の潜在的な投資家がいることにより、売りたくても売れないという状況が起こる確率が飛躍的に低下するからである(P038)。
最初にリスクをとった著名投資家たちは、次に参入してきた投資家たちに、投資した証券の一部を転売する。それにより、このリスクの高い投資商品の価格は上昇する。買った値段より上がっていなければ売る必要はないので、値下がりは絶対にしない。こうして最初の著名投資家たちは、利益を一部確定させるのである。
では、二番目に買った投資家たちはどうするのだろうか。彼らも、著名投資家が買ったから買ったとはいえ、かなりのリスクのある資産であることは承知している。したがって、多少価格が下がったくらいでは動揺しないので、買った価格よりも安い価格では売却しない。こうなると、売る人はいなくなる。一方、著名投資家が買い、それに追随して他の投資家も買ったことを聞きつけて、これに乗ろうと買ってくる投資家が出てくる。この結果、需給バランスから価格は上昇しやすくなる。そして、実際に、取引で成立する価格は上昇したものとなる。なぜなら、最初の投資家、二番目の投資家たちは、自分たちが買った価格よりも安い価格では放出しないので、常に以前の取引よりも高い価格でしか取引は成立しないからである(P043)。
(前略)徐々に投資家層が広がり、売買が活発に行われてくると、この債権を満期まで持ち続けようとする投資家は少数派になってくる。そして、毎年得られるキャッシュフローで当初の投資資金が回収できるか、という観点で価格を決めるのではなく、自分がこれから買う価格よりも将来高い価格で売れるかどうか、という観点で、現在の価格が安いか高いかが判断されるようになってくる。つまり、保有を目的とした投資から、次の投資家に転売することを目的とした投資に変質していくのである(P044)。
リスクがリスクでなくなるとはどういうことだろうか。
誰も見向きもしないような資産に投資するところに、投資前のリスクがある。このとき、誰も見向きもしないのは、実はこの資産がキャッシュフローを生み出さないからではない。キャッシュフローを生み出さないのであば、そもそも投資として、どのような状況でも成立し得ない。その資産が、投資家を惹きつけられない理由は、キャッシュフローがないからではなく、流動性がないからなのである(P045)。
面白いことに、ほとんどのバブルにおいて、一度崩れかけてから、再び上昇するという現象が見られることが多い。そして、崩れかけた後の上昇は、むしろ以前よりも激しくなることが多い。この急騰の後に暴落が訪れ、真のバブル崩壊が起こる、というのが典型的なパターンである。
このような動きとなる理由は、投資家の入れ替わりが行われるからである。バブルが一度崩れかければ、その時、バブルの継続、すなわち、これ以上、上がり続けるかどうか自信の持てない投資家は売却してしまう。一方、崩れかけたところで買った投資家は、皆、異常に強気で、上昇が継続することを強く信じている。これは当たり前で、彼らはそのように強く信じているからこそ買ったのだ。このとき、その資産の保有者ー別の言い方をすれば、将来の潜在的な売り手は、皆、極端に強気なので、誰も売ろうとはしない。ちょっと上がったくらいで売ってしまうのは、もったいないからである。したがって、売り手不在となり、価格は急騰することになる。
しかし、株価が上がり続けると信じて株式を保有している投資家たちも、株価が上昇することには自信があるが、いつ売るべきかについては自信がない。次に崩壊のサインが出れば、直ちに売却しなくては、と緊張感で身構えている。なぜなら、自分の投資行動が、バブルに乗って儲けようとしていることに他ならないことを認識しているからだ。彼らは、バブルに乗って儲けようとしている自分たちのような考えの投資家以外に、この株式を買いたいと思う投資家はいないことをよく知っている。この株式を今保有している他の投資かっちが売り初めて、一旦、価格が下落すれば、買い手が不在のため株価は一気に崩れて、売るチャンスを失うかもしれないことを十分認識しているのだ(P123)。
仕掛けの基本は、大量に売り浴びせて恐怖を絶望に変え、心理的に打ちのめされた投資家の投売りを誘い、また、機械的なポートフォリオマネジメントをしている機関投資家などの、機械的な損切りをも誘う、というやり方だ。そして、暴落後に他の投資家たちが投売りをしつくしたところで、仕掛けた側は、暴落の最初の局面で売った分を、暴落の底値で買い戻すのである。
このとき、投げ売って損失を確定させた投資家は、上昇を仕掛けられると、さらに動揺する。かなり下がった水準で、自分があきらめて投げ売った直後に、急に反転、上昇を仕掛けられれば、彼らは、急反転、急上昇を目の当たりにして、投げ売ってしまったことに対する後悔と自己嫌悪で狂いそうになる。しかし、狂いそうになるということは、まだエネルギーがわずかに残っているということだ。彼らは、最後の力を振り絞って、急上昇の波に飛び乗り、買い戻しに走る。投げ売ったことによって失われた資産とプライドを取り戻し、後悔の念を帳消しにしようとする。
この買戻しも、機敏に動き、底値で買い戻せば、多少は損失とプライドを取り戻せるかもしれない。しかし、打ちひしがれ、同時に、「これでさらに損失を出したら」という恐怖に怯えている投資家の場合は、市場の株価が底値から反転して上昇局面となっても、すぐには飛び乗れない。彼らは、急上昇を呆然と眺めた後、その急上昇が一時的でなく持続的になってきたとき、我に返り、最後の力を振り絞って、買い戻しをする。もともとの後悔に、急反転のとき、すぐに買わなかったという後悔が加わり、二重の苦しみを背負いながら、あせって買い戻すことになる。しかし、これにより、三重苦を背負うことになるのだ。なぜなら、このときが、上昇局面の終了するときだからである。
売りを仕掛けて利益を出し、次に、急反転の買いを仕掛けたヘッジファンドは、最後に買いに回った投資家が入ってきたタイミングを捉え、二度目の利益確定を狙って一気に売りに回り、資金を回収する。損失を取り返すために最後の力を振り絞って、ここで買ってしまった投資家は、損失を膨らませるだけに終わる。そして、財政的にも精神的にも破綻に近い状態になる投資家も続出する。これが、バブル崩壊における投資家の典型的な悲劇だ(P183)。
LTCM(Long-term Capital Management)は、自分たちが金融工学を駆使した発見した裁定取引という投資機会に大量に資金を投下する。それは収益を生み出すが、収益を生み出すとは、割安で買ったものが割安でなくなったから買い戻し、その結果として利益が出たということだ。すなわち、利益がもたされた代わりに、投資機会が消失したのである。自分たちの投資額が40倍にも膨れ上がったことは、投資機会を求めるライバルを40人、自分で作ってしまったことを意味した。実は、これはヘッジファンドが陥りやすい一番の罠で、成功すればするほど、破綻の可能性が高まる構造になっているのである(P237)。