「チェイサー」

チェイサー

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監督:ナ・ホンジン

ネタバレありです。

きっかけ
「哭声(コクソン)」の予習のため、監督ナ・ホンジン

あらすじ
元刑事のジュンホ(キム・ユンソク)デリバリーヘルスの元締め、デリヘル嬢を脅したりしながら経営している。そんな中、ある特定の男性の家に呼ばれたデリヘル嬢が連続して発生する。
敵役はヨンミン(ハ・ジョンウ)。ヨンミンは他人の家を乗っ取って、連続殺人を行っているのでした。
発覚のきっかけはデリヘル嬢のミジン(ソ・ヨンヒ)がヨンミンに呼ばれたことです。風邪で7歳の娘ウンジ(キム・ユジョン)に看病されていたミジンは、ウンジを残して仕事に出かけたのでした。

鑑賞後の感想
ネタバレありです。
韓国映画得意の暴力シーンのオンパレード。特に、ノミとカナヅチで頭蓋骨を砕き、死体は水槽の中や、土の中に埋めて犬が掘り返すあたりは、もう目を覆わざるをえないシーンでした。よく考えたら、自分は血が苦手なんだよね。
男性の暴力的な演技に対して、女性の心理描写が秀逸でした。中でもミジンの役割が物語の中心であり、またもの悲しさを表していました。
そのミジンはヨンミンに会った時から、ちょっと恐怖を感じてて、外のドアを開けたまま家に入ったり、かなりの緊張感を持った演技をしていて、見ている側としては「逃げて~」とヒヤヒヤものでした。
特に、ヨンミンが鍵束をジャラジャラさせながら自分の家(と思わせている)鍵を探す様子を疑わしそうに見ているシーンは最高です(いい意味で)。
背景として、韓国に警察組織の腐敗っぷりが目立ちました。本当にそうなのか映画なので誇張ありきなのか分かりませんが、暴力警官も多いし、ヨンミンを挑発させ殴らせるように仕向けて「ブラボー」と言ったり、ジョンホにヨンミンを殴らせてみて見ぬふりをしたり、通報を受けても車の中で寝てたり(これはひどい)、証拠を作ってでも探せと言ったり。
ただ、変だなと思ったのは、あれだけ違法捜査をやっておきながら、12時間という時間だけは守ろうとするのか(別件の現行犯で上げれば、時間制限が繰り返されるのでは?)と。
ジョンホはジュンホが2年前にやめた職場とうまくやっているあたりは人間性が出ていい背景ですね。今回ジョンホだけが、最初は動機は違ったもののミジンを救おうと行動してくます。ジュンホとウンジの関係がレオンチックで、この映画の中で唯一のホッコリシーン。
二人の関係性が最初は反発、母の死に感づき号泣、手をつなぐシーン、保護者欄にサインするなど、徐々に近まっていくくだりには、ぐいぐい引き込まれました。
そして、ジョンホ、ウンジ、ミジンの努力が完全に無にされるラストは本当に衝撃です。あの結末の理由は、実話ベースだからなのか、それとも生きる努力を無にしようとしたのか、さっぱりわからん。嫌な感じしか残りませんでした。なんで??

そうそう、オ・ウンシル刑事が綺麗すぎですね。

小見出しを付けるのは本文の前か後か問題

小見出しを付けるのは本文の前か後か問題
仕事や遊び、家庭で色々な文章を書くことが多いのですが、読み手に分かりやすいように本文前には小見出しを付けるように心がけています。
ところで最近、とあるエッセイを読んでいてふと思ったのが、小見出しと本文が余り一致していない、というかむしろ本文内容から考えると、結論が小見出しと逆なのでは?ということがありました。
なぜこのようなことが起こったのかを考えると、おそらく読み手と同じように書き手も、まず小見出しを書いてから本文を欠いていたのでしょうかと思いいたりました。本文よりも前に小見出しを書く以上、先に要約してから後から付け加えた、という形になるはずです。

しかし、往々にして書いているうちに文章の本筋が変わってくることもあり、結果として小見出しの内容と本文が不一致ということになったのでしょう。
さて、このことから分かるように本文を書き終わって本文は書いてみないとどういったものなるか分からない為、書いた文章を振り返った上で、流れを整えてから、小見出しを付けるのがよいのではないかと個人的には思っているのですが、そうなると文頭に戻らないといけないという大変面倒な作業が発生してしまいます。

たとえば、日常的に文章を書く人であれば余計に手間です。面倒です。当然面倒からは逃げ出したくなるのが人の常というものです。多分にもれず私もです。
そのため、正確に他人に伝えないといけない、というような重要な文章に限ってのみ推敲して日常的には書き殴って過ごしている、という結果になるのですが、それはそれで「あの人、普段の文章は読みにくいよね」ということになってしまうのです。「しまうのです」とあたかも受け身で不可避のように書きましたが、あくまでも自業自得であることは間違いありません。

というわけで、小見出しを見ると「この小見出しは先に書いたのかな?それとも後に書いたのかな?」とどうでもいい視点で見てしまいます。

どっとはらい。