『日本を捨てた男たち』

『日本を捨てた男たち』水谷竹秀

読後の感想
『日本を捨てた男たち』は、フィリピンを舞台に経済的に困窮した日本人たちの実態を描いたノンフィクションです。
著者の水谷竹秀は、彼らの苦しい現状に肉薄し、その人生の葛藤や選択に迫っています。
本書を通じて、私たちは「困窮邦人」という存在について考えさせられます。

「困窮邦人」が直面する現実は衝撃的です。
彼らは、フィリピンの街で路上生活を強いられ、日本とは全く異なる環境で日々を過ごしています。
P.021に書かれているように、こうした日本人たちは、所持金を使い果たし、ホームレス状態に陥っています。
フィリピンにおいては、彼らの存在はよく知られており、特にこの国で困窮邦人が増えているという事実は、現代社会が抱える問題の一端を示していると感じました。

また、ノンフィクションである以上、取材の難しさについて「困窮邦人は自分の都合のいいことしか言わない」という取材相手の言葉は、非常に考えさせられます。
困難な状況にある人々が、自己防衛のために自らの発言に整合性を持たせようとする姿勢には、人間の弱さや葛藤が浮かび上がります。
この状況を目の当たりにした著者が、取材の中で真偽を確かめざるを得なかったことも理解できます。
フィリピンという異国の地で生き抜くために、彼らがどのようにして自分を守っているのか、その姿勢には複雑な感情が交錯しているように思います。

80歳手前の老人との対話は、取材者としての著者が自らの限界に直面する場面です。
この老人が突然怒り出し、感情をぶつける瞬間に、著者は自らの思い上がりに気づきます。
困窮する人々に対して「助けてあげよう」という気持ちは、善意であっても相手にとっては逆効果であることがあるのです。
この老人とのやり取りを通じて、著者が抱く「人は対等ではいられない」という現実は、取材者と取材対象者との間に存在する見えない壁を象徴しているように感じました。

今までの常識をひっくり返したくだりは、フィリピン警察の捜査費用についてです。
海外の警察(特に東南アジア系)って腐敗しているイメージがありましたが、その理由はもしかしたら待遇にあるのかもしれないと思い至りました。
P.143ではフィリピンの捜査機関の現状について触れられています。
偽札の取り締まりがあまりにもあっけなく終了してしまったことは、フィリピンの警察の資金不足や労働条件の厳しさが背景にあることが示されています。
このような途上国特有の事情は、困窮邦人たちの生活をさらに厳しいものにしていると感じました。
彼らは日本では経験しなかったような法律やシステムの違いにも直面し、孤立感を深めているのかもしれません。
例えば、フィリピンでは日本人の名義では不動産が購入できないので、フィリピン人妻名義で購入し、妻から捨てられるなんてことはおそらく想像だにしていなかったでしょう。

あと、1953年に制定された国援法について言及されています。
戦後に中南米に移住した日本人の帰国支援を目的に作られたこの法律は、現在では困窮した日本人を救済するための手段となっています。
フィリピンで困窮する邦人たちがこの制度によって帰国できるということは、彼らにとって最後の頼みの綱となっているでしょう。
しかし、飛行機代や宿泊費が貸し付けられるものの、それが「貸付」である以上、彼らが返済の目途を立てられるのかは疑問です。
また、支援がある一方で、彼らの状況が根本的に解決されるわけではないという現実が残ります。

『日本を捨てた男たち』は、フィリピンという異国で生きる困窮邦人の現実を鋭く描いた一冊です。
読者は、彼らの姿を通じて、人生の選択やその先に待つ現実について深く考えさせられます。
彼らの境遇に共感し、理解しようとすることは容易ではありませんが、本書はその困難さと向き合う機会を与えてくれる貴重な作品だと感じました。

印象的なくだり

海外で経済的に困窮状態に陥っている在留邦人を「困窮邦人」と呼ぶ。所持金を滞在先で使い果たし、路上生活やホームレス状態を強いられている吉田のような日本人のことだ。特にフィリピンではこの困窮邦人が一般的な問題になっており、在留邦人の間でも、その存在はよく知られている(P.021)。

「困窮邦人は自分の都合のいいことしか言わない」
フィリピンの事情に精通したある日本人男性が言った言葉だ。私は取材相手の過去の経歴などについては、一度聞いた内容にブレがないかどうか確かめるため、同じ質問を繰り返し、発言内容の一貫性を追求してきた。しかし、バクララン教会で生活を続ける吉田は、逆に「僕、前何て言いましたっけ?」と何度も聞き返してきては、これまで私に話した内容に無理に整合性を持たせようとするところが再三見受けられ、事実関係が食い違うことが何度もあった。であれば、その真偽を確かめなければならない(P.067)。

フィリピンの捜査員には「偽札=重罪」という認識が日本に比べて希薄なのか、事件発生から数日後、犯人特定や製造元につながる有力情報を得られないまま、捜査は事実上終了してしまった。これには、捜査員の給与が安く、捜査費用も基本的には支給されない上に、事件現場まで行く交通費や車の燃料まで自腹で賄わなくてはいけないという途上国特有の事情も大きく関係していた。ちなみに知人の警察官によると、一般の、キャリア組でないフィリピンの警察官の給与は1ヵ月1万2000~2万5000ペソ(約2万4000~5万円)程度である(P.143)。

国援法が公布されたのは1953年。この法律はもともと、戦後にブラジルやドミニカ共和国等の中南米に移民した日本人の帰国支援を実施するために作られたとされる。
現在は、海外で無一文になった日本人に対して公費で帰国を支援する際に適用されている。貸付額は基本的に飛行機代と宿泊代金や食費、空港施設使用料などの雑費。雑費に関しては「合理的な範囲で貸し付ける」(外務省筋)という。また、日本の空港から自宅や知人宅までの交通費も貸し付けることがある(P.206)。

息子と娘の子供2人について尋ねた時は、星野はこう語った。
「一切考えないことにしている。切ったもんは切ったことにしている。そういうのはは切れるんだよね。いきなりフィリピンに来てるから後ろめたいもんはあるでしょう。申し訳ないという気持ちもあるわね。考えても始まんないし、どうなるもんでもないでしょう。一応、息子と娘の2人が大学を卒業するまではやったっていうのはあったで。親として最低限はな」一切考えないことにしているのは、考える時があることの裏返しか。私はそう受け取った。
フィリピンへ来るために犠牲にした代償を星野は未だに背負い続けているように見えた(P.257)。

このテーマの取材のきっかけになった80歳手前の老人は、ある時、粗末な掘っ立て小屋の中で突然怒り出した。「今すぐにでも帰国したい」と無茶な話を執拗に繰り返したため、私が制した時だった。「あなたは俺のこと何も知らない。あなたには俺のことこれ以上話さない方がいいと思う。毎日苦しい思いして飯食ってんだよ。これで死んじゃったら、俺のたれ死にじゃない」それまでは取材を快く受けてくれたこの老人の本音が飛び出した瞬間だと思った。のたれ死にしそうな境遇に置かれた老人の心境について、給料を稼いで生活に不自由しない私が理解できるわけがなかったのだ。だが、理解しよう、何とか援助してあげようという私の思い上がりがおそらく、この老人の逆鱗に触れたのだ。これを境に私は変に臆することになり、その後、気を遣ってばかりいた。彼もどことなくよそよそしく感じて少なくともこの2人からは「こいつ、人の気持ちも分からずにネタにしやがって」と思われていたことだろう。もしかしたら今回取材した対象者全員かもしれない。人は対等ではいられないという現実をまざまざと突き付けられたようでもあった(P.278)。

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『限りある時間の使い方』

『限りある時間の使い方』

読後の感想
オリバー・バークマン著『限りある時間の使い方』は、単なるタイムマネジメント本ではありません。
仕事効率化やタスク管理といった表面的なテクニック論ではなく、もっと根源的な問いを投げかけてくる一冊です。
それは、「自分の人生をどう生きるか」という、私たちが一度は必ず向き合う普遍的なテーマです。

本書を読み進める中で、私はある種の抵抗感を覚えました。
それは、著者があまりにも率直に「人生は有限である」という事実を突きつけてくるからでした。
私たちは、いつまでも若く、時間は無限にあるかのように錯覚しがちです。
しかし、本書はそんな幻想を打ち砕き、残された時間をいかに有意義に過ごすか、そのためのヒントを与えてくれます。

特に、「選択肢を増やすのではなく手放す」という言葉が印象的でした。
現代社会は、多様な選択肢があふれかえっています。
しかし、全ての選択肢を手に入れようとすることは、結局のところ何も得られないことにつながります。
大切なのは、本当にやりたいこと、価値のあることに集中し、それ以外のものを手放す勇気を持つことです。

また、「時間がまだあるという前提を疑う」という考え方も、私にとって新鮮なものでした。
私たちは、将来のどこかで「やりたいこと」を叶えるために、今の時間を我慢したり、犠牲にしたりしがちです。
しかし、未来は不確かなものです。
もしかしたら、明日、やりたいことを叶える機会が失われてしまうかもしれません。
だからこそ、今この瞬間を大切にし、やりたいことを実行に移すことが重要なのです。

本書を読んで、私は「今を生きる」ことの大切さを改めて実感しました。
未来を予測したり、過去を悔やんだりするのではなく、今この瞬間に集中し、目の前のことに全力を尽くす。
それが、有限な人生を豊かに生きる秘訣なのかもしれません。

しかし、同時に私は大きな疑問も抱きました。
それは、「時間を無駄にする」とは一体何なのか、ということです。
何かを成し遂げなければ、時間を無駄にしたと感じてしまう。
そんな思いが、私の心の中に根強く残っていました。
しかし、本書を読んだことで、その考え方がいかに愚かであったか気づかされました。
時間は常に流れており、何をしていても、あるいは何もしていなくても、時間は過ぎていきます。
大切なのは、その時間をどう捉えるか、どう過ごすかということです。

本書は、決して楽観的なメッセージばかりを伝えるわけではありません。
むしろ、人生の厳しさや儚さを突きつけ、私たちに深い問いを投げかけてきます。
しかし、その問いと向き合うことで、私たちは自分自身の人生について、より深く理解することができるでしょう。

『限りある時間の使い方』は、人生の羅針盤を見つけるための旅の地図のようなものです。
この本を読み、自分自身と向き合い、本当に大切なことに気づき、より充実した人生を送るためのきっかけにしていただけたら幸いです。

まとめ
人生の根源的な問いを投げかける一冊
単なるタイムマネジメント本ではなく、自分の人生をどう生きるかという根本的な問いを考えさせられる。

有限な人生をどう生きるか
人生は有限であり、その事実を受け入れることの重要性を説く。

選択肢を手放す勇気
全ての選択肢を手に入れようとするのではなく、本当にやりたいことに集中し、それ以外のものを手放すことの大切さ。

今を生きる
未来を予測したり、過去を悔やんだりするのではなく、今この瞬間に集中し、目の前のことに全力を尽くす。

時間の捉え方
時間を無駄にするとは何か、時間の価値について深く考えさせられる。

総評
『限りある時間の使い方』は、私たちが当たり前と思っている時間という概念を根本から揺さぶり、人生に対する価値観を大きく変える可能性を秘めた一冊です。
人生の目的を見失ってしまった人、何か物足りなさを感じている人、そしてより充実した人生を送りたいと願うすべての人におすすめしたい。

実行しようとおもったくだり
ぜひとも実行してみようと思ったのは、203ページの記述である「美術館に行って絵画か彫刻をひとつ選び、3時間じっと見る」という課題。
その間メールはもちろんスマホもSNSも全て禁止。ただ一つのことに取り組むということ。
これに擬似的な体験として、私は飛行機に乗っている間ずっと本を読んでいるのですが、飛行機の中にいると普段に比べてずっと多くのことを読み取れるように思います。
それは、電波が入らないフライトモードになっていることも影響しているからです。選択肢がなければ気にならないのです(最近の飛行機のWi-Fiはありがた迷惑ともいえます)

印象的なくだり
生活が加速したせいで、みんな以前よりもイライラしている。電子レンジで2時間待たされるのは、オーブンで2時間待つよりもずっと腹立たしい。郵送で3日待つのは我慢できても、重いウェブサイトで10秒待たされるのは我慢できない(P.009)。

​​単に昔のほうが時間の流れがゆるやかだったとか、当時の農民がのんびりしていたという話ではない。違いはもっと根本的なところにある。
当時の人たちは、時間を抽象的な存在として体験していなかった。
つまり「時間というもの」が存在しなかったのだ。
ありえないと思うかもしれない。でもそれは、現代的な時間の捉え方にどっぷり浸かっていて、それ以外の捉え方がうまく想像できないせいだ。ちょうど水の中を泳いでいる魚が、水の性質を理解できないのと同じだ。
いくらか距離を置いてみると、僕たちの時間の捉え方は、かなり奇妙なものに見えてくる(P.026)。

どんなに効率を上げて、どんなに自制心を駆使したところで、ゴールにはたどり着けない。どんなに時間を管理しても、タスクがゼロになることはない。何も心配事のない平穏な状態なんて、実現できるわけがない。
頑張っても無駄だ、と気づいた瞬間、気持ちがすっと楽になった。ゴールが不可能だとわかれば、失敗した自分を責めなくてすむのだから。
でもこの時点で、僕はまだ、問題の本質を理解していなかった。
それは、なぜこれらの方法が必然的に失敗するのか、ということだ(P.037)。

自分の時間は、あまりにも短い。その事実を直視するのは怖いことだ。
タフな選択は避けられない。やりたいことを全部やる時間はない。さらに、限られた時間の使い方さえも自分ではコントロールできない。すべてを完璧にこなせる人なんていない。体力や才能、その他のいろんなリソースが足りない。
そんな現実を直視したくないから、僕たちは全力で現実を回避する。まるで何の制約もないかのように、非現実的な幻想を追いつづける。完璧なワークライフバランス、やりたいことがすべて実現できるタイムマネジメント。
あるいは逆に、先延ばしという戦略もある。難しいことに挑戦して失敗するのが怖いから、延々と先延ばしして「本気を出せばできる」と思いつづける。
忙しさも先延ばしも、結局は怖いことから目をそらすための方便だ。ニーチェは次のように言う。
「我々は生活に必要な以上に熱心に、夢中で日々の仕事に取り組んでいる。立ち止まって考える暇ができては困るからだ。世の中がこれほど忙しいのは、誰もが自分自身から逃避しているためである」
(P.040)。

やりたいこと、やるべきこと、他人にやれと言われたこと―――それを全部やるだけの時間が本当にないのだとしたら、もう諦めるしかない。どんなに悔しくても、どんなに人に嫌われても、時間がないのだから仕方ない。やることリストが終わらないからといって、自分を責める必要はまったくない。やれることはやる。できないことはやらない。それだけだ。「もっとやれ、全部やれ」という内なる暴君の声は、ただの勘違いだから無視していい。
いや、そうはいっても実際は、それほど簡単に割り切れないかもしれない。なぜならそれは、自分の限界という、みじめな現実に直面することを意味するからだ。
どのボールを落とすか、どの人をがっかりさせるか、どの夢を捨てるか、どの場面で失敗するか。今の仕事を続けるなら、子どもたちと過ごす時間は減るだろう。創作活動のために時間を使うなら、家の掃除がおろそかになり、運動不足になるだろう。そんな不愉快な現実から目を背けるために、僕たちはタイムマネジメントの教義にしがみつく。
忙しすぎるのは、やり方が悪いからだ。うまいやり方さえ身につければ、もっとたくさんのことができるようになる。限界なんてない、もっともっとたくさんやろう、と(P.050)。

あなたが有能だとわかると、誰かが自分の仕事をあなたにやってもらおうと考える。そしてあなたは、断れずについ引き受けてしまう。マネジメントの専門家ジム・ベンソンの言葉を借りるなら、「他人の期待を無限に受け入れる容器」になってしまうのだ(P.062)。

何かを捨てて何かを選ぶという現実が重すぎて、選択肢がないふりをしているだけだ。
重い現実から目をそらしていたほうが、人生は快適かもしれない。でも、その快適さは人を空っぽにして、人生を僕たちの手から奪ってしまう。
自分の有限性を直視して初めて、僕たちは本当の意味で、人生を生きはじめることができるのだ(P.078)。

心は未来への安心感を得ようと挑んでは失敗し、また挑んでは失敗する。まるで心配すれば不幸が防げるかのように、僕たちは心配をやめようとしない。物事がうまくいくことを事前に確実にしたい、という欲求に突き動かされているからだ。「恋人が心変わりしないようにしたい」「老後の安心を確保したい」「パンデミックで誰も失いたくない」「次の選挙で自分の推す候補者を当選させたい」「金曜日の午後までにやることリストを絶対終わらせたい」
そうやって未来をコントロールしようとあがく態度こそ、自分の限界を認めようとしない僕たちの悪い癖だ。本当は、どんなに未来を心配しても、時間との戦いに勝てるわけがない。先のことはけっして確実にはならない。未来はいつでも、伸ばした手の少し先にある(P.140)。

病的なまでの生産性依存は、世の中に広く蔓延している。僕自身、誰よりもこの病気に悩まされてきたのだ(スティールのように何百万人もの読者に幸せな読書体験を与えたわけではないけれど)。
社会心理学者は、そういう状態を「怠惰嫌悪」と呼ぶ。何もしないことが嫌で仕方ないという意味だ。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』のなかで、こうした態度が現代人の精神の核心にあると主張している。
ウェーバーによると、この種の勤勉さが最初に登場したのは、北ヨーロッパのカルヴァン派キリスト教徒においてだった。カルヴァン派の人々は「予定説」を信じていた。個々の人間の宿命は生まれる前から決定されていて、死後に救われるか地獄に落ちるかは人の意志ではどうしようもないという説だ。
カルヴァン派の商人たちは、せっせと勤勉に働くことで、自分が救われる側であることを他人にも自分にも証明しようとした。こうしたカルヴァン派の勤勉さが、初期の資本主義を突き動かす原動力となった、とウェーバーは論じる。
カルヴァン派の人々の禁欲的な態度も、資本主義を大いに発展させる要因となった。みんながせっせと働いて富を生みだす一方、贅沢を嫌って富を使わないようにするなら、必然的に資本がどんどん蓄積されるからだ(P.175)。

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「nontilte」Season1 第1話の感想

「nontilte」Season1第1話の感想
YouTubeの番組「ノンタイトル」シーズン1第1話を見た感想をまとめました。

2022年4月27日プレスリリース
https://www.yumobile.co.jp/news/yuc20220427

<引用>
Y.U-mobile株式会社(本社:東京都品川区、代表取締役社長:鹿瀬島 礼、以下「当社」)は、当社が提供するMVNOサービス『y.u mobile』において公式スポンサーを務める、YouTuberのヒカル、格闘家の朝倉未来がタッグを組んだYouTube新番組「Nontitle~この1000万あなたならどう使う?~」(以下、「当番組」)が明日4月28日(木)19時より公開することをお知らせします。
 当番組は、事業立ち上げを目指す若者たちが、3か月間ひとつ屋根の下で事業を作り出す新しいカタチのドキュメンタリーショーです。一般公募から選出されたメンバーが事業を生み出すべく、事業計画を立案し、最終話ではヒカルと朝倉未来が実際に事業への投資を行うかどうかを判断するまでを追っていきます。
 多くの有名クリエイターと事業展開を行う株式会社サムライパートナーズが制作に携わり、明日の当番組公開に先駆けて、本日4月27日(水)に制作発表会が開催されました。制作発表会では、みなさまより当番組への熱い期待が寄せられました。
 当番組は、いよいよ明日4月28日(木)19時から公式YouTubeチャンネルにて公開されます。

今回のエピソードでは、6名の出演者(男性3名、女性3名)が登場し、それぞれのキャラクター設定や役割分担が鮮明に描かれています。

出演者のキャラクターと役割分担
登場人物の中には、明確に分かりやすいキャラクター設定が施されている人物がいます。例えば、3枚目のキャラクターが一人おり、他のメンバーとは異なるユーモアと親しみやすさ、そしてムードメーカーのような役割を担っていました。
また一方では、クール系の雰囲気を醸す人もいて、チーム全体の雰囲気をコントロールする意図が感じられます。
これらのキャラクター設定は、見ている側にとっては各メンバーを識別しやすくし、番組に対する親しみを深める助けとなっています。

舞台設定とロケーション
番組のロケーションは、一目見ただけで鎌倉だと分かるような風景が広がっています。目の前に国道があり、その前に海が見えるというロケーションは、鎌倉の特長的な景観を映し出しています。この美しいロケーションが、番組の雰囲気を一層引き立てています。

ここでした

UMITO YUIGAHAMA
https://umito.jp/kamakura-yuigahama/
運営会社は堀鉄平さんの堀塾です。
いわゆるシェア型の販売で、1棟まるまる持ち分全部なら13億8000万円だけど、利用権だけなら、年間10日で980万円で持ち分は36分の1。
それでも高いけどね。

チーム分けとリーダーシップ
第1話の大きなミッションの一つとして、6名の出演者を3名ずつの2チームに分け、それぞれにリーダーを決めるというタスクがありました。全員がオーディションを経て出演していることから、各自の自己主張が強い中で、どのようにリーダーシップを発揮するかが見どころとなっています。

特に注目すべき点は、支配型リーダーではなく、調整型リーダーであるサーバントリーダー型の人物が存在することです。このタイプのリーダーは、チームメンバーの意見を尊重しながら全体をまとめる役割を果たしており、視聴者としても安心して見ていられます。

「会社経営」に対する疑問
番組内で触れられている「会社3社経営」といった自己紹介には疑問を感じました。日本のビジネスシーンでは、経営している会社の数をアピールする風潮がありますが、私個人としては、会社の数よりもその経営状態が重要だと感じます。たとえ会社が何社あろうと赤字経営では意味がなく、黒字経営であることこそが評価されるべきではないかと思います。

まとめ
「ノンタイトル」シーズン1第1話は、出演者6名のキャラクター設定や役割分担が明確であり、舞台となる鎌倉の美しい景観も相まって、非常に楽しめる内容でした。チーム分けやリーダーシップの取り方など、番組の進行においても興味深い要素が多く、今後の展開が楽しみです。
また、ビジネスにおける価値観についても考えさせられる内容でした。次回以降も期待して視聴を続けたいと思います。

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タイミーの「事業計画及び成長可能性に関する事項」を読んでみました

タイミーの上場に伴い、「事業計画及び成長可能性に関する事項」という資料を閲覧しました。普段知らなかった情報が多く掲載されており、大変有意義でした。
この資料には、タイミーのビジネスモデルやその成長可能性に関する具体的な内容が含まれています。

https://www.nikkei.com/nkd/disclosure/tdnr/20240723553129/

タイミーとは、いわゆるマッチングサイトの求人版と言えるもので、クライアントが「働いてほしい時間」だけ単純労働をする人を雇用し、ワーカーは「働きたいときだけ働く」というニーズを繋げたサービスです。
この説明を聞くと、非常に合理的で素晴らしいサービスのように聞こえますが、実際には労働者側にスキルがほとんど付かないため、長期的には雇用側に非常に都合の良いシステムになっていると考えられます。

このサービスが提供する労働の多くは、教育が必要ない誰でもできる作業ばかりであるため、働き手が付加価値を付けることが難しい仕組みになっています。
これを象徴するのが、資料の11ページに記載されているクライアント属性の分析です。
そこには、梱包やピッキング、検品といった単純作業が44パーセント、飲食関連の作業(バッシング、オーダー、洗い場、配膳など)が26パーセント、さらにレジ打ちや品出し、陳列が21パーセントと、多くの仕事が誰でも容易に代替可能な作業であることが示されています。(個人的には、レジ業務を一時的なワーカーに任せることには不安を感じますが。)

12ページには「労働者不足を解決する」とありますが、現実には、機械に代替可能な作業において自動化が進むまでの一時的な雇用の調整弁に過ぎないのではないかと思います。
このような状況をタイミーも理解しているようで、資料の20ページあたりでは1枚のページを使って「正社員」と「タイミーワーカー」の仕事の違いを説明しています。
このページでは、雇用形態による格差が浮き彫りになっており、正社員と単純作業を担当するタイミーワーカーの間に大きな違いがあることが示されています。

さらに、私が特に驚いたのが資料の10ページに掲載されているワーカーの属性です。
40代以上のワーカーが全体の47パーセントを占めているという事実は、非常に衝撃的でした。
私はてっきり、スキルがない10代や20代の若年層が主流だと思っていましたが、実際には40代以上のワーカーが半数近くを占めていることが明らかになりました。
この40代以上の層は、たとえ子育てなどで10年のブランクがあったとしても、社会に10年以上出ている経験を持っているはずです。こうした層が単純作業に従事している現実に、私は恐怖を感じました。
いわゆる「氷河期世代」も含め、この現象は日本社会における重大な問題を示しており、かなりのディストピアが来ているのではないかと危惧しています。

タイミーのビジネスモデルは、確かに現代社会のニーズに合致したものであり、多くの企業や働き手にとって便利なシステムです。
しかし、その背後には労働者側に不利な条件が存在し、社会の格差を助長する可能性があることを認識しなければなりません。
短期的な解決策としては有効かもしれませんが、長期的な視点で見た場合、このような雇用形態が社会に及ぼす影響について深く考える必要があるでしょう。タイミーを利用する企業側とワーカーの双方が、持続可能な社会のためにどのようにこのサービスを活用していくべきか、今後の課題として注目されるべきです。

どっとはらい

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『ある男』

『ある男』平野啓一郎

読後の感想
この『ある男』の「男」って誰のことを指しているのであろうか。
最初はもちろん亡くなった谷口大祐(と名乗る人物)のことだっと思っていました。しかし実際に読み進めていくと、果たしてそうなのかという結論に至りました。
結論から書くと、私が考える「男」は、最初は狂言回しかと思っていた城戸のことではないかと思っています。
小説の中での城戸の設定は、在日三世で、妻との間には子供はいるがまぁまぁ冷え切っていて、美涼に妙にちょっかいをかけたりという感じだが、あちこちで心情を吐露する場面が多かったです。バーで他人を語ったり、美涼との関係を望んだりと、まるで城戸自身が谷口の人生をトレースするような動きをしていることに、妙な親近感と違和感を感じました。
ここで登場する人物たちは、いろいろな理由により他人の名前を語ったりしていますが、選択肢次第では城戸も同じようだったのではないかという危うさを感じました。
最後まで本を読み進めていると、実は城戸に関する描写のほうが多いのではないかと感じるほどでしたので、私は『ある男』は実は城戸に関する物語だったんじゃないかなぁという結論に至りました。

どっとはらい。

印象的なくだり
年齢が年齢だけに、親類や知人の訃報に接する機会も少なくはないが、生き足りないまま死んだ若い人間の通夜は、大往生の老人の通夜とはまったく違って、身に堪えた。残された妻も、小学生の二人の娘も泣き通しで、城戸は大した慰めの言葉もかけてやれなかった。確かに多少、肥満気味ではあったものの、本人が腹をさすりながら、笑ってダイエットの決意を語る程度のことで、誰も深刻には考えていなかった。斎場をあとにすると、彼が死んだという事実の現実感も、知らせを受けた直後の曖昧さにふらふらと踵を返してしまいそうになった(P.129)。

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