「探偵はBARにいる」

「探偵はBARにいる」

監督 橋本一
脚本 古沢良太
出演者 大泉洋
松田龍平
小雪
西田敏行
高嶋政伸
音楽 池頼広
主題歌 カルメン・マキ「時計をとめて」
撮影 田中一成

鑑賞後の感想
課題映画が「探偵はBARにいる3」になっていて
「ナンバリングタイトルは最初から押さえておく」という病気にかかっているので
律儀に「1」から振り返るために閲覧しました。
近所のTSUTAYAで真面目に借りてきてから気づいたけど
amazon primeの対象だったのね、、、

というわけでテンション低めのまま鑑賞です。
(以下ネタバレあり)

探偵もののアクション映画で舞台は北海道。
大泉洋が主演ということでコメディ色が強いのかと思いきやR12指定で暴力シーン多め。
必要以上にススキノの街をクローズアップしており、大人の事情を髣髴とさせます。
全体としてアクション過多なのですが大泉さんのキャラクタも相まって
完全にアクション映画というわけでもなく、謎ときにしたいのか、それともサスペンス?と
ちょっとだけ何をしたいかが分からない映画でした。
その結果、ところどころに仕込まれた小ネタがうまく機能していないように思えました(後述)

主人公は探偵(大泉洋)で、運転手兼相棒の高田(松田龍平)と一緒に
電話でコンドウキョウコという女性から依頼を受けているうちに
トラブルに巻き込まれていくというもの。
コンドウキョウコが誰かという謎は割と早いうちに分かるのですが
結局動機が不明のまま進んでいくのが第一のモヤモヤポイントでした。

その後、謎を追っていくうちに地上げに巻き込まれたりしていくのですが
その中で探偵のせいで(割と罪のない)夫婦が殺されるなど
ちょっと食い合わせの悪い感じが第二のモヤモヤポイントです。
(あの夫婦は浮かばれないよなぁ)

意味なく露出が多い行きつけ喫茶店のウェイトレスや
ポンコツ車にエンジンをかけてもらうためにお願いをするシーンなど
コメディシーンがただ滑りだったのもやや残念なところでした。
単体としては面白いんだけど、話の流れの中ではちょっと浮いてましたね、残念。

高田(松田龍平)が完璧超人過ぎるため、アクションシーンでは
心の中では松田待ちでしたね。「早く来て~」みたいな。

で、結局霧島が奥さんと娘と別れなければいけない理由ってなんだったんだろ?

「モノが多かったら、行きたいところにいけないでしょ?」

先日、ある方とお話していたらこんな言葉が飛び出してきました。

「モノが多かったら、行きたいところにいけないでしょ?」

その言葉を聞いてハッとしました。

数年前に家を買うまでは、約2年でいろんなところを転々としていたため
多少はモノを減らしたりする努力をする姿勢は見せてはいましたが
最近はどんどんモノを買って自宅に置き散らかしたり
書斎に本棚を8つも置いて、飽くることなく本を増やしていたため
どんどん部屋に引きこもりがちになっていたからです。

いつのまにかモノが増えてくるとフットワークも重くなり
どこかに行こうとか何かをしようという気持ちが薄れ
昨日と同じことをしがちになってしまいます。

聞かなくなったのに大量のCDがあったり
もう何年も読んでいない大全集が部屋にあるなんて
あほらしいし無駄だと知っていながら見て見ぬふりをしていたので
きちんと計画を立てて向き合おうと思いなおしたのでした。

どっとはらい

言葉を作るということ

高島俊男さんの「お言葉ですが…」によると

「科学」「情報」「目的」「環境」などは
日本で作られて、その語は中国に渡り、同じ意味で使われるようになったらしい。

概念を持ち込んで言葉を作り、それが輸出されて違う国でも
同じ意味で使われるってなんか感動だなぁと思った次第です。

おちなし。

『コード・ブルー』外科研修医 救急コール

『コード・ブルー』外科研修医 救急コール
アトゥール・ガワンデ

読後の感想
進地くんにお勧めいただいた一冊。
ポッドキャストでもとりとめもなく話しています。
https://soundcloud.com/user-900049561/01403a

アメリカの研修医が、実際の現場での医師の感覚を書いた本。
不完全にしか与えられていない情報の中で、緊急の作業をしなければならない医師の葛藤が
とても分かりやすく、また切実に伝わってきました。

外科医については、自戒をこめたこんな格言がある。
「ときには間違いも犯す。しかし、決して迷うな」(P.026)。

やはり現役の医師だからか、裁判に関するこのあたりの記述はちょっと切なかったです。
しょうがないけどね、訴訟だから。

病院付きの弁護士は、医師たちにこんな警告をする。
「起こってしまった問題については、もちろん患者に説明しなければならないが、法廷に持ち込まれて不利な証拠として利用されることがないように、病院側の非を認めてはならない。患者に思いやりのある言葉をかけたいと思っても、『私たちが望んだようには物事がうまく運ばず、残念です』というくらいにとどめるべきだ」(P.072)。

希望が持てるなぁと思ったのは、このあたりのエピソード。

かつて1960年代は気管チューブを入れる機械のスイッチの場所が
メーカー別にばらばらであり、人為的なミスを引き起こしやすい環境に合った。
ある麻酔医が、スイッチの場所を共通化するという作業を行ったところ
1960年~1980年の間は1件/1万~2万件のミスの確率が
1990年には1件/20万件という確率にまでさげることに成功した事例です。

印象的なくだり

私たちは、医学が知識と処理という整然たる分野だと思っている。
しかし、実はそうではない。医学は不完全な科学だ。
刻々と変化する知識と不確かな情報に左右され、誤りから免れない人々が行う手作業であり、危険と隣り合わせのものである。
私たち医者が行う処置は科学に基づいているが、習慣や直感、ときには単純な推測もそこに介在している。
医者の知識と技能の間にある差は埋めがたい。
そして、その落差ゆえに、あらゆることが複雑になってしまうのである(P.016)。

常勤外科医たちは、病院にとって最も重要なのは、長年にわたって同じ一つのことを黙々とやり通すだけの誠意と勤勉さとひたむきさを備えた人物を見つけ出すことだと言っている。
(中略)
技術は教えることができるが、ねばり強さは教えられない(P.031)。

私の息子はふつうではない問題を抱えていた。
あの専修医はもっと経験を積む必要があった。
だれよりも、研修医である私は、そのことを理解できるはずだった。
しかし、私は迷わずに決断を下した。「私の子ども」のことなのだ。
選択するときには、私はいつだって息子のために最良の選択をする。
そうしない人などいるはずがない。
だからこそ、未来の医学界はそれを当てにしてはいけないのである(P.046)。

人間的な思いやりとテクノロジーは、必ずしも両立しないわけではなく、互いに高め合うこともできる。
(中略)
ミスは常について回るが(機械といえども完璧ではないのだ)、ミスが減ったときに初めて信頼を勝ちとることができるのだ。
さらに、「システム」が技術面を受け持つようになると、医者は、患者とじっくり話すといった、はるか昔から重要とされていたことに時間を割けるようになる。
(中略)
機械は確かに決定を下せるが、癒しにはどうしても医者が必要なのだ(P.060)。

スキーで足を骨折しても―確かにひどい痛みではあるが―治ればまたスキーをする。
ところが、一度でもジンで悪酔いしたり牡蠣であたったりすると、二度とそれには手を出さなくなる。
アンソニー・バージェス原作の『時計じかけのオレンジ』の中で、政府当局は主人公アレックスの暴力性をコントロールするために、彼の暴力的衝動と吐き気と結び付けて解決を図るというシーンがあった。
ある時期、ドイツの町で同じようなことが行われた。
一八四三年に書かれた資料によると、町庁舎の外に置いた箱に非行少年を押し込んで、それを警察官がものすごいスピードで回転させた。
そして少年たちは野次馬たちに見るに堪えない見せ物を提供したという(P.156)。