『私、社長ではなくなりました 』

『私、社長ではなくなりました 』
安田佳生

読後の感想
「千円札は拾うな」の安田社長。
新卒の就職したい会社ランキングの上位にいたことは存じ上げていたが、
まさか民事再生をしていたとはまったく知りませんでした。
会社ってなんだろう、企業ってなんだろう。
会社の社会的責任「従業員の雇用を守る」という言葉の重さ。
なかなか会社をつぶした人の話を聞くことは出来ない。
民事再生の原因は「放漫経営」と聞くと、それっぽく聞こえてしまうが
本当はそこが本丸ではない。
本当の原因は、「会社を継続させるための長期的視点が欠けていたこと」なのでは。
「敗軍の将、兵法を語る」 とも言う。
実は従業員に好かれ過ぎようとしたのではないだろうか。

印象的なくだり

いま思えば、英語もできないのに、よくぞひとりでアメリカに行けた。
当時の私は、おそろしいくらい楽天的だった。アメリカでは小学生だって英語を話すのだから、自分も行けばなんとかなるだろうくらいに思っていたのだ。
三十九歳のとき、ふたたび一人旅に挑戦してみようと思い立った。十代でなえあんな大胆なことができたのか、不思議でならなかったからだ。
行き先はスペインにした。だが、いざ出発というときになり、ひとりで行くのは不安になってしまった。
結局、通訳をつけてもらった。通訳は同じ年齢くらいのスペイン人のおじさんで、夜は毎晩、二人で酒を飲みつつバルの小皿料理をつまむこととなった。
年を重ねて臆病になっていた(P.030)。

これぞ偽らざる気持ちなんだろう、切ないなぁ。
思えば自分もいつの間にか新しいことができなくなっている気がする。

一九九〇年には、映画「プリティ・ウーマン」が大ヒットした。主演のジュリア・ロバーツがまだ二十二、三のころの作品だ。
あの映画を観て、ジュリア・ロバーツが演じた主人公のようなシンデレラ・ストーリーにあこがれる女性は多かったと思う。
一方、私はリチャード・ギアが演じた青年実業家にあこがれた。
強烈に印象に残っているのが、リチャード・ギアがペントハウスでシャンパンとイチゴを頼むシーンだ。シャンパンを飲みながらイチゴを食べるのである。
これこそが「できるビジネスマン」の象徴だと思った。
シャンパンを飲むときには、イチゴをかじる。
私もよく真似したものだ。
(中略)
シャンパンとイチゴについてはどちらでもいいことだが、とにかく私はリチャード・ギアのようになりたくて、将来は社長になると決めたのだ。
まったく不純な動機である(P.036)。

要領よく売ることしか考えていなかったので、全国で一番になっても、本当の営業力などまったく身につかなかった。
だが、このことに気づいたのは、もっとあとになってからだった。
私はワイキューブを設立してからも、いかに営業をせずに、要領よく売上を伸ばすかということばかりを考えていたのだ。
DMの開封率を上げるために、当時流行っていたディオールの「プワゾン」という香水をまるまる一本、DMにふりかけて香りで相手の気を引こうとしたこともあった。
なぜそれほど正攻法の営業が嫌いだったのかを振り返ってみると、たぶん自分の弱点がバレるのが怖かったのだ。私はとにかく人見知りが強く、初対面の人と話をするのが苦手だった。
そういう自分の弱点を露呈してしまうことが、何よりも怖かった。
それを他の方法でごまかし、なんとか取り繕ってきたのだ
(P.051)。

自分がやりたくないことは社員もやりたくないはずだし、社員に電話営業ばかりをやらせていては、優秀な人材が集まらなくなる。それならいっそのこと、アルバイトにやってもらうと考えたのだ。
しかし、自分たちがイヤなことをアルバイトに押しつけて、それで成り立っているビジネスというものいかがなものか。ずっと心に引っかかっていた(P.095)。

中途採用に積極的な企業は、転職市場には優秀な人材が流通していると考えがちだが、「優秀な人はそもそも会社を辞めないから、転職市場にも出てこない」というのが私たちの持論だった(P.102)。

中途採用よりも新卒採用のほうにメリットがあることをわかりやすく伝えるために、マトリックスを使って図解もしてみせた。経験の有無と能力の有無をかけあわせて、四つのタイプに分類したのだ。
経験があって能力がある人材は「即戦力」。
経験がなく能力がない人材は「戦力外」。
経験がなく能力がある人材は「未来の戦力」。
経験があって能力がない人材は「即害力」。
企業がいちばんほしいのは、即戦力である。だが、即戦力となる人材は会社を辞めないし、辞めたとしても
次の会社に引き抜かれて辞めていく。私たちのいう転職市場には出てこない存在というのが、これにあたる。
にもかかわらず、どの会社もこの即戦力を採ろうとやっきになっている。その結果、転職市場にあふれる即害力ばかり採用してしまうことになる(
P.103)。

本であれば、DMの代わりになる。本が売れさえすれば、顧客がお金を出して分厚いDMを買って読んでくれるようなものだ。
(中略)
さらに、本が話題になってメディアからの取材が増えれば、広告費を使わずにワイキューブを宣伝できる絶好の機会になるはずだ。
本を売って、メディアからの取材を増やす。そのためにはどうすればいいかを真剣に考えるようになった(P.111)。

自分たちの会社をどう魅力的にみせるかということについて、考え抜いていたり、ノウハウをもっている中小企業の社長は少なかった。
とくに自分たちの技術に誇りをもっている会社の社長は、気づいたら技術の話だけを一時間半もしていた。ということもよくあった。
たとえば、ネジがいかに精巧につくらているかなどだ。
しかし、そのようなことには、文系の学生はあまり興味をもたない。
それよりも、その会社で働くことよってどんなメリットがあるのか、それを伝えることのほうが説得力があった。
何もしなくても興味をもってもらえる大企業とは違って、中小企業の場合は「興味はなかったけれど、なかなかおもしろい会社かもしれない」と学生に思ってもらう必要があった(P.145)。

私たちのビジネスは、新卒を採用したことのない会社に新卒採用を提案することだ。
しかも世の中には、新卒を採用したことのない会社のほうが圧倒的に多い。
国内に二百万社ある会社のうち、新卒採用を実施しているのは二万社程度で、全体のわずか一%、残りの九十九%はがら空きのマーケットというわけだ(P.155)。

負債金額は四十二億円。
だが、銀行に対して返済計画を見直してもらうよう交渉したときよりも、「民事再生します」と告げたときのほうが、気持ちはずっと楽だった(P.187)。

ワイキューブを倒産させて、民事再生しようと決めたのは、役員である小川さんのひと言がきっかけだった。
小川さんはオレゴンの大学時代からの友人であった。
「安田さんが『もうやめよう』と言わない限り、社員はついていかざるをえない。これ以上、社員を巻き込むのはかわいそうだ」(P.192)。

これを読んで思った。
友人と起業してはいけない、ということを改めて思った。
会社と友人を一気に失ってしまう。

私にとって、会社はたんに仕事をするだけの場ではなkった。
人生を共有する場であり、生きていく場であるような気がしていた。
そして何より、自分はこう考えている、こう生きている、という想いを表現する場だった。
会社を通じて社会に発信することが何より大事だったのだ。
それは、社会に常識に対する挑戦だったり、福利厚生が充実した理想の会社というメッセージだったりした。
ひと言で言えば、安田佳生という生き方そのものを表現する場だったのだ。
しかし、それだけでは会社は成り立たない。
会社というのは仕事をする場である。利益を上げていくことが、会社が存続するために前提条件なのだ。
その優先順位を見誤っていた
(P.196)。

結果的に多くの人たちに迷惑をかけ、本当に申し訳なかったと思っている。
とくに民事再生に巻き込んでしまったクリエイターさんや取引業者さん、そして私の人生に巻き込んでしまった多くの社員に対して、謝りたい。
すみませんでした。
もうこのような会社をつくることはありません(P.205)。