「寄付をしてみようと、と思ったら読む本」
渋澤健、鵜尾雅隆
読後の感想
寄付をすることは当たり前ではありません。
単に「情報」と「きっかけ」がないからです。
思い起こせは東日本大震災の時、みなさん寄付をしたのではないですか?
そんな問いかけに、我が身を振り返らざるをえませんでした、そうだ、そうだった。
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「できる、できない」より「やりたいか、やりたくないか」で
私たちは何か物事を行うときに「できるか」「できないか」という軸で判断する傾向があります。ところが、カーネギーは名言で次のように指摘しています。「成功者は必ず、自分がやりたいことを仕事にしている」。
つまり、成功者は「できるか」「できないか」ではなく、「やりたいか」「やりたくないか」で判断するのです(P.191)。
この言葉は非常に重い。
サラリーマンが長いと「やりたい」「やりたくない」軸を忘れてしまいます。
印象的なくだり
「陸前高田市の空っぽの図書館を本でいっぱいにしようプロジェクト」のリターンには、1万円以上の寄付者には、希望の本一冊に名前を入れて、蔵書として図書館に収めるというのがありました。
こうしたリターンがあると、何が生まれるのでしょうか。それは、寄付者と地域との「つながり」です。自分の思い出の本、思い入れのある本が、被災地の図書館に自分の名前入りで置かれると、その地に足を運んでみようという理由ができます(P.021)。
これは素敵な試みですね。
もしも仮に自分だったら何を贈ろうかと思ってしまいます。
100人以上の参加者がいる会場で、「なぜ日本では寄付文化が根付かないのか」と、会場の参加者に問いかけたことがあります。
その理由について、会場の方に「そうだ」と思う項目に手を挙げていただいたのですが、「税制度がないから」「日本人はケチだから」といった理由に手を挙げる人はいませんでした。
やはり、「何に使われているかわからないから」に挙手される方が最も多いという結果でした。もうひとつ多かったのが「どこにどう寄付していいかわからない」ということ。これらに共通しているのは、「情報」と「きっかけ」です(P.050)。
みんな寄付をする気がないのではなく、できる気がしないということですかね。
社会問題というのは、誰かが顕在化しなければ埋もれていく性質があり、問題を発見するプロセスが非常に重要です。DVや児童虐待は被害者や救済者たちが声を上げ、メディアが呼応する形で、世の中に広く知れ渡ってきた問題です。特に、被害者自身は声を上げづらいことが多く、そこにNPOなどが果たす役割があります(P.078)。
WITH ALSの特徴は、まず代表である武藤さん自身が患者であり、団体の活動自体が、彼が生きていくストーリーになっているところです(P.098)。
メガネ型ウェアラブルデバイス「JINS MEME」。
(中略)
装着することで眼球の動きによってDJやVJをプレーすることができる技術です(P.099)。
これは早速ほしい逸品です。
と思ったら、購入できるのは都市部に限られているようです。
ムムム。
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行政の助成金は使いづらい面がある
民間企業であれば、毎年3億円の予算があるけど、ある年には1億円しか使わずにプロジェクトが達成できたら、余った2億円は将来のために蓄えておいたり、設備投資や人員を増やしたりできます。しかし、行政のお金は政府の予算です。予算は使い切ることが善とされています。もし、1億円しか使わなかったのなら、次からは1億円でいいと削減されてしまいます。
(中略)
助成金は毎年のお金の「フロー」の感覚で使われており、そこには社会的課題を解決するお金の「ストック」づくりという視点が欠けています。将来のために蓄える、将来のために投資するという観点が抜け落ちてしまうことは、本来持っている組織の力を弱める可能性があり、日本の市民社会の足を引っ張っています。
これに対し、寄付金は、使い道の自由度が比較的に高いのが特徴です。目的を果たすための使い道、寄付者が納得する使い道であれば、自由に使うことができます(P.104)。
この辺りは痛しかゆしです。
既に組織として必要性が固まっているものは予算感覚でもうまくいきますが、新しい問題には対応できないのですね。
NPOなどの運営では活動資金が枯渇していたので、使い切る以外の選択肢しかなかったというケースが多いと思います。しかし、これは寄付文化がまだ発展途上ということであり、最終的なあるべき形ではありません。あるべき形は当然ながら、社会活動に不可欠な財源を持続可能にすることです(P.136)。
コモンズ投信の受益者は、40代が最も多く、主に30代から50代の現役世代。そして、その皆さんの子ども世代になります。受益者の6人にひとりが「こどもトラスト」という未成年者口座の保有者です(P.171)。