機会格差の拡大と固定について
現在、「われらの子ども」ロバートDパットナム著を読んでいます。
この本は、アメリカにおける機会格差の拡大と
その固定化について書かれています。
1950年代に生まれた子供は、生まれた家庭の所得によらず
その後高学歴を得たり、所得の高い層に移動することは出来ました。
しかし、2000年代に生まれた子は、そもそも違う階層に
移動することが困難である、といった内容です。
高学歴層は、ポートランドやニューヨーク、サンフランシスコなどの
特定の地域に集まる傾向があり、そこには優秀な教師が多くいます。
また、親類縁者が卒業生なら優遇される制度があり
高学歴層の母親はより教育熱心なため子どもに多くの時間を割き
結果として、子どもも同様に高学歴になる。
アメリカの競争力の高い上位200の大学に通う学生の70%が
所得分布の上位25%に属しており、人口比としては著しく偏っています。
しかし、最近更に踏み込んだ論説を新聞記事を読みました。
それは、構造的な障壁よりも、見えない壁が大きな問題だという内容です。
グルメでおしゃれなお店には、健康的で良質な食材が並んでいます。
所得の高い層には当たり前の食材も、そうでない層には
理解や判読ができない文化的な記号になってしまいます。
「お前はここで歓迎されていないぞ」という暗黙のメッセージを
お店自体が発しているというものです。
ここでは見える壁(例えばある特定人種は入店お断りとか)は
存在しません。その意味では、開放的です。
しかし、見えない壁(例えば価格帯、店の雰囲気、客層)は
確実に存在し、そしてそのメッセージは強力で打ち崩すことができないのです。
社会的地位に関するルールには、結束を促す機能がある。
高学歴の人々を引き寄せ、相互の絆を強め、その他の人々を遮る。
高学歴層が築いてきた流動性に対する障壁は、目に見えないだけに
一層強力になっている。
それ以外の人には、その障壁が何かを言い当てることも、理解することもできない。
ただそこに壁があることだけは分かっているのだ。
(ニューヨークタイムズ2017年7月11日付)
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