バリャドリッド論争

タイトルは、インディオ(インディアス先住民)問題をめぐる討論もしくは論争のこと。

定義がぶれているのにも気づかず(気づいているかも
そのまま運用して結果失敗したら
運用のせいにするんだもんなぁ(望遠

定義がぶれている例で思い出すのは
アマゾンに住む原住民たちの「ポルトガル人」という言葉。

植民地時代の名残か、原住民たちは
「外部からくる侵入者」は
相手の国籍を問わず全て
「ポルトガル人」と定義して呼んでいました。

というわけで、日本人取材者が通訳と一緒に
取材に行った時、全く無関係の会話の中に
「ポルトガル人」という言葉がしばしば登場し
通訳が混乱して、うまく進まなかったという話を思い出します。

よくよくポルトガル人という言葉を再定義してみると
森林を違法伐採してる連中のことを「ポルトガル人」と
指して呼んでいたというだけだったりしますが
これも定義の共有が出来ておらず通訳(運用)が困ったとの一例でしょう。

お仕事が煮詰まっているので
こんなことを思う毎日なのです。

ちなみに下の本はスペイン人の聖職者が書いた告発文。
キリスト教の名の下に、アマゾンを荒らしまくった
同胞を告発した当時としては勇気ある本です。
この時代は、白人優位、それ以外は知性に劣るという
先天的奴隷説(自然奴隷説)が幅を利かせており
現代の感覚からすると人権侵害のオンパレードだったりします。
でも本を読むと分かるのですが、当時の感覚からすると普通なのです。

この本は常識というものがいかに相対的かを教えてくれます。
つまりいま自分が考えている常識だって、何百年後かに
否定される危険を内在的に孕んでいるということなのですな。

出典
インディアスの破壊についての簡潔な報告