『自省録』

『自省録』
岩波書店
マルクス アウレーリウス, Marcus Aurelius, 神谷 美恵子

読後の感想
ストイックの語源となったストア派。その代表的な人物の一人であるマルクス・アウレーリウス。
「自省録」は彼の備忘録であり、また己への戒めであったと思われる言葉の羅列です。
しかし、その言葉を貫く考え方「正しく(徳をもって)生きる」「人間は死ぬ(この世の中はかりそめにすぎない)」という思想は、自分自身を真っ正面から見据えないと考え出せない発想です。
本人も千年以上後に出版されるなんて思いもよらなかったでしょうね(笑)。

印象的なくだり

1-10文法学者アレクサンドロスからは、口やかましくせぬこと。粗野な言葉づかいや、文法的にまちがったことや、気にさわるような表現を用いる人にたいしては、とがめだてするようなふうに非難せず、答えのかたちで、あるいは他人の言葉に口ぞえする形で、または言葉づかいではなく問題自体を一緒に論議するという形で、またそのほか同様の慎ましやかな注意によって、用うべきであった表現そのものをうまく話の中に持って来ること(P014)。

なんとすべてのものはすみやかに消え失せてしまうことだろう。その体自体は宇宙の中に、それに関する記憶は永遠の中に(P030)。

もっとも長命の者も、もっとも早死にする者も、失うものは同じであるということ。なぜならば人が失いうるものは現在だけなのである。というのは彼が持っているのはこれのみであり、なんぴとも自分の持っていないものを失うことはできないからである(P032)。

すべては主観であるということ(P032)。

我々は急がなくてはならない、それは単に時々刻々死に近づくからだけではなく、物事にたいする洞察力や注意力が死ぬ前にすでに働かなくなってくるからである(P035)。

突然ひとに「今君はなにを考えているのか」と尋ねられても、即座に正直にこれこれと答えることができるような、そんなことのみ考えるよう自分を習慣づけなくてはならない(P038)。

4-1 我々の内なる主が自然に従っている際には、[できうるかぎり、]許されるかぎり、出来事にたいしてつねにたやすく適応しうるような態度を取るものである。
なぜならば、彼は特にこれという一定の素材を好むわけではなく、その目的に向かって、ある制約の下に前進する。そしていかなる障碍物にぶつかろうともこれを自分の素材となしてしまう。この点あたかも火が投げ込まれた者を捕らえる場合に似ている。小さな灯りならば、これに消されてしまうであろうが、炎々と燃える火は、持ち込まれたものをたちまち自分のものに同化して焼きつくし、投げ入れられたものによって一層高く躍りあがるのである(P048)。

4-35
すべてはかりそめにすぎない。おぼえる者もおぼえられる者も(P062)。

明けがたに起きにくいときには、つぎの思いを念頭に用意しておくがよい。「人間のつとめを果たすために私は起きるのだ。」自分がそのために生まれ、そのためにこの世にきた役目をしに行くのを、まだぶつぶついっているのか。それとも自分という人間は夜具の中にもぐりこんで身を温めているために創られたのか。「だってこのほうが心地よいもの。」では君は心地よい思いをするために生まれたのか。いったい全体君は物事を受身に経験するために生まれたのか、それとも行動するために生まれたのか。小さな草木や小鳥や蟻や蜘蛛や蜜蜂までがおのがつとめにいそしみ、それぞれ自己の分を果たして宇宙の秩序を形作っているのを見ないのか(P071)。

6ー6
もっともよい復讐の方法は自分まで同じような行為をしないことだ(P094)。

7-12
まっすぐでいるか、もしくはまっすぐにされるか(P119)。

7-21
遠からず君はあらゆるものを忘れ、遠からずあらゆるものは君を忘れてしまうであろう(P123)。

7-38
「物事に対して腹を立てるのは無益なことだ。なぜなら物事のほうではそんなことにおかまいなしなのだから」(P128)。

不作法者が不作法者のすることをしたからとて、なんの悪いこと、怪しむべきことがあろうか。その人間がそのような過ちを犯すであろうことを予期しなかった君こそもっと責めを負うべきではないか考えてみるがいい。なぜならば、その男がそのような過ちを犯すであろうと考えるだけのてだてを、君の理性は君に与えてくれていたはずだ。それなのに君はそれを忘れ、彼がその過ちを犯したからとて驚き怪しんでいるのだ(P184)。

10-4
もし彼がつまずいたら、親切に教えてやり、見誤った点を示してやれ。それができないなら、自分を責めよ、あるいは自分さえ責めるな(P189)。

悪人どもが他人に悪いことをするのを大目に見ながら、君にたいしては悪いことをしないように要求するのは無茶であり暴君である(P222)。