『あの人と和解する―仲直りの心理学』
集英社
井上孝代
読後の感想
和解とは、どちらか一方もしくはお互いに譲歩してするものではない、という考えには驚きました。読み進めると既存の概念を打ち砕くとと同時になるほどと思うことしきりです。
実際に多くの人との対話経験は、ある種の達観を生むのでしょうか。
ホーポノポノは癒されそうです(内容的にも語感的にも
印象的なくだり
(前略)トランセンド法とは、(Conflict 対立、紛争、もめごと、諍い、葛藤)の解決にあたって、双方の妥協点を調整する従来の方法ではなく、対立や矛盾から超越して新しい解決を創造的に探し出す方法であり、「超越法」とも呼ばれる(P012)。
トライセンド法では、第三者が両者の考え、言い分を十分にきき、対話することによって、対立する二者の目標・ゴールを乗り越えたところに新たな解決地点を見いだそうというものである。斬新かつ、極めて人の心理にかなった方法である(P012)。
話し合いの目的は、互いの利害が一致することではない。互いの気持ち、言い分に時間をかけて耳を傾け合う、というプロセスが大事なのであり、人々がこころを開示しあう対話がそこにあることが、重要なのである。自分の話をみんなに十分きいてもらえたという満足感があれば、人の話もまたちゃんときいてみようというこころの余裕が生まれるものである。そして、こころゆくまで共感的な話し合いができたあとなら、たとえ最初に自分が思っていた結論と違う結論に達したとしても、ストレスは残らない(P032-033)。
話し合いの現場に出れば、現実に直面することになるし、自分自身の葛藤と向き合わざるをえない。だから、逃避する。できるだけ問題を先送りにして、不快で居心地の悪い葛藤から自分を遠ざけようとする(P042)。
自分たちの部署の上司が、ある部下を「ダメ社員」として扱うことは、ほかの部下あちからすれば気持ちのいいものではない。さらに、ある意味、その彼をスケープゴートにして自らの安泰を確認しているといった意識もあり、それに罪悪感のようなものを抱いている社員もいた。そうした空気のなかで、上司の態度がやわらぎ、部下との距離が近くなってことで、もやもや感が払拭され、職場に新しい空気が流れこんだと思われる(P088)。
最終的にはすべて、自己との和解
親子、夫婦、職場・・・・・・対人関係にコンフリクトを抱えている多くの現代人が、ほんの少しでも立ち止まり、自分のこころのなかに目を向けてみる。自分の感情や欲求に耳を澄ませてみる。そんな作業の課程で、実は自分のなかにこそ被害者も加害者もいるのだと気づく。自己との和解とはそれに気づくことであり、そんな弱い自分を受け入れていく課程なのである(P143-144)。
(前略)、子どもの個の確立を考えようともせず、幼いころの表現を成長後も押しつけると、子どもの発達には悪影響を及ぼす。母子密着型の親子関係において、こういった押しつけ的コミュニケーションが、後々まで続いていくとどうなってしまうのだろうか。寒いと感じる前に「寒いでしょ」、悲しいと感じる前に「あらあらかわいそうに。つらかったね」と常に感情を先回りして言われることで、子どもは自分がどう感じているかがわからなくなる。自分の気持ちや要求がよくわからない”感じない子ども”になってしまうのである(P161)。
和解には、特効薬も一件落着もない。あなた自身のなかに葛藤があり続けるように、いたることに対人関係のコンフリクトは出現しつづける。和解がいったん成立しても、人士絵や社会生活にはコンフリクトがつきものである。
和解とは、そのつど「私は(相手は)何を望んでいるのだろうか」と自分に問いかけ、相手に問いかけていく作業であり、そのプロセスではないかと思う。
そして、一人一人の自分自身と向き合う勇気、相手と向かい合う勇気が自分の周りの小さな諍いから国際紛争までを解決に導く第一歩となるのではないだろうか(P184)。