『自由を盗んだ少年-北朝鮮悪童日記』
金革
読後の感想
著者は私よりも年下である。
しかし、過ごしてきた人生は想像を絶する地獄だった。
単に生まれた場所が違うだけでこんな地獄なのか。
本書の中に出てくる人は、いとも簡単に死んでしまいます。
しかも餓死だったりと、いわゆる幸せな死に方ではありません。
著者が今まで生きてきたであろう過酷な日常がすぐ近くの国で起こっていることに対して
正直人ごとではなく、我が身にも起こりうるかもしれないと背筋が凍りました。
印象的なくだり
一九八九年頃までは、ぼくのような子どもたちが食べ物を恵んでもらうのは難しいことではなかった。
鉄道の要衝である清津駅は多くの旅行客が行きかうところなので食べ物を恵んでくれる人も多かった。
(中略)
ただ、拾ったり恵んでもらったものでお腹が満たせたのは九〇年代初めまでだった。
北朝鮮の食糧事情が悪化し始めると、旅行客たちも食べ物を恵んでくれなくなった。
人々は生活が苦しくなり気持ちに余裕がなくなっていった(P.063)。
翌一九九七年、兄とぼくは父の金日成の名入り時計を探すため、孤児院を抜け出して清津に行った。
父が団地の管理事務所の労働党書記に金日成名入り時計を預けてあるから、いつか取りにいくように言っていたからだ。
ぼくたちが団地の管理事務所を訪れたとき、時計を預かった書記はすでに餓死しており、結局父の時計を見つけることはできなかった。
実は、ぼくたちが時計を探しに行く少し前に、父も路上で餓死していた。
兄はそのことを知ったのだが、ぼくには言わなかった(P.120)。
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