『スタバではグランデを買え! ―価格と生活の経済学』

『スタバではグランデを買え! ―価格と生活の経済学』
ダイヤモンド社
吉本 佳生

読後の感想
一時期こういった本が流行ったなぁと思います。
『さおだけ屋はなんちゃら』みたいな感じの本。
共通点としては「身近な話題で興味をひきつけ」「さらっと経済学の基礎原理をからめて」
「ロジック(論理)が単発で、○○だから××」みたいな本です(嫌いじゃないよ)。
いわゆる学問としては読めないけど、箸休め的な(もしくは単発知識として)本としては
非常に読みやすく、ふむふむと読めました。
特に100円ショップやペットボトルなど、誰もが一度は思うアレってどうなの?という書き方は
営業スタイルとして非常に参考になりました。
また引用元がきちんと示されているのも好感度アップです(学者出身の人って安心です。

全体として、上記のような印象でしたが、本筋とは別に気になった点が一つだけあります。
それは著者の政治に対するバランスの良さです。
すぐに効果が出ないもの、短期的には無駄に見えるもの、そういった本当に重要なものこそが
国や地方公共団体がやるべきで、予算を削るのは本末転倒であると、サラっと書かれていました。
本当にその通りだと思いましたので個人的には、ここの部分を掘り下げて書いて欲しかったなぁと思います。

そうそう、もちろんスタバでソイラテを飲みながら読みましたよ(但しグランデではなくトール

印象的なくだり
(前略)アルバイトばかりが働いている店では、アルバイトがいい加減に仕事をしたり、店の商品を勝手に持って帰ったりしないか、心配になります。
そこでザ・ダイソは、商品の在庫を定期的にチェックするときに(いわゆる棚卸しの際に)、もし1%以上のロスが出ていたら、アルバイトを解雇できるという厳しい雇用契約を結んでいます(『週刊東洋経済2006年1月21日号』)
(P159)。

本当に低い能力しかなくても、人はたいていの仕事をやりながら覚え、何度もくり返しおこなうことで能力を高めていくものです。
「縁の下の力持ち」から始めても、ていねいに仕事をしていれば能力が高まり、つぎに「器用貧乏」を経て「スター」になる可能性も十分にあるはずです。
人生は運が大きく左右するという冷たい現実がありますから、誰にでもチャンスがあるとは言いませんが(P192)。

①自分に何ができるか(できないか)をきちんと自覚していて、自分にできることを確実に行うことができる(一定以上の責任感がある)
②相手がどういったことを望んでいそうか想像できる(いろいろな状況を想定できる)
③論理的に、あるいは熱意・誠意をもって、説明する能力が一定程度ある
④自分がミスをすることを前提に、重要な点は他人に確認を依頼することをいとわない
実際に、専門的な技能が高い人よりも、平凡だけども、平凡なりに①~④の能力があるという人のほうがたくさん稼ぐという例は多いはずです。
また、①~④の能力があれば、専門的な能力は、何らかの仕事を続けることで経験から学んで高められるでしょう(身体能力に依存する部分が大きい場合など例外もありますが)。
これらの能力を持ちながらも稼げない人がいるとすれば、それは、自分が生み出した利益の一部をきちんと受け取るしくみができていないからです。
正当な報酬をもらうことは、意外にむずかしいのです(P194)。

政府による税金の無駄遣いについては、私たちはどうしても、目につきやすい公共事業や製作を政府に要求しがちで、政治家や官僚もそれに応えるほうが楽だという点が、大変に深刻な問題点です。
逆に、どうしても必要で、しかも政府でないとできないことなのに、有権者の目につきにくいために、政府が役割を放棄しようとしている事業もあります。
その代表例は、将来起きるかどうかわからないけれども、起きたら困ることの不安をなくしてくれるような事業です。
多くは目立たない活動で、選挙などでも注目されませんから、実際にはどんどん削減されています。

たとえば、エイズ患者が増加する中で「エイズ対策」の予算は約10年で3分の1ほどに減らされています
(2006年9月18日の日本経済新聞)。
(中略)エイズ対策や、商品テストや消費者相談などの消費行政は、地道な活動ですが、まさに政府(国や地方自治体)がおこなうべき、本当に重要な仕事のはずです。
それをどんどん放棄して、他方で、本来はなくても困らないけれど、目につきやすいイベント(たとえば、何とか博覧会や世界的なスポーツイベント)の招致・実行や、目につきやすい施設の建設・整備などに巨額の税金を投入する地方自治体は、本当にたくさんあります。
本末転倒とは、まさにこのことです(P212)。