2022年マレーシア、ボルネオ島訪問記3/6日目

2022年9月29日木曜日
3日目(コタキナバルからテノムへ移動し、コタキナバルに戻る)
@コタキナバルのホテル
朝起きたのは7時半、昨晩は部屋が寒すぎて夜途中で目が覚めてしまった。しかもお腹が痛かったので、赤玉を飲んで歯磨きをして寝なおして朝になって回復していた。
昨日チェックイン時に気が付いたが、予約したとき朝食を付けたと思い込んでいたが、実際には朝食無しプランだった。
まぁどっかでローカルフードでも食べればいいや、と放っておいたが裏目に出てしまった。
起きてまずシャワーを浴び、コーヒー飲んでうだうだしていたら9時近くになってしまった、失敗。
結局、朝ごはんも食べずにGrab Taxiを呼んでサバ州立博物館に行った。

サバ州立博物館はホテルから5分程度の距離で歩けないこともなかったが、。昨日車窓から見た通り、周辺は途中水上の住宅があるバラック小屋みたいなスラムっぽい雰囲気だったのでさすがに歩けず、車が正解だったと思う。

サバ州立博物館に到着。どの国行っても博物館は、似たような雰囲気を醸している。知の集合って感じの雰囲気(伝われっ
エントランス付近には社会科見学の授業で来ました、みたいな学生がたくさんいた。

https://museum.sabah.gov.my/

チケットセンターでチケット購入現金で購入した15リンギット。

入り口でスタッフの方に、どこから来たのかと聞かれたので、フロムジャパンと答えた。
テキスタイルの文化と民族の発展の文化が1階にあり、見応えがあった。
特徴的だったのは、マレーシアがイギリスから独立した部分が強調されて、入り口のすぐ右横に展示されていた部分だった。
展示には注釈としてマレー語、英語、中国語で書かれていたが、英語がない展示もあった。
この場合は、翻訳機能があるGoogleレンズの性能を堪能した。リアルタイム翻訳でめっちゃ便利。

入り口に大きな鯨の骨が展示されており、一番写真映えする場所だった。
あと日本が一時期ボルネオ島を占領してたときの、いわゆるSandakan Death March(サンダカン死の行進)についても解説されていた。ここは本当に辛い気持ちで展示と翻訳を読んだ。

10時にyokoさんと待ち合わせした、YokoさんEdyさんと合流

同行してくれたのは、yokoさんのパートナーのedyさん、普段はガイドをやっているそうだが、今日は休みなので来てくれた。
ボルネオ島出身でこの島のことはめちゃ詳しいとのことで本当に色々と教えてもらいました。感謝。
まず現金が100リンギットで足りるかと聞いたら、十分だとのこと。あんまり現金持っていなかったので安心した。
朝食がまだだったので、edyさんのお母さんとおばさんが作ってくれた揚げバナナをいただいた。
フライドバナナはこの周辺のコタキナバルでは有名なポピュラーなおやつで、朝食やブランチによく食べるらしい。
揚げバナナをいただくと、甘いバナナが香ばしい味とマッチしてめちゃうまい。途中のコンビニ(アップル)でミネラルウォーター購入、Grab Payで支払った。
結局Grab Payは一般的なのか、使えないのかの線引きが良く分からない。
Edyさんの英語はめっちゃ聞き取りやすい、yokoさんのジャパニーズイングリッシュを聞くと安心してしゃべれる。
Edyさんに日本のどこから来たのかと聞かれたが、北陸といっても通じないだろうかな名古屋の北側、雪が降ると答えておいた。
移動途中にEdyさんから聞いたボルネオ島の歴史など。
edyさんの出身は、ボルネオ島の北部のクダッと言う街で、ゴムの生産が盛んな地域だとのこと。
もともとボルネオと言う島の名前は、ブルネイと言う言葉から発生してきて変換された。

1度も休憩せずに車でボーフォート駅まで約2時間位かかった、これを電車で行こうと思うと、1日数往復しかないダイヤを組む羽目になったので本当に助かった。

12時00分ごろボーフォート駅に到着。チケットカウンターでチケットを買おうとしたら、12時半からしか売らないと言われた、営業時間短かっ。

ボーフォート駅に到着、駅のトイレの汚なさは今までの人生で1番かもしれない。女性は大変だろうなぁ。
しかもチップトイレで50セント必要だった。

チケット発売まで30分ほど時間があったので、近くで衛生面的に大丈夫なお店でランチを食べようという話になった。
ちなみにイスラム教徒のEdyさんはお祈りの時間があると言ってモスクに行った。結構真面目らしい(でもたまにサボるけどね、と笑っていた
自分とyokoさんはマレー料理のお店に入り、ミーゴレンとレモンティーを注文した。
焼きそばの上に卵のクレープ状の幕を張った卵の料理。

マレー料理にあまり期待していなかったけど、非常においしかった
それを7回食べると。英語が上手になるらしいと冗談を言っていた。

続いて、近くの商店でスナックと飲み物を購入した、なんせ数時間も電車に乗るのだから小腹が空くであろう、と。
買ったのはプリングスとウェットティッシュとミネラルウォーター、購入した代金の支払いは、Grab payで払った。

12時45分ごろ、再度ボーフォート駅に到着しチケット購入。2リンギット75セントだった。現金で支払いをした。
なんか鉄道の料金が異常に安すぎるのは、なぜだろうか。聞くと、島はやはり車社会で、逆に車に乗れない人は低所得者層か女性、子供だけらしい。

Edyさんが車掌さんに「この日本人がテノムまで行くからよろしく頼む」と言ってくれた。そういった心遣いがうれしい。

13時00分ごろになって改札が開けられて、みんな一斉に走り出し電車に乗った。
気動車になっていて、後が荷物車になっていた
事前にedyさんから、進行方向に向かって川が見えるからライトサイドがいいよとビューポイントを聞いていたので、右だと思って座ったら、間違ってるよと指摘された。
どうやら進行報告を間違って認識しており、自分が座ったのは逆方向だった。

気動車が実際に発車したのは定刻の5分遅れ、完全に許容範囲です。
基本的に速度は20キロ前後で、のんびり進みます。というか、バイクにも余裕で抜かれていきます。
最初の車両はエアコンが効かずサウナみたいだった。またスモークがひどくて、窓を開けた時は涼しいが停車中は黒い煙が社内に入ってきてゲホゲホしていた。
ビューフォート駅からは学生が6割、老人が2割、女性が2割と言う感じだった。

途中で学校があるたびに子供が乗ってきて数駅後に降りていくを繰り返し、基本的には乗車率7割前後でした。
みんなスマホ持っていないので、おしゃべりしたりしていて和んでいた。
前の席に座っている、孫とおじいさんたちは、あちこち写真を撮ったりフルーツ食ったりタバコ吸ったりゴミは窓から投げたりと自由。

途中のHalogilat railway stationで車両を乗り換えました。
一方、ビューフォートから来た気動車は、ここで乗客を降ろして代わりにテノムから来た乗客を乗せてボーフォートに戻ると言う仕組み。
乗り換えた気動車はエアコンが効いていて快適。

途中の駅から、中国系と欧米系の若いにいちゃんたち6人組くらいの団体が乗車してきた。
Go Proを持っていてちょっとお金持ちそうだった。
ラフティングの道具を気動車に積み込むに時間がかかったので、チップとして子供たちに1リンギットずつ配っていた。何と言うか、お大尽って感じ。
写真を撮ったり地元の小学生にチップあげたりしてた

現代はこうやってのんびりと景色を見ながら移動できるけど、曽祖父が亡くなった70年前はこの辺りは熱帯雨林で進軍は困難を極めただろうと思うと胸が痛い。
特に曽祖父はその中でも病気で命を落としており、複雑な感情になったりもしました。

Tenom(テノム)駅に到着しました。

先に車で移動してもらっていたYokoさんと合流し、
基本的に私は、旅行中は他人を信用せずにカメラを渡さないのですが今回アテンドしてくれたYokoさんは特別なので、珍しく写真を撮りました。

そして、テノムツーリストマップ前で、曽祖父の写真と一緒にパチリ。

子供を3人も残して異国の地で病没する気持ちはいかに無念だったかと思う。

その後、近隣をぶらぶらと散策し、とても立派な火炎樹を見つけました。
約70年間の曽祖父の写真にも火炎樹は写っており、もしかしたら70年後に同じ樹だったりして、と妄想をしつつ写真を撮りました。

テノムという地域はコーヒーが有名とのことで、駅前にあったおしゃれなお店(テノムコーヒーバレー)に入りました。
こちらはホワイトコーヒーです。

3人分の支払いを現金で23リンギットちょっと。

コタキナバルの市街地からここまで6時間くらいかかっており、ここから鉄道で帰るのはダイヤがなくて困難なので、帰りはYokoさんの車で送ってもらいました。
途中国立公園を通り、風光明媚な景色も見られて大満足です。

夕食はちょっと脂っこいものが食べたいと思いKFCへ。

4日目に続く

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