計画と無計画のあいだ

読後の感想
自由が丘にある小さな出版社ミシマ社の立ち上げ日記。
文面からヒシヒシと伝わる熱さ、情熱。
起業っていいことばかりじゃないけど、いいことが大きいな。
熱い人の周りには熱い人が集まるのだな。

大阪の紀伊国屋書店に営業に行き、お店の百々さんと若手書店員数人(ガッツ軍団)の方と居酒屋でのお話。

宴もたけなわを迎えた頃、突然、百々さんがガッツ軍団に向けて口を開いた。場がいっきに静まり返った。
「みんな、三島くんは言わへんけど、たぶん、いまめっちゃお金ないと思うねん。会社つくったとこで、絶対厳しいはずやねん。それでも、ワタナベ君連れて、高い交通費出して大阪まで来てくれはったんや。わかるか、この意味。みんな、絶対売らなあかんで。『街場の中国論』、絶対売ろな」
「はい!」
その場にいたメンバー全員が、口々に「ミシマ社の本、売りますよ」と明るく言ってくださった。
涙が出そうだった。いや、出てたかな。
目頭がぐっと熱くなるのを抑え、そのとき固く心に誓った。
絶対に絶対に、いい本にする。そして応援してよかったと思ってもらえる出版社にするんだ(P.100)。

印象的なくだり

出版社にかかわらずベンチャーならどこにも当てはまること。

ある程度の規模の会社だと、最低限「自分の仕事」だけこなしていれば許されるかもしれない。けれど、ベンチャーには「自分の仕事」など存在しない。世間では雑用といわれるものもふくめ、「全部」が自分の仕事になってくる。いってみれば、仕事は無限だ。代わってくれる人がいないのだから。休みもあってないようなもの。当たり前だけど大手と違って休日に休んでいたら、絶対に会社は回らない。ベンチャーで働くということは、日々を緊張態勢で望むということでもある。そして、それはものすごく忙しくて大変なことともいえるが、そう思わない人だけがベンチャーで働くのに向いている(P.075)。

働けど働けど(以下略)じっと手を見る。

何に対して自覚的であるべきかといえば、いま自分たちが精を出してやっている活動は、「かつて」よくできたシステムに乗っかってのものであるということに対して、である。あくまでも、現在乗っかっているシステムは、延命措置でしかない。そして、おそろしいことに、ぼくたちはそのシステムの上で、がんばればがんばるほど、「延命」に加担している。望むと望まざるとにかかわらず。それは、グローバル資本主義社会において、先進国に住む人たちが「豊かさ」を享受するとき、知らず知らずのうちに途上国から「搾取」している、その構図と大差ないのかもしれない(P.097)。

自戒の意を込めて

仕事がどんなに「面白い」ものであっても(面白いものであればあるほど、無我夢中になってやるので、効率は当然、がくっと落ちるものです)(P.200)。