『会社をやめる父から会社に入る息子・娘たちへ』
教育史料出版会
読後の感想
前半の130ページくらい読み、久しぶりに途中で挫折しました。読むに値するのは、後半の弁護団と東京管理職ユニオンの書記長、あとノンフィクションライターの久保博司さんの文章くらいです。精一杯気持ちを汲んでみるならば、ここで手記を寄せている人の大部分は、自分がリストラにあった訳なので、冷静ではいられず感情的な文章になるのはある意味やむを得ないとは思います。にしても、これはひどい。少なくない人が、いかに自分が優秀だったかから始まり、会社批判と無批判な他者依存に終始してました。中にはリストラの対象になるのもやむを得ないかも・・・と思わせる秀逸な(!?)文章も。とほほ。
印象的なくだり
東京都上田幸夫(仮名・42歳)
経営のまちがいを犯すのは会社であるが、その責任をとるのはいつも社員である。どうしても解雇が必要というのであれば、転職市場でより有効活用できる若年層か有能な人材をそのターゲットとすべきである。それでも全員がやめるわけではないから、会社はちゃんと存続する。それのほうが皆ハッピーになれる(P077)。
この人は自分が解雇の対象になって、いかにそれを正当化しようと努力しているんだなと分かる一文。と、同時にその自分勝手さに反吐がでます。単に若手に詰め腹を切らせているだけで、問題解決に至ってません。こんな文章を書けるということで、解雇対象になる理由が若干透けてきます。この人の論理だと、若手や有能な人が抜けた会社はこの人を含めてハッピーになるらしいですが、そんな人たちが集まってハッピーな会社が作れるのか、極めて疑問であるといわざるをえません。そんな人の詰め腹を切らされた若手もハッピーなんですかねぇ。何をもって解雇対象を決めるかは、それこそ会社の方針・業務内容によって変わってくると思うけど、若さ、有能という条件は、どんな会社にとっても必要な条件だと思うけどなぁ。