『人間の証明』
映画プロフィール
監督
佐藤純彌
脚本
松山善三
製作
角川春樹
吉田達
サイモン・ツェー
出演者
岡田茉莉子
松田優作
ジョージ・ケネディ
鑑賞のきっかけ
amazonプライムに入っていたリストのうち、タイトルは見たことあるけど
内容は知らないもの、の中に入っていたから。
鑑賞後の感想
戦後ってこんな風な個人の悲しい関係が多くあったのだろうか。
松本清張の小説にもよく出てくる、戦後の混乱期における女性の在り方がその後の人生に影を落とすパターンってとても多いような気がします。
それぞれに戦後の時期には知られたくない過去がありました。
ファッションデザイナーの八杉恭子(岡田茉莉子)は、戦後米兵相手にバーのホステスをしており、 ジョニー・ヘイワード(ジョー山中)を産むものの、米兵にレイプされるなどの過去があります。その後、恭平(岩城滉一)を生み、デザイナーにとして成功していきます。
一方刑事の棟居(松田優作)は、父親を米兵になぶり殺されたという過去がありましたが、その時の加害者が ケン・シュフタン(ジョージ・ケネディ)でした。そして父親が助けようとしたのが八杉恭子です。
つまり棟居からすると、ジョニー殺しの捜査とは父親が殺されるきっかけとなった女性を被疑者にし、父親を殺した相手と協力して捜査をしないといけないということでした。
この映画って当時アメリカで撮影したとか鳴り物入りだったり、「西條八十」や「ストウハ」「キスミー」など色んな作品にパロディされるなど、影響力の大きい映画だということは重々知っているんだけど、なんだろう全体に漂うこのチープ感は。
思うに、撮影当時すごい、と言われていたものが技術の進歩でかすんでしまうものばかりだったんじゃないかなと思うのです。
そして、残ったのは作品を通して伝わる「人間の業」と松田優作の鬼気迫る演技だったのではないでしょうか。
「人間の業」とは、結局どんな時代でも、どんなことをしても人間は生きていくしかないし、生きていくためには何でもしないといけない。でも、その時やったことは結局後から自分に返ってきてしまうのだ、ということ。
「贖罪」に似たような、それでいて救われない感覚なのではないでしょうか。
こんな重いテーマなのに興行的に当たったというのもすごい時代だよなあ。
映画公開当時のコピー
「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね?」