「じぶん史上、最高の夏」

「じぶん史上、最高の夏」

タイトルは、全国高等学校野球選手権大会2017年(第99回大会)のキャッチフレーズから引用。

2023年8月3日木曜日、私は「じぶん史上、最高の」体験をしました、もちろん悪い意味で。

予兆
予兆は前日の8月2日水曜日。
会社の部下2人と近くのフードコートあるマックにランチに行ったところまでは、そう、なんともなかったのです。
ちなみに食べたのはチーズロコモコセット。同行の2人は何ともなかったので、もちろんマックには何の罪もない。
ランチから戻ってきて、歯磨きをして、デスクに戻って仕事をして30分ほど、のあたりからなんかモヤモヤするなぁと思いはじめました。
わたくめは割と仕事中は、気が浮つきやすい性格であるのは自覚があるのですが、今日はそんな感じではないはずなんだけどな、モヤモヤ、あれ?ちょっと頭がぼーっとする、と思い、最近はめっきりご無沙汰になった非接触型体温計のある場所に移動するもなんと電池切れ。最近使っている人いないもんな、と思い、今度は別の場所にある接触型の体温計を探して測ってみると、なんと37.6度。

自慢ではないがわたくしは平熱がそんなに低くはないので、37.6度はちょっと高すぎる。いや、むしろ高い。微熱を越えて、がっつり発熱ではないか、と思い、よく見るとちょっと左手が震えてきている。あれ?本格的にヤバイぞ、これ、と直感的に感じ、後のことはさておきとりあえず帰宅することを決断(帰宅の決断はいつも早い)。
総務の方から冷えピタもらってピタッと貼って、勤務先のchat workに「とりあえず帰る」旨だけポストして、あとはまぁ自宅に帰ってからやればいいや、と思って会社を後にしたのが、別れの始まりだったとは、その時は知る由もなかったのでした(別に死んでない

わたくしの通勤は自動車なので、帰りはもちろん自動車なのですが(ここ笑うとこ)帰り道も割とフラフラで安定せず、2度ほど自動車自体に怒られる(自動ブレーキ、衝突回避装置の作動)などひどい運転でした。例えるなら、映画「ウルフオブウォールストリート」のジョーダン・ベルフォート (レオナルド・ディカプリオ)とまでは行かないにせよ、ブレーキが遅れて前の車との車間距離が近くなりすぎました。最近の車は賢いですね、早く自動運転レベル5の世界が来て欲しいものです。
今思えば運転は控えて、家族に迎えにきてもらうか、タクシーで帰るべきでしたね、ええ。

発症
というわけで、自宅に戻った瞬間ほっとしたのか、完全にダウンです。
19時に一度目が覚めて体温を計測すると、まさかの39.1度。こりゃあ明日は出社は無理だな、(自主的に)リモートにするかとのんきなことを勤務先のchat workにポストしていましたが、正直心の中では「これは今までのらりくらりと例の流行り病を避けてきたのに、こんな暑い時期になって、しかも5類になってから、世間の流れに遅れて今頃罹患した、みたいなオチなのか、と軽くショックを受けていました。思えばむしろこの時はまだ健全でした。
とりあえず、常備薬の解熱鎮痛剤であるバファリンプレミアムを飲み、ある程度効くだろうと期待しつつ、そのまま眠りについたのでした。

そして次に目が覚めるのは2日の夜中(つまり3日の早朝)です。しかも目が覚めたのは「頭が痛すぎて寝ることができない」という理由。寝ていても頭痛を感じるのか、なんてことを考えられる余裕はありませんでした。もう自分の頭で何かを考えようとしても考えられないくらい頭がガンガンしていました、体を横にすることもできない(なぜなら、頭がガンガンするから)、立ち上がることもできない(なぜなら、頭がガンガンするから)。すべての行動を制限するマジックワードである(なぜなら、頭がガンガンするから)を手に入れてしまったのです。
そしてついでに「のどの痛み」も手に入れてしまったので、新型コロナウィルス罹患の確定リーチがされてしまいました。
ちょっと痰がひどいのは事前情報とは違っていましたが、やっぱ新型コロナってしんどいんだなぁと、検査もしてないのに勝手に自己診断で確定したと思い込んでいました。
なお、もちろん熱も引き続き絶好調でアセトアミノフェンの大活躍をもってしても39.0度までしか下がっていませんでいた、つらっ。

地獄の1日
8月3日木曜日の朝から晩までの時間が本当に一番つらい時間でした。
横になってもダメ(寝れない)、立つことはもちろん無理、本も読めない、ネットも動画も検索する気にならない。とりあえず発症はしたのであればのこのこと抗原検査キットを買いに行けないので、夜になったら細君に救急診療に連れて行ってもらうことになりました。

そして、自宅で抗原検査キット(いわゆる鼻スワブ)をやった結果、なんとまさかの「陰性」って、あれ?。この検査方式は、何度も何度もやったのでいまさらやり方を間違えるはずもなく、「陽性」を確信していたのに、全然外れちゃいました。
まぁむしろ喜ばしいことかもしれませんが、結局わたくしの手元に残ったのは「陰性の検査結果」と「引き続き39度台をキープする高熱」と「痰が止まらない喉痛み」、そして「すべての行動を制限する頭ガンガン」だけになってしました。
この時点で8月3日の夜21時、「新型コロナウイルス検査結果は陰性」という結論だけ得て一日が過ぎてしまいました、とほほ。

あ、そうそう、タイトルにある「じぶん史上、最高の夏」とは、8月3日木曜日13時51分に、わたくしが観測した記録の残る最高の「39.9度」を記録してしました、ということでした。
意識朦朧として撮ったので、いまいちな写真ですが、記念に一枚パチリ(「愚か者めっ」「余裕あるんじゃねーか!!」というご意見は、賞賛としてお受けいたします)

快方
翌日の8月4日金曜日、とりあえずなんとかしないとどうしようもないのでガンガンしている頭でムムム考えた結果、2020年にも似たようなことがあって、そのときは溶連菌だったな、と思い出しました。一般に溶連菌って保育園児・幼稚園児がかかる病気として認識されていますが、実は大人もかかりますし、なんなら大人がかかると地獄です、そしてその地獄を2020年に経験していたのでした(そしてすっかり思い出せなかった
調べてみると「大人の溶連菌」の特徴的な症状は、「高熱」「のどの痛み」「発疹」の3つとのこと。
わたくしの場合「発疹がでていない」ので、67パーセントしか合っていないのですが、前日の新型コロナの確定リーチも外すほどの自分の判断力の低下に、そんな細かいことは考えられず、朝の9時になって近所の耳鼻咽喉科クリニックへ向かい電話しました(戦略なき戦術の転換は失敗の始まり)。
ちなみに8月2日に自宅に帰って、この時点までは、のどが痛くて固形物が食べられず、ずっとゼリーばかりを飲んでいました。主食はゼリーとポカリで、食事も取れず、食べられない方が先に参ってしまいそうでした。

電話口で看護師さんと少し問診をして、コロナは陰性だったこと、過去に溶連菌の陽性だったことが合って、今回の症状が似ていることを申し出て、溶連菌検査を希望することを伝えました。その後ドクターと問診、まず喉をみてもらい第一声が「う~ん、この腫れ方はコロナじゃないね」と陰性の追撃を頂きました。そのうえで「のどの腫れと痰がひどいので溶連菌の可能性は十分にあるでしょう」ということで、溶連菌の検査をすることになりました。

そして、溶連菌検査の結果は「陰性」、、、。ドクターもあれって表情で溶連菌のサインは出なかったので、溶連菌ではないんだけど、まぁのどの腫れの症状から、のどがなんらかの感染症にかかって炎症を起こして発熱したんでしょうね、とのこと。

というわけで、めでたく診断も(ある程度)確定し、対応方針も確定したので、薬局で薬を貰い、粛々と回復に向かいました。
金曜日の夕方にはオンライン会議に出るなどの急激な回復も見せて、まさに「のどもとすぎればなんとやら」って感じで現在を過ごしております。
ただ、固形物が食べられるようになったのは、もう一日後の8月5日土曜日の夕食からでした。のどの痛みは最後まで残り続けました。

やっぱり健康が一番大事ですね(心からそう思います

どっとはらい

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