最近お知り合いになった方は驚かれるでしょうが(笑
ちょうど一年前の今日。
お酒飲んで転んで頭蓋骨を骨折し、急性硬膜外出血と脳挫傷を負って集中治療室に入ってました。
あれから怖くてお酒は外では程ほどにしか飲めません。
今のところピンピンしておりますが、人間何があるか分からないので用心のために、健康的な生活を送ろうと心がけております。
最近子供も生まれたので、ますます自分ひとりの身体ではないのだなぁと(保険を掛けておけばいいというものでもないし)思うようになりました。
生じてしまった事実は変わりませんが、そこから色々と学んだことは忘れないようにしておく意味も込めて、入院の感想を再掲。
そういや、先日司令と「去年のクリスマス」って何やったっけ?あんまり覚えていないね、と談笑していたのですが、その後に思い出し、そりゃあそれどころじゃなかったよね、となりました。笑い話になって本当に良かったよ、ウンウン。
それにしても最初から最後まできっちり意識があったので、大きな発見と反省点の多い入院となりました。
ことの始まりは11日。
発覚については、前日飲んで帰って来て何も感じることなく自宅でぐっすり寝ていたのですが、朝目が覚めるとなんかおかしい。
頭痛がひどいし、かなり吐き気もする(実際嘔吐した)。そして、大問題なのが、「耳から出血してる」ということ。
すぐに勤務先に「今日病院に行くので遅れます」と電話し(遅れるどころか即搬送、即集中治療室だったんですけどね)自分でタクシーを停めて、近くの総合病院へ。初診にもかかわらず結構早めに看てもらえた(それでも一時間くらいかかったけど)ので、症状を話すと、じゃあCT撮ってみましょうか、となりました。
で、CT撮ってみると、先生が一転して表情を変え曇らせて、「君ね、頭蓋骨骨折して脳内出血してるから。ここの設備じゃダメだから、今すぐ救急車呼んで、専門機関に運ぶから、そこに寝てて」と言われてしまいました。この時点で、この病院から司令の勤務先に電話が入り、身元引受人として呼ばれたそうです。
自分の身柄はそのまま救急車で(しかもサイレン鳴らしてました)東京臨海病院の脳神経外科へ。
後に担当となるドクターから説明を受け、意識があることを確認した上で、集中治療室へ即入院となったのでした。その後、実家からうちの母親が来たり、妹(本物)が見舞いに来たり、進地崇裕くんもお見舞いに来てくれ無事に回復したのでした。
と、まぁこれがちょっと長めの事の顛末でございます。今回入院の体験を経て、本当に身に染みたのは
一つは、ベタだけど健康の大切さ。
結局、何をしようにも体力が必要です。
本当に失って初めて気づくものです。第二に、気づいたことは、情報の伝播の形が変わったことです。
今回は特殊な事情だったので、自分から入院したことは電話やメール、手紙では知らせていないのですが、ブログやmixi、携帯電話を通じて多くの友人、知人から気遣いの連絡をもらいました。
ちなみに自分が発信できたのは、携帯電話からのブログの投稿だけなので、きちんと自分で自分の情報をコントロールすることができていた、といえるでしょう。
つまるところ、今後はこのブログ、もしくは自分のサイトで発表することが「優先」となったわけで、個人個人に直接連絡することは優先度が下がるでしょう。
そして、自分のメディアを持つということは、それに伴う責任も負うということであり、軽々しくブログを書けなくなってしまうなぁ(笑)とも思いました。
まぁ当然、自由と共に当然責任も負うんですけどね。第三に、家族の重要性。
いまさらながら司令に感謝感謝です。身の回りの世話から準備、家事や仕事をしながら、毎日お見舞いに来てくれて本当に感謝の念に耐えません。そうそう、年末に二人で戸籍を作出してきます。そんなわけで、司令に足を向けて寝られません(笑最後に思ったのは、やっぱまだ死ねない、ということ。
30歳になるまで結構自分の好きなお勉強や活動をしてきましたが、まだまだやりたいことが残っています。
まだ死ねません(笑
ブログが残っていれば、死後、自分の思いや考えが残るだろうし、それによって誰かに何かメッセージを送れるかもしれませんが、やはり生きてるうちに直接伝えたいです。そして誰かに影響を与えたい(良くも悪くも)。そういった考え、行動が世の中を少しでも楽しくし、いわゆる「ワクワクできらきら」になると信じてマス。