『父さんのからだを返して』

『父さんのからだを返して』
ケン・ハーパー

読後の感想
父親を骨格標本にされたエスキモーの少年のノンフィクションです。
舞台は1900年前後のグリーンランドと自由の国アメリカ。
探検家ピアリーに翻弄されたエスキモーたちは、タバコやビスケット、チョコレートなどでこき使われ、交換としてアザラシの牙や皮などを持ち替えり大儲けしていました。

そんな中、ピアリーたちアメリカ人は、エスキモーたちをだまして標本として
グリーンランドからアメリカへ連れて帰ります。
ところが、慣れない気温と湿度であっという間にバタバタと倒れるエスキモーたち。
その中に親子がいました。

父は死に、息子は生き残る。その生き残った少年ミニックの物語です。

結局ミニックはアメリカの教育を受けて成長してしまったために、
成人後にグリーンランドに戻ってもその教養が邪魔をして、
故郷へはきちんとした形では戻ることができませんでした。

しかも、ミニックを襲った運命の悲劇はまだ続きます。

アメリカ自然博物館による嘘の葬儀、契約に基づくといいながらも
詐欺的な履行を果たすアメリカ人たちの振る舞いは、
キリスト教徒による異教徒への迫害を彷彿とさせ、インディアンを追いつめていく姿にだぶりました。

文明という武器で原住民族を追いつめていくのは読んでいて胸が痛かったです。

ただ、本書もその「アメリカ」側から書かれていることを忘れないようにしないといけません。

事実は小説よりも奇なり。

印象的なくだり

「ミニックと知りあって数日しかたっていないが、彼のことは全面的に信頼している。彼は同胞にとって真のモーセだと言っても言い過ぎではないだろうーあるいは、ピアリーのような人間だと言うべきだろうか」
ミニックは顔をしかめて、こう言った。「ミニックのままにしておいてくれ」(P.200)。

フレミングは、これほどひたすら友情と愛情を求めているこの青年を、かわいそうに思った。粗野な外見はみせかけにすぎない。話を辛辣にする自慢の陰には、理解を求める不安な青年が隠れていた。もしミニックが、自分で言うような本当に冷たくて不親切な人間ならば、なぜ宣教師の友だちを見つけだし、用事を手伝って、多くの時間を彼との会話に費やしたのだろう。フレミングはこう書いている。「私は彼に同情していたが、彼が情に乏しく、自分の同胞にたいして少しも愛情をもっていないことに気づいた。彼がつねに順応するように強いられてきたことを考えれば無理はなかったのかもしれないが、痛ましいことだった。彼は、キリスト教であれ異教であれ、どんな種類の信仰もいっさいもっていなかった」(P.235)。

一九九三年七月二八日、四人の北極エスキモーの遺骨は、ニュージャージー州のマグワイア空軍基地でアメリカの軍用輸送機に積まれ、グリーンランド北部のチューレ空軍基地へと運ばれた。一八九七年には一か月以上かかった旅が、わずか数時間で終わった。積み荷はチューレでグリーンランド・エアのヘリコプターに移され、カーナークへ運ばれた。これには一時間もかからなかった(P.350)。