『社会起業家という仕事 チェンジメーカーII』
日経BP社
渡邊 奈々
読後の感想
僕はこういった信念を貫いた人のことを書いた本には弱いです。
それは僕自身が貫けないからだと感じてます。
普通は自分ができないことをできる、というのは妬みの対象になることが多いのですが、
この本にでてくるような人は、もうそういったレベルではなく完全に脱帽・・・といったところで、
そもそも嫉妬の対象にはなりませんでした。
図らずも田坂広志先生が後書きで、このような考え方を一蹴してくださったので(笑)、
自分の使命を考える非常にいいきっかけになりました。
この中では17人の社会起業家が登場しますが、
その中でも心に残ったのは教育分野に進出する人の数の多さです。
いわゆる負の連鎖によって生まれた瞬間にその人の人生が決まってしまうような世の中をなんとかしたい、
という気持ちは、その考え自体が教育の可能性を信じてるという告白であるということです。
と、同時にその人自身が教育によって人生が変わったという
経験があるからこそ、の考え方だということでしょう。
多くの場合、個人的な幸福のみに収束しがちが個人の経験を、
社会に還元しようと思う子持ちは誰しもがもったことがあるのですが、
それができる人と、できない人との違いは何だろうかと考えざるをえませんでした。
印象的なくだり
幼児期を過ぎると子供は「社会性」を身につける。
「公の場で大声を出さない」「通りで見かけた身障者にどうして足が悪いのですかと聞いたりしない」といった
「社会常識」を身につけるとともに自分の「生の感情」をストレートに表現する性向も薄らぐ。
盆栽を刈り込むように様々な感情を抑え込むことで社会生活を営みやすくなるのだ。
いじめっこは何らかの事情で「善」の感情を抑え込んでいる「精神的な欠陥者」といえる(P020)。
古い国には古い因習がつきものだ。
たとえば、インド社会の最底辺に生きるダリットへの差別、
いまだに奥地に残る一夫多妻の制度、いたるところで見られる女性差別、
農民の自殺、子供の強制結婚ー。
インドの地方ではこういった因習がいまだに根深いが、
一方でデリーやムンバイなどの大都会ではその存在を知らない人も大勢いるという(P101)。
オクラホマの小さな町で、13歳の女の子ふたり組がバーで知り合った男に車で旅をしようと誘われた。
12~14歳くらいの女の子といえば、世間知らずなのに自分では何でも知っていると思いがちな最も危険な年齢だ。
したがって、この年頃の娘たちは最もだましやすい。
売春婦の平均年齢が米国で13歳、外国で12~14歳というのはこういった理由からだという(P151)。
「途上国の子供たちが求めているのは、食料。
先進国の子供たちが飢えているのは、精神的な糧よ。
人の一生にはいろいろな試練や失敗がつきもの。
失敗しないように完璧に生きようとすることはとても危険なことです。
そういう態度は現実を否定することですものね。
大切なのは回復する力。何かあったら一時的には沈んでもまたムクムクと立ち上がって進んで行く力のことよ。
成長過程での、自分を無条件で愛し信じてくれる大人の存在が、
子供たちにレジリエンスの芽を植え付けてくれるんです」(P214)。
面白そうな本なので、読んでみます。