『困ってるひと』

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『困ってるひと』
大野更紗

読後の感想
この本を読んで、「困る」って相対的な概念だな、と強く感じました。
この人に困った具合からすると自分の状況ってまだまだ「困った」状態ではないな、とも思えました(少し不便なだけ、みたいなね)
著者は、筋膜炎脂肪織炎症候群という長い名前の難病と皮膚筋炎という
難病も併発している二十六歳の女性。

発症する前まではごく普通のというか、むしろ活動的な部類に入る大学院生だったという。
いや「あの」安積女子の合唱部にいたなんてことは相当気合が入った人のはず(その筋の分かる人には分かるアレ)。
そんな人が難民問題に取り組んだりなどと、困っている人を助けている間に自分が困っている人になっちゃった、とのこと。
割と軽薄な文体なので、いまいち感じにくいかもしれませんが、時折挟む切ない心理描写は相当キます

検査入院した(おそらく相当末期の患者を扱う病棟に入ったときは、

わたし以外の入院患者さんは、全員、寝たきりか、電動車いすだった。多くのひとが、ほぼずっと、ずっと、たぶん、ずっと、この病棟しか、行き場のないひとたちだった。住民票がここにある患者さんも、いた。小さな男の子も、いた。わたしはその子を、最後までまっすぐ見られなかった。病棟に足を踏み入れたわたしは、ひたすら、ただ、笑顔をつくって、向けた。
ただ、心拍数のモニター音と、呼吸をしている音が、常にドアが開け放たれた各病室から聞こえる。廊下を歩くと、ふと、ベッドに横たわっている患者さんと目線が合う。どんな、どんな、気持ちですか。何を、考えて、いますか。
わたしが入った四人部屋の病室には、夜になると、わたし以外の患者さんのために簡易トイレが運び込まれ、全員に心電図のモニターが付けられる。病棟内はどこもかしこも、すごい音と、においが、した。朝も、夜も、途切れることなく、ずっと(P.090)。

とはかなげな文体になるなど、文体は割と意識的に変えているのだろうなと感じました。頭いい。
ただ、若干しつこいくらいに「女子」「女子」した内容が続くので、いわゆるぶりっこ系が苦手な人はちょっとつらいかもしれせんね。僕?ちょっと苦手かも・・・

実は、書評を読んだ後は「いつか読めたらいいな」くらいの気持ちしかなかったのですが、ふとした瞬間に手に入れたら、最後まで一気に読んでしまいました。この引きつける力はすごい。

それにしても、タイトルに偽り無しの困っている人、自分もいつか困る側になる前に読むことができて本当に良かったです。特に「おおっ」と強く感じたのがこのくだり。

難民の友人たち、彼らはみんな、自らがおかれた境遇というものをよく理解していた。わたしになけなしの食材でごはんをごちそうしてくれることはあっても、わたしに何か過度に期待したり、求めたりすることは、一度もなかった。
じゃあキャンプの中で、ビルマ難民が頼っていたものをは何だったっけ、と、記憶をよみがえらせてみる。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の援助米。NGOの急ごしらえの病院。IMO(国際移住機関)のバスに乗り、外の世界へ出られない難民キャンプから公的に脱出する唯一の方法である。第三国定住プログラムで欧米へ出国していく姿が、脳裏をよぎった。
つまりそれって。「国家」。「社会」。「制度」。特定の誰かではなく、システムそのもの。
ひとが、最終的に頼れるもの。それは「社会」の公的な制度しかないんだ。わたしは、「社会」と向き合うしかない。わたし自身が、「社会」と格闘して生存していく術を切り開くしかない。難病女子はその事実にただ愕然とした(P.213)。

そうか、仕組みがないのか。つまるところ、健康な人が中心に回っている国ということなのかな。
それは想像力の欠如かもしれないし、そもそもそんな人がいるなんて思いつきもしないのかもしれない。
ある意味、教育課程で異質なものは「穢れ」として排除されちゃうから、大人になるまで(いや大人になっても)気付くことなくきてしまうのかなぁ。

しかし、一気に読ませる力に比べてこの読後感はなんだろう。
ちょっとだけ感情移入が勝る僕の心には若干痛みが残りすぎたきらいがあります。
どきどきしながら著者の現況はどうなんだろうとか、少しそわそわして、検索したらお元気な様子でホッ(よかった

印象的なくだり

研究する国に正規で入れないなんて、地域研究者として致命的?はっはー、何をおっしゃる。泣く子も黙る『想像の共同体』著者、ベネディクト・アンダーソン大先生だって、二十七年間インドネシアに入国できなかったのだ(P016)。

予定調和どおり、地元の中学校からただひとり、一等の優等生が行く県立女子高校へ入学したわたしは、高校生活三年間をひたすら、とある名門合唱部の活動に費やした。
この部活動は、ハンパない。毎日四時に起き、パパママに車で最寄りの駅まで送ってもらい、一両しかないディーゼルエンジンのローカル線、始発に揺られて四十分。駅に着くと、朝方の市街地を三十分歩き、七時前には朝練が始まる。昼休みも昼練。放課後も夜まで練習。その後勉強などし、平日帰宅するのは、夜の十一時ごろだった。この生活が、高校三年生の十月末まで続いた。まったく、パパママもよく送り迎えに付き合ったものである。
三年間ずっと、ほとんどすべての全国大会で一等賞であった。甲子園の強豪とかいるレベルの話ではない。一位が「当たり前」であることを要求された。
部活内の規律は厳しく、どこぞの将軍様のマスゲームも真っ青である(これは当時の話であり、現在はもっとリラックスした雰囲気で若人が頑張っている)。想像してほしい。百人の、古めかしい紺色のロングスカート、いまどきどこで買えるのかわからない白いソックス、黒いローファー、全員マスク着用、一言も発さない無言の女学生の隊列を。全国をコンクールで行脚するその姿は、行く先々で戦慄を与えたに違いない。なんたって部内のごあいさつは、四六時中「おはようございます」なのである。芸能界か(P039)。

すげーよ、こわいよ(同じ合唱部出身者として

パパ先生にもクマ先生にも、「情報過多の傾向」「妄想が激しい」
「あまりネットやブログなど見るな、悪いようにしか書いてないんだから」と何度も言われたが、わたしは調べに調べ上げたうえでないと、治療も薬も恐ろしくて受け入れられないタイプなのだ。妄想が激しく、思い立ったら一直線なのは性分であるので、仕方がない。
「知らぬが仏」というひともいるだろうし、自分の身体のことなのだからできるかぎり情報を事前に得たいと思うひともいるだろう。欧米の病院などでは、入院患者が自由に使えるパソコンやインターネットが常備されているところも多いと聞く。患者が基本的な医学的リテラシーを学習できる施設や、図書館などが設置されている病院もあるようだ。
妄想が激しい現代っ子の女子患者としては、コソコソと自力でネットをつなげて、わけのわからない情報にふらふらさせられるよりも、はじめから患者がより正確な情報にアクセスできる環境をきちんと整えたほうが、医学的見地からも合理的であると思うのだが(P.082)。

トーキョー都会暮らしのシティボーイ・シティガールにはなかなか実感として想像しにくいと思うが、東北山間部での暮らしというのは、相当な体力・根性が必要とされる。
じっち、ばっぱらの九十度直角に曲がった腰、手ぬぐいモンペ姿は、戦中、戦後の日本の農村部を支え、生き抜いてきた証。シャネルにもヴィトンにも勝る、まこと賞賛すべきナイスルックなのだ。
そこは、ポッカの自動販売機が一台あるかどうかの世界だ。近くに医者がいない、病院がないことなど当たり前すぎて、指摘されないとそれが問題であることすら感じない。新聞は、朝刊が午後四時に届くのだ。実質的に「夕刊」なので、「夕刊」は発行されていない(P.126)。

この環境で、夕刊の存在を知ったときの気持ちってどんなだろう?

どうでもいい話だが、長期入院しているひとにあげるお見舞いで喜ばれるのは、パンツや下着、楽に着れる服、洗剤などのこまごました日用品、それから百円玉だと思う。
たいていの病院は病棟内に洗濯機と乾燥機が設置されているものだが、この洗濯に使う百円玉の消費量がバカにならない。両替しようにも、なかなか外に出るわけにもいかない(P.263)。