『世界を変えた10冊の本 』
池上彰
読後の感想
複雑な話を簡単にして説明することでおなじみの池上彰さんが10冊の本を選んで、その内容と影響力、そして世の中に与えた影響について解説した本です。
一章に一冊取り上げられており、聖書から沈黙の春まで、ジャンルにとらわれず本が選ばれており、守備範囲が大変広く感じました。
読んで率直に思ったのが、池上さんって読書家で勉強家だなぁということです。
選書がよいのはもちろんのこと、それをどのような影響力があったか、と解説することは、当然ながらその一冊だけを読んでいたら説明できませんので、その本に加えてたくさんの本を読み、この考え方の初出典はなに?というところまでさかのぼって考えないといけないからです。
そういう意味で読書家で勉強家だと強く感じました(二回目)。
「おわりに」に書かれていた
「私たちは不安と混乱の中にいます。こんなときだからこそ、活字の力を見直したい。書物の力を再認識したいと思っています」
とのくだりについて、心から同意です。
厳密にいうと池上さんの解釈が入っている部分もあるので、内容に精緻さについては異論のあるところかと思いますが、文章も平易で読みやすく、何より選書と取り上げる順番(これは編集者の力かも)がうまく、子供向けにいいのではないかと感じました。
いつか娘にも読ませたい一冊です。
目次
第1章 アンネの日記
第2章 聖書
第3章 コーラン
第4章 プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
第5章 資本論
第6章 イスラーム原理主義の「道しるべ」
第7章 沈黙の春
第8章 種の起源
第9章 雇用、利子および貨幣の一般理論
第10章 資本主義と自由
印象的なくだり
「アンネの日記」を小学生の私が初めて読んだとき、なぜユダヤ人が差別されるのだろうと疑問に思いました。
(中略)
そもそもは、「新約聖書」にさかのぼります。「新約聖書」を構成している四つの福音書のひとつ「マタイによる福音書」の中に、次のようなエピソードが出ているからです。
ユダヤ教の改革運動をしたために、睨まれて死刑判決が下されたイエス。彼が十字架にかけられることになると、当時ローマ帝国から派遣されていた総督のピラトが、押しかけたユダヤの人々に対して、イエスを十字架にかける必要があると、尋ねます。ピラトは本音ではイエスを死刑にしたくなかったからです。
すると、人々は口々に、「イエスを十字架につけろ」と叫びます。「その血の責任は、我々の子孫にある」と(新共同訳による)。
つまり、イエスを死刑にしたために、たとえ報いが子孫に及んでも構わない、と言ったというのです。
この一節があるため、ヨーロッパのキリスト教徒の中には、イエスを殺害した人々の子孫は、報復を受けて当然だと考える人たちが出てきます(P.021)。
それにしても、まだ人間が創造される前の段階での神の行為を、どうして人間が「創世記」に書き記せるのか、という突っ込みが入りそうですが、これは、神からの言葉を受け止めた人(聖霊に満たされた預言者)が記したものと受け止められています(P.046)。
「コーラン」は、「神の言葉」をアラビア語で記したもの。神が天使ジブリールに命じてアラビア語に訳させたのですから、アラビア語は「神に選ばれた言葉」ということになります。そこで「コーラン」は、神に選ばれた言葉で読むべきであって、アラビア語以外の言葉に訳すことはできないということになっています。
しかし、これではアラビア語ができない人は読むことができません。そこで、建前としては、「コーランの日本語解説書」という位置づけで、日本語訳が出版されるようになりました(P.074)。
イギリス人がダーウィンをいかに誇りに思っているかは、紙幣にも現れています。イギリスの紙幣の表はいずれもエリザベス女王の肖像ですが、一〇ポンド紙幣の裏にはダーウィンの肖像画が描かれています(P.193)。
ダーウィンは、このように予想される批判については、あらかじめ答えを用意する一方、わからないことは、そのまま「わからない」と記述したり、「安易な結論は避けるべきだ」と述べたりしています。ダーウィンの学問に対する誠実さが見られるのです(P.201)。
ダーウィンに人柄がかいま見えるエピソード。
種の起源でも書かれていましたが、本当にダーウィンという人は、(当時は過激とされていた)唱えている主張に比例せず穏やかな人だったようですね。スキスキ。
ページ数はハードカバー版に基づくもの。