他人の10倍仕事をこなす私の習慣
和田秀樹
読後の感想
「勉強法」と言えば和田先生、くらいに最近はなってきたような気がします。書店に行っても先生の著作が多く並び、(中は読んでいないので中身には触れませんが)ある意味自己啓発本の中谷先生状態なのかなぁと。
というわけで、例によって読まず嫌いだったのですが、縁あって某所からいただきましたので、ちょっと参考に。
和田先生のこの本に限ったことなのかどうか分かりませんが、「今の自分は計算通りだぜ」というちょっとしたいい話から入るのが好感が持てます(いい意味で)。
この手の勉強本に大事なのは、もちろんノウハウの部分ではありますが、それに加えて、この勉強で成功したという証拠の部分が必要だからです。いわゆるエビデンス。
自分がこのようにした成功した(だからあなたも大丈夫)、という訳ですね。
こんな風にひねくれた観点から読んだので、僕の心に残った部分は、一般的に先生が言いたかった部分と一部異なっているかもしれません(先生は本の中でこれを、著者の力不足と書いていますが・・・)。
そして抜き書きを後から見返して思ったのは、勉強法に関することよりも多くは知的作業者(というか自営業者)が、どのように苦労しているか的な話のほうが僕は興味が持てました。まぁつまるところ僕の琴線に触れた部分はそこだったということですね。
その中でも、知的作業に関するコストのお話が印象的でした。
勉強の熱心な和田先生は、著作業になったいまでも、精神分析や老人医療、認知心理学、森田療法などの「勉強会」やセミナーによく参加しているそうです。
その際に先生が注意していることがなんと「単発のセミナーには行かない」ということでした。
つまるところ、単発だと時間も限られるし、話す内容を系統的・体系的に話すことが出来ないので、結果としてさらっとした話になるし、得るものが少なく費用対効果が得られないという判断です。
これはご自身が講師として話す体験からもそうなので、話す側からも聞く側からもお互いがそう感じていることなのでしょう。
確かに単発の講義やセミナーは、「その日の数時間」さえ予定をあけてしまえば参加できるし、費用も少なくて済みます。
逆に、「週に一回で半年とか三ヶ月」であれば、なかなか予定を組むことが難しくなりますし、なにより結構お高くなります。
にしてもなお、体系的に理解しないと、いわゆる上っ面の知識だけになってしまい、得るものがないというのです。
このくだりを読んで、我が身に置き換え、猛省しました。
恥ずかしながら今までの自分は目の前のセミナーに行けば何か良いことがある、という感じで望んでいた節もあったなぁと。
またセミナー中は、先生程の方でも必死になってノートを取られるそうで、二時間のセミナーでは手をひっきりなしに動かしてメモを取るそうです。
後で復習するときに忘れる、というのが理由だとのことですが、後で復習をすることすら出来ていない人は気づかないのでしょうね(自戒を込めて
そんな自分に厳しい先生は
読者の方の場合、専門家に教えてもらえるチャンスが少ないというのは事実だと思うが、それを言い訳にしてはいけない。本気で学びたい思うならば、何らかの形で専門家によるセミナーの機会くらいは見つけられるはずだ。それぐらいの自分への投資は惜しむべきではない。まずは自分から探してみたほうがいい(P.102)。
と、読者にも厳しく書かれています。
言い訳上手な自分に注意。
本の趣旨とはずれた感想かもしれませんが、知的作業をする自営業者の苦労と楽しみが垣間見えたいい本でした。
印象的なくだり
目次とその中でも印象に残ったもの
第1章
勉強でも仕事でも「やる奴が勝つ」
第2章
遊ぶ奴こそ仕事ができる
第3章
スランプを克服して生産性を上げる
第4章
誰から学び、誰と働くか
第5章
何を仕事に選び、何をあきらめるか
第6章
仕事の生産性を上げ、心の健康を保つ
・「時間」ではなく、「量」で目標を立てよ
勉強も仕事も、やはり結果を出すことが第一である。
結果を出せない人は、いつまでたっても成功者にはなれない。
自分のなかでこの哲学があるのに正確に伝わっていないため、結果的に勘違いされてしまった。
どれほど非効率な勉強のやり方をやっていても、三年も五年もかけていたら何とかなるかもしれないし、志望校に受かるかもしれない。やりさえすれば何とかなるという部分がある。
しかし、勉強を実際にやらない人間はどんなに効率的な勉強のやり方を知っていても絶対に志望校に合格はできない(P.021)。
「時間の読めない遊び」は避ける
趣味や仕事でも禁欲的な生活はよくないと述べたが、「時間の読めない遊び」は気をつけたほうがいい。
無尽蔵に時間を使いそうな遊びである。
たとえば映画なら、仮に三百本観ても六百時間だと計算できる。
ところがギャンブルや恋愛は、どれだけ時間がかかるかわからない。
麻雀でも競馬でもそれだけで終わればいいが、だいたい負けたときの尾の引き方はすさまじく、精神的なダメージも大きい(P.049)。
ドキッ!ゲームは確かに時間が読めません…。
受験勉強にせよ、自分の行きたい学校よりレベルの高い学校を目指しておかないと、自分の何ができて何ができないかがわからない。
教師にいわれたとおりに、「この偏差値だから、このあたりの学校を受けときなさい」といわれて、それでなんとなく受かったという人は、自分の能力の特性を知るチャンスを逸していると考えたほうがいい(P.076)。
相手からより多くのことを学ぼうと思ったら、自分もそれなりに提供できるものをもっていなければならない(P.112)。
単行本の執筆依頼を引き受けたら、そのテーマに基づいて、全体の構成案を自分なりにつくってみる(P.119)。
本には実際のプロットが写真で載っています。
・頭を下げるのはタダである
前にも書いたが、私はものすごく偉くなりたいと思っている。
なぜなら、偉くなればなるほど、頭を下げることに価値が出てくるからだ。
威張るために偉くなりたいというのでは、そこで成長が止まってしまうが、それは私が望んでいることではない。
偉くなって頭を下げれば、それは相手にとってうれしいことだから、人からいろいろなことを教えてもらいやすくなる。その分勉強できる機会も広がっていくのだ。
つまり、偉くなればなるほど学べる量も質も高まってくるということである(P.129)。
こんなこと考えたこともなかった。
確かに、威張りたいから、ではないと自分も感じていたけど、こういった効用があるのか…。
私は知的作業でお金を得ている一人だが、よく「和田さんの仕事は元手がかからなくていいですよね」といわれることがある。
(中略)
しかし、よい本を書こうと思えば一生懸命に勉強や取材をしなければならないものだ。
(中略)
また、何よりも必要なのは、自分の心をコントロールするための資金だ。
九時から五時までやるべきことが決まっている仕事と違って、やらなければいけなことに制約がない反面、やりすぎてしまう恐れもあるような職種だから、自分の心の健康をコントロールすることにお金をかけないと、生産的でクオリティの高い仕事を続けることができない。
自分の精神状態を健康にしておくためには、以前は精神分析(というかカウンセリング的なものだったが)を受けていたし、いまでも遊びにお金は惜しまない。
このように、知的作業といえどもコストはかかるのである(P.145)。