『ぼくはこんな本を読んできた 立花式読書論、読書術、書斎論』
立花隆
読後の感想
雑多な情報をどう整理するか、という点に主眼が置かれているので
読書論は言い過ぎなのかなぁと思った(副題参照
著者が分筆家なので、本の中の情報をいかにinputし、文章としてどのようにoutput
(インタビュー形式の場合はどのように質問するか)という部分が興味深かった。
その人によって、理想的な読み方、アウトプットの仕方は全然違うんだ、と感じた。
まぁ、とにかく読書遍歴が目まぐるしく変わる。
文学から始まり名作全集、そしてノンフィクションと
個人の成長に合わせて読む本がどんどん変わっている。
逆に読んだ本を見ていると、著者の興味がどのように移り変わっていったか分かりそうだ。
そこまでするか、と思ったのが自宅ビル兼仕事場の風景。
自慢とも悪趣味ともとれるがともかく圧巻(誉めてます
印象的なくだり
そういう最先端の研究者に話を聞きにいく前というのは、準備が大変なんです。
だいたいどんなジャンルでも、専門家というのは、インタビュアーがする質問によって、その問題に関してその人がどれだけの基礎知識を持っているかということをすぐに見抜きます。
それでその質問があまりにも浅い、表層的なものだと、専門家というのはものすごくいい加減な答えしかしてくれません。
これはもう、呆れるほどいい加減な答えしかしないものです。
どの専門家も忙しいですから、愚劣な質問につきあっている暇はないわけです。
この人はこの程度の答えで満足するだろうという見きわめをつけたら、それ以上のことは時間の節約のために全部省略してしまうわけです。
専門的なことを素人にいくら説明してもわかってもらえるはずがないから、余計な説明は時間の無駄と思うわけです(P.13)。
「超」整理法の野口教授も同じこと書いてた、質問される側だけど。
自分が理解していない質問してくるな(意訳)とも。
まぁ、野口教授はそれをからかっていたような(逆進性のはなし
生物というのは、周囲の環境と、いろんな物質や情報を交換することによってはじめて生き続けることができます。
だから自分を取り巻く世界、環境がどういうものなのか知りたいというのは、生きるために必要だから知りたいわけで、食欲や性欲と同じように、ちゃんとした存在根拠を持った欲求のわけです。
周囲の世界を知ることによって、その生物はより良く生きることができる。
より良く生きるというのは、自分を取り巻く世界に対してより適応して生きていくことができるということです。
ですから、純粋知的欲求というと、何か人間に固有の非常に高度な欲求のように思えるけれど、そうではなくて、これはすべての生物が持つ本能に基づいた、根源的で、しかも強烈な欲求であるということが言えると思います(P.26)。
語学だけは、純粋独学つまり本の上だけの自学自習は避けたほうがよい。できるだけ高価な金を払って、できるだけ厳しい先生についたほうがよい(P.61)。
「実戦」に役立つ十四カ条(P.74)
(4)自分の水準に合わないものは、無理して読むな。水準が低すぎるものも、水準が高すぎるものも、読むだけ時間のムダである。時は金なりと考えて、高価な本であっても、読みさしでやめるべし。
(5)読みさしでやめることを決意した本についても、一応終わりまで一ページ、一ページ繰ってみよ。意外な発見をすることがある。
(6)速読術を身につけよ。できるだけ短時間のうちに、できるだけ大量の資料を渉猟するためには、速読意外にない。
(7)本を読みながらノートを取るな。どうしてもノートを取りたいときには、本を読み終わってから、ノートを取るためにもう一度読み直したほうが、はるかに時間の経済になる。ノートを取りながら一冊の本を読む間に、五冊の類書を読むことができる。たいていは、後者のほうが時間の有効利用になる。
ここ一、二年のぼくの本の読み方を反省してみると、この計算通りにいかないことは明きらかだった。本を読み終って、次に読む本を選ぼうとして書棚を前にしたとき、ぼくの手が伸びるのは、どうしても読みたいと思っている本にではなく、楽に読み通せるだろうと思われる本に向かってだった(P.164)。
ドキッ(自戒