富山空港について調べてみた

富山県に唯一ある富山空港は富山市内のとても便利なところにあります。

ほとんどの人は車で行くと思いますが、富山インターチェンジから車で約5分という好立地。
バスだとしても富山駅から約20分という近さなのです。

余談ですが、北陸自動車道が空港の近くにあるためよそ見をするドライバーが多く、高速道路には飛行機の脇見注意、の看板があります。

そんな富山空港ですが国内便が2路線、国際便が5路線あります。

国内線
・東京(羽田空港)行き(1日5往復)
・札幌(新千歳空港)行き(1日1往復)
航空会社は両方共ANAが運行しています。

国際線
・ソウル(仁川国際空港)行き(週に3往復)
航空会社はアシアナ航空。
・大連(大連周水子国際空港)行き(週に2往復)
航空会社は中国南方航空。
・上海(上海浦東国際空港)行き(週に2往復)
航空会社は中国東方航空。
・台北(台北桃園国際空港)行き(週に4往復)
航空会社はチャイナエアライン。

スポンサーリンク

北陸地方の交通について考えてみた

【鉄道】
北陸新幹線は富山県と石川県まで延伸。
富山県内にある駅は、3駅。
黒部宇奈月温泉駅、富山駅、新高岡駅。
石川県内にある駅は、金沢駅の1駅。

【空港】
富山県内にある空港は、富山空港
愛称は、富山きときと空港。
(きときとは方言で「新鮮」という意味)
石川県内にある空港は、小松飛行場能登空港
小松飛行場は自衛隊と軍民共用で愛称は小松空港。
能登空港の愛称はのと里山空港です。

福井県には、意外と知られていませんが空港があります。
実は坂井市春江町に福井空港があるのです。
愛称は春江空港。
しかし、定期便がなく自家用機ばかりのため
実質的には一般の人が利用できる空港はないと言っても過言ではないでしょう。

【道路】
富山県、石川県、福井県を通じて走っているのが北陸自動車道と国道8号線。
富山県内には、小矢部砺波ジャンクションで接続する東海北陸自動車道と能越自動車道もあります。
福井県内には、福井北ジャンクションで接続する中部縦貫自動車道と
敦賀ジャンクションで接続する舞鶴若狭自動車道があります。

スポンサーリンク

ルーツを探る

とある申請上必要だったので、亡くなった祖父の情報が入った書類を見てたら
見慣れない住所が書いてありました。

どうやら疎開前の住所?のようでした。

別に自分のルーツが知りたいわけではないですが
現在どうなっているのかな?と思い、検索してみると
なんと保育園の駐車場になっていました。

しかも、所有者は市になっていて、未利用地なので
売却すべしという意見書まで出ていました。
そこそこ市街地なのですが、道路幅も狭く不整形地でした。

ストリートビューで見ながら
祖父は子供の頃このへんにいたのかなあと思いを馳せてみると
何やら不思議な気がしました。

おしまい

かくてーしんこく

今年も無事に書類の作成が終わりました。
(国税庁のサイトで作成して、印刷して提出)

毎年思うのですが
・e-Taxへの移行準備
・領収書をもっとちゃんとまとめておくこと

をいつも後悔している気がします。

今年は家を買ったので特に…。

『秋山兄弟 好古と真之』

「秋山兄弟 好古と真之」
瀧澤中

読後の感想
あれ?この本秋山兄弟について書かれたんじゃないの?と読んでいて思いました。
おそらく筆者は明治時代が好き過ぎて、秋山兄弟だけではなくもっと書きたくなってしまったのでしょうね。
対象がブレブレです(いい意味で

面白い考え方だなと思ったのは、海軍学校の同期の結束力についての考え方。
いわゆる「同期の桜」などに代表される戦争中の同期の関係ですが
なぜそんなに結束力が高いのか、という理由を筆者は遠洋練習航海に求めているのです。
まぁ一理はあるのかなとも思いましたが、ちょっと無理筋じゃないの・・・・

意外と知られていない高橋是清の話
当時の世界は日露戦争はロシアが勝つと思っていたのに、高橋是清が世界各国で国債でお金を集められたのはなぜなのか?
読めば分かります(適当なまとめ

印象的なくだり

もし学問が単なる出世、単なる技術的な勉強であるとするならば、はたして学問を尊いものと考えたであろうか。
藩校の教授は、禄高が低くても殿さまに直接講話することができたり、地位としては異例の高さをもっていた(P.061)。

松方正義は明治天皇から、「お前は何人子どもがいるのか」とお尋ねがあり、「きちんと調べまして、ご報告<致します」と答えた逸話が残っているほど艶福家であったが、それだけ精力的で、エネルギーのある男だったと言えよう(P.101)。

孫引きはいかん…けど

明治人が考えた「強い自分」とは、どんな人間か。
新渡戸稲造はこう述べている。
「強き人はよく耐える、よく耐える人を強者という」(新渡戸稲造『自警録』)(P.115)。

これは合理的。
現代にも使えそうな考え方。

メッケルが言わんとした命令書の書き方について、記しておく。
「命令を記すには、第一その命令の出所を記し次に月日時刻を記すべし」
「命令には何を書くべきか。第一には一般の敵情、第二に我の目的、これを書きこめという。
そして最後には師団命令であれば、師団長の位置(某月某日、何処に在り)を記入せよと付け加えた」
発信者と発信日時がまず最初に知らせるべき内容であるのは、一つの命令がずっと有効であり続ける戦場など存在しないからである(P.136)。