『タルピオット』イスラエル式エリート養成プログラム
石倉洋子著
「タルピオット」とはイスラエルにおけるエリート養成プログラムのことです。
「タルピオット(Talpiot)」は、イスラエル国防軍(IDF)が運営するエリート養成プログラムの名称です。1979年に始まったこのプログラムは、科学技術の分野で優れた才能を持つ若者を発掘し、国防や先端技術の開発に活用することを目的としています。名前の「タルピオット」は、ヘブライ語で「要塞の頂上」や「最高峰」を意味し、卓越した能力を象徴する言葉として採用されました。
読後の感想
この本は、イスラエルの特殊性とその成功の秘訣を、国家規模のエリート養成プログラムや経済政策を軸に深く掘り下げた一冊です。
移民国家であるイスラエルの特異な社会構造と、それに起因する挑戦と創造の文化を背景に、現代の課題に応える国際的な成功例としてのイスラエルを描き出しています。
本書は、イスラエルという国の特殊性を単なる歴史や制度の解説にとどめず、イノベーションを生み出す文化や哲学を描き出した、極めて実践的な内容を持つ一冊です。
移民国家という多様性、政府と民間の一体的な取り組み、そして疑問を歓迎し挑戦を推奨する文化が、イスラエルを「世界のスタートアップ大国」たらしめています。
この本は、単にイスラエルを知るためのものではなく、日本企業や個人にとっても変化を促すきっかけとなるでしょう。
読者は、本書を通じて「変化を恐れず、根本的な問いを追求する」ことの重要性に気づくはずです。
そしてその先には、現状の枠を超えた成長と新しい可能性が広がっているのです。
本書の冒頭では、イスラエルが移民国家であることが強調されます。
いわゆる「帰還法」の制定以降、世界中からユダヤ人が移り住み、その結果、人口が建国当時の約60万人から現在の約900万人へと増加した事実は、その移民政策の成果を如実に物語っています。
特に1990年代、ソ連崩壊による大量の高学歴移民の流入は、科学者や技術者の増加という形で、イスラエルの産業構造に大きな変革をもたらしました。
ここで重要なのは、この移民の多くが「頭脳労働者」であり、彼らの知識と経験がイスラエルの経済発展を牽引した点です。
このような移民政策がもたらす「人的資源の多様性」が、イスラエルの強みとなっていることは間違いありません。移民国家としての特異性は、文化の多様性と高い適応力を生み、結果としてイノベーションを支える基盤となっています。
また、イスラエルのスタートアップエコシステムを象徴するのが、1993年に導入された「ヨズマ」プログラムです。
この取り組みは、政府がリスクを分担することで民間投資を呼び込み、さらにその成果を投資家が享受できるという画期的な仕組みを生み出しました。
資金だけでなく、国際的な連携や市場アクセスを提供するこのプログラムは、イスラエルを「スタートアップ大国」に押し上げる重要な役割を果たしました。
石倉氏は、この政策の背景にある「国家としての戦略」を高く評価しています。
イスラエルは、戦争やテロのリスクにさらされる中でも、政府と民間が一体となってリスクを最小化し、成長のための新しい道を切り開いてきました。
このような政策が、他国にはないスピード感と革新性を可能にしているのです。
「疑う文化」が生むイノベーション
イスラエルの人々の思考方法について、石倉氏は「指示された通りにやることを良しとせず、常に『自分なりのやり方』を探求する」という点を指摘しています。
この「疑う文化」は、徹底的に課題の本質を考える姿勢を生み、それがイノベーションの原動力になっていると言えるでしょう。
たとえば、企業がグローバルなプロジェクトを指示する際、イスラエルのチームは単なる受け身ではなく、より効果的な解決策を提案してくるというエピソードは、まさにその一例です。
このような文化は、イスラエルの教育や兵役制度、さらにはエリート育成プログラム「タルピオット」そのものにも反映されているのです。
兵役がもたらす連帯感と成長
日本人が抱く「兵役」に対する否定的なイメージとは異なり、イスラエルでは多くの若者にとって兵役が成長の場として位置づけられている点も興味深いものです。
本書は、兵役が単なる義務ではなく、人生における大きな経験として捉えられている様子を描き出しています。
この集団生活や厳しい訓練の中で培われる絆や自己成長が、国民全体の連帯感を育み、さらには国防軍を「社会の学校」として機能させています。
「やめること」を探す哲学とビジネスへの提言
本書の後半では、日本企業への提言も述べられています。
特に「やめることを探す」という哲学は、忙殺されがちな現代のビジネスパーソンに対する重要なメッセージです。
時間や資源を効率化し、新しい挑戦に集中するためには、不要なことを「やめる」決断が必要だという主張は、イスラエルの効率性と実行力を象徴するものでもあります。
印象的なくだり
ソ連崩壊で急増した高学歴移民
もともとイスラエルは移民の国だ。建国2年後の1950年には「帰還法」が制定され、ユダヤ人であれば無条件にイスラエルに移り住む(=「帰還」する)ことが出来るようになった。
世界各地から次々にユダヤ人が移り住み、建国当時約60万人だった人口が、現在は約900万人と10倍以上に増加している。
今のイスラエル国民の3分の1が国外生まれ、9割が移民や移民の子・孫世代とされている。
特に移民が急増したのが1990年代だった。ソ連の崩壊で、1990年には年間約18万人、1991年には約15万人、以降も2000年まで毎年5万~6万人がイスラエルに移民した。
このグループに特徴的だったのは、多くの医師や科学者、エンジニア、技術職がいたことだ。旧ソ連からの移民の3人に1人が科学者やエンジニア、技術者だったというデータもある。博士号を保有していた人も多かった(P.043)。
ベンチャーキャピタルは、ただ資金を供給するだけでなく、ほかの投資家や新規の見込み顧客、提携相手を紹介するなど、商品化して企業を成長させるためのサポートも行う。しかしこの時、海外投資家たちにとってもイスラエルは「戦争とテロの国」。積極的に投資しようというペンチャーキャピタリストはいなかった。
足りないピースを埋めることになったのが、1993年に生まれた「ヨズマ」(ヘブライ語で「イニシアチブ」)ブログラムだ。政府が1億ドルを投資して、海外のベンチャーキャピタルと連携し10件ものベンチャーキャピタルを立ち上げたのだ。
それぞれ、政府が40%、民間が60%を出資。さらに、政府の出資分を民間が安く買い取れるようにした。つまり、政府がリスクを共有しながらも、成果のすべては投資家が得られることになる。投資家にとっては非常に有利な条件だ(P.045)。
アビームコンサルティングで、イスラエルのスタートアップとの協業支援を担当する坂口直樹氏の指摘はおもしろい。「グローバル企業の本社が、世界各地の研究開発拠点に指示を出すと、ほかの国からは指示通りのものが仕上がってくるが、イスラエルだけは『指示されたやり方よりこの方が、根本の課題解決には効果的だ」と、指示とは違うものが上がってくるといった話をよく聞く」という。
2014年からイスラエルに住む起業家の寺田彼日氏も、イスラエル人について、「仕事の依頼があると、言われた通りにやることは少なく、『(指示されたやり方ではなく)こっちのやり方の方がいいと思う」と、必ず自分なりに工夫してやろうとする」と話す。
徹底的に「疑う」ことでイノベーションが生まれる(P.053)。
日本で「微兵制」というと、どうしても戦前・戦中の旧日本軍を想起させ、非常にネガティブなものだととらえられる。しかしイスラエルの若者の多くにとって、兵役は「初めて親元を離れて暮らせる」楽しみなイベントである側面も強いようだ。
親や親戚などの周りの大人も、兵役時代を貴重な経験として語り、懐かしい仲間と顔を合わせることのできる予備役の召集を楽しみにする人も多い。もちろん、集団生活や厳しい訓練、「戦い」への抵抗感などから兵役を嫌がる若者や、イスラエルのパレスチナ占領政策に反対して兵役拒否をする若者もいるが、日本人が想像するよりもイスラエル人の国防軍に対する感情はポジティブだ(P.067)。
もはや待てない「内部から」の改革
世界のリーダー企業(GAFAM・BATなど)は、自社の研究開発に膨大な投資をするだけでなく、先進的なサービスや技術、ビジネスモデルを持つスタートアップの可能性を見極め、早いうちから買収したり、技術を取り込んだりして、競争優位を維持・向上させている。これらの企業は、世界がすさまじいスピードで変化しており、不確定要素が多いなかで、いくら膨大な資産を持っていても、すべてを自社でまかなうやり方は通用しないばかりか、生き残ることさえ難しいと認識しているのだ。そしてこうした認識が、スタートアップの取り込みに拍車をかけている(P.124)。
「何か変」に敏感になろう
日本のビジネスパーソンは、組織の「空気を読む」「忖度する」ことが大事だと思い込んでいる人がとても多い。「これは何か違うのではないか」と感じることがあっても、「『何か違う」と思う自分が間違っている」と、すぐに打ち消そうとしてしまう。せっかく問題の芽に気付きかけても、自分でそこにふたをしてしまうのだ。とてももったいないことだと思う。
私は、特に若者を対象にしたセミナーではよく「『何か変」という違和感を大事にしてほしい」と話している。そこから問題を掘り下げ、原因や解決策を考えるクセをつけてほしいのだ(P.168)。
「やめること」を探し、時間を確保しよう
そこで提案したいのが、「やめること」を探すことだ。アイデア出しのテーマとして、「やめること」の案をたくさん集める。いくつかに絞り込んだあと、さらにそれぞれの案について「○○をやめたらどうなるか」を考えてみる。やめることで起きる不都合はどんなことがあるか。やめることのメリットと、不都合は、どちらが大きいか。その不都合を解消するための代替案はないか。
すると、「やめられない」と思っていたのは実は思い込みで、なくても十分回る、起きる不都合は別の方法で解決できる、ということが見えてくる。
特に考えたいのは、会議の整理だ。報告を目的とした会議ならば、グループウェアの活用で代替できないか。どうしても必要な会議ならば、事前のアジェンダ設定や資料共有で、時間を半減できないか。参加人数を減らせないか。アイデアを持ち寄り議論する会議ならば、Web会議システムを使ってもっと効率よく時間設定ができないか。見直しの視点は数多い。
企業だけでなく、個人でも同様だ。私は毎年、年始には、「新しく始めること3つ、やめること3つ」を決めるようにしている。新しいことにチャレンジすることはもちろん必要だが、そのための時間を捻出するためにも、自分の行動を振り返って、やめることも3つ選ぶ。習慣になっていることも多いし、どれも必要に思えてしまうので、やめることを決める方が難しい。しかし、企業も個人も、成長し続けるためには、こうした見直しが不可欠だと考えている(P.190)。
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