東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ
筑摩書房
遙洋子
読後の感想
論争に勝ちたい、との動機で学び始めたけど、その結果を追い求める過程(いわゆる学問)の入り口で、その面白さに目覚めた…というような内容。
口語で書かれた軽快な文章と、上野先生のドキッとする一言、そして学んでも分からないことへの不安がとてもよく分かるいい文章でした。
引用も必要に応じて適宜なされており、ちゃんと勉強したんだなぁと好感が持てる内容でした。
無知の知という言葉を思い出し、自分もまだまだ学ぶことが多いなと意欲を駆り立てる作品でした。
「ゼミにおばーちゃん現る」は読んでいて少し切なくなりました。
ちなみに上野先生の講演を高校時代に聞いたことがあるはずなんですが、全然記憶に残ってません。もったいない…(まぁ高校生にはちょっと早すぎる分野だけど)。
印象的なくだり
ブスへの容赦ない制裁で多くの女性が押し黙る、よくある構図を避けるには、一瞬のうちにぐうの音も出ないほどの勝ちが必要とされる。
勝つ人の理論を私は教わりたかった。が、意外な答えがかえってきた。
「相手にとどめを刺しちゃいけません。」
そのごもっとな御意見に私は多少なりとも、失望を覚えた。
それは子供の頃からよく母親に言われた「ケンカしちゃいけません」を彷彿させる。
「なんで?なんでとどめを刺しちゃいけないんですか?」
「その世界であなたが嫌われ者になる。それは得策じゃない。あなたは、とどめを刺すやり方を覚えるのではなく、相手をもてあそぶやり方を覚えて帰りなさい。」
私は鳥肌が立った。やっぱ、本物だ、と思った。
「議論の勝敗は本人が決めるものではない。聴衆が決めます。相手をもてあそんでおけば、勝ちはおのずと決まるもの。それ以上する必要も、必然もない。」
教授は今度はニコッと微笑んで言った(P015)。
テレビで言っちゃいけないことの裏にあるもの
(前略)なぜ隠すのか、それを正しく知ることで、隠さなきゃいけない理由も知りたかった。
ほんとに、近づかないほうがいいくらい「危険」なのか、そうじゃないのか。命を落とすのか、ちょっと熱いだけなのか。
結論から言うと、「危険」なのは隠された言葉ではなく、隠す「思想」だった。
隠すから問題を見えなくする。見えないから、理解が出来ない。理解できないから誤解を生む。
誤解はいらぬ恐怖を呼び、その恐怖感こそ「危険」思想になる。
そして、一度「危険」とされたら「そのエリア」は番組責任と直結している(P080)。
知は現実にジレンマをもたらす(P084)。
「知」がもたらす自己矛盾は「問い」をあふれさす。
それらの問いへの解を探し求め続ける日々は何をもたらすのだろう(P102)。
棒にふらなきゃいけなかった人生は、自己防衛としてその人を、自分の人生を味わうことから遠ざけるのは、想像に難くない。
自由な表現を許されない立場。判断するには残酷すぎる状況。正視できない現状。
それらは、表現力、状況判断、現状認識という能力を容易に奪うだろう(P127)。
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先日は、楽しいお話と素敵なお土産、ありがとうございました。
この本は学部時代にわくわくしながら読んだのを
いまだに覚えているので、きっと本当に面白かったのだと思います。
ただ、今、上野先生と同い年の、うちのお師匠様と身近に接するようになって
「そもそもケンカの必要あるのかなあ」って
思うようになりました。
もてあそんだり切り捨てたりするより労力は要しますが
止揚させる、というのかな、その相手からも吸収してしまう広さって
本当に高い能力があるからこそできるなあって。
どちらのアプローチも楽しいでしょうけど、ね。