多くの忘却なくしては、人生は暮らしていけない

タイトルは、フランスの作家バルザックの発言より引用(タイトルと本文は関係あります)。

歯医者の予約を忘れたお話

金曜日にお昼休みに歯医者を予約していたのですが、すっかり忘れて朝、家を出てしまいました。
基本的に、荷物は「1gでも軽くしたい」主義なので、診察券は予約した日にしか持ち歩きません。
いつもは前日夜に次の日の予定を確認するのですが、たまたま前の日は下りる駅を寝過ごすくらい(しかも立ったまま)、疲れていたので予定をチェックせずに家を出てしまいました。

予約時間の30分前、google calendarからアラートが鳴り、予約していることに気付きました。
診察券がなかったので一瞬ひやっとしましたが、evernoteに診察券の写しを入れているので、それをみて、診察番号を控えておけました。

結果として、予定を一切覚えていなくても「何もトラブルは発生しなかった」のですが、なにか釈然としないものが心の何処かに残りました。

ここ数年、自分の中で「細分化して、ルーチン化する」のが流行っています。
例えば、「書類の内容を見て、報告書を送る」というタスクでも
「1.書類の印刷、2.書類の読み込みと要点抽出、3.報告書の作成、4.報告書をメールする、(場合によっては)5.評価を受けて再度手直し」と5つの工程に分けておきます。
すると、ルーチンの作業自体はまとめてできます(複数の書類をひとまとめに印刷)し、そもそも「次に何をやろうかな」と考えること(言ってみればムダな時間)も少なくなりました。
でも、言い方を悪くすると機械化です
(但し、予定を立てるのはあくまでも自分なので、コントロールするのも自分のはず)。

「忘れても行動できる」と「覚えていなくてもよい」の間には、超えられない深い溝があるのではなかろうか、と考えた一日でした。

どっとはらい。


人気ブログランキングへ
押して頂けると5月病が回復します(多分)。