仕事とは人格の延長である

メモ
あとで書かなければよかったと思うかもしれないけど書いておく。
気持ちが変わればアップしよう。

仕事とは人格の延長である。

とはドラッカーの言葉です。

本当に身に沁みます。

弊社は6月決算なので最近は自分の仕事や周囲の人の仕事を
見なおす機会がすごく多いのだけれど
自分の仕事の雑さ加減に本当に情けなくなる。

先ほどのドラッカーの言葉には
前段があって

仕事を失うことが人を傷つけるのは、
金銭ではなく誇りのためである。

と理由づけています。

自分の仕事の定義が定まらないまま仕事をしているのは
それは仕事とは言えず作業であり
作業には誇りは(ほとんどの場合は)発生しないよなぁと
思い寂しくなる次第です。

同様にドラッカーの言葉で

自分の仕事を定義せよ

との教えがあります。

言葉自体は本当に短くて「まぁそうだよね」と
思わせるものではあるのですが
実際にやってみると本当に難しい。
この言葉と出会ってはや3年ほど経ちますが
毎月毎月自分の仕事の結果を振り返り
満足いく定義ができてことがありません。

「あぁ、自分は何にも考えていなかったんだなぁ」
「反射的に生きてきたんだなぁ」と
落ち込むこと必至です。

ちなみにいまそうです…。

念のため付け加えておくと
他人の仕事は気になるか?というところですが
実はあんまり気になっていません。
というのもこれ類のことは
「他人を変えようと思ってはいけない」こと
だと考えているからです。
本人はアドバイスのつもりでも他人には大きなお世話なので。

むしろ自分が変わって、それに影響されて
他人も変わるなら、それほど有難いことはありません。

「仕事とは人格の延長である」への2件のフィードバック

  1.  そうですよね~といいつつ、なかなか簡単ではありませんね。
     でも、心に刻み込んで、仕事をすることは大切だと思います。

  2. >>谷口 永治さんへ
    「心に刻んで」というところがいいですね(笑
    常に思い出すことが大切なんだなぁ

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