『希望格差社会』

希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く
筑摩書房
山田昌弘

読後の感想
この本を読んで現状に危機感を抱かない若者はいないだろう。緻密なデータと仮説を元にした現時点での現象のせつめいは非常に説得力があり、また怖い。
自分は将来への希望だけでは生きられず、現状への適度な絶望も必要だと思うけどなぁ。

印象的なくだり
もう一つのキーワード、「二極化」とは、戦後縮小に向かっていた様々な格差が、拡大に向かうことをいう。
戦後日本社会は、「中流社会」と言われるように、多くの人が「中流」の意識をもち、大きな格差を感じることなく生活することができた(P013)。

「質的」とは、個人の通常の努力では乗り越えることが不可能な差という意味で使用する(P014)。

人々は一度味わった豊かさや自由を捨てることはできない。
その豊かさを維持するために行う行動、そして、人々の自由な行動が、リスク化や二極化をもたらす原因だからである(P020)。

更に悪いことに、希望の消滅は、すべての人々を一様に見舞うわけではない。
中には、もちろん、将来に希望をもって生活できる人もいる。
それは、生まれつき高い能力や資産をもっていて、経済構造変換後のニューエコノミーのなかで、より大きな成功を得られそうな人々である。
その一方で、平凡な能力とさしたる資産をもたない多くの人々は、自己責任という名のもとの自由競争を強いられ、その結果、いまと同様の生活を維持するのも不安な状況におかれることになるだろう。
つまり、ここに経済格差よりも深刻な、希望の格差が生じるのだ(P021)。

ここでは、リスクを「何かを選択する時に、生起する可能性がある危険」という意味で使いたい。例えば、原子爆弾はデンジャーだが、原子力発電はリスクである(P026)。

近代社会になると、職業選択の自由が認められ、親の職を継ぐ必要はなくなる。
職業の選択の幅が広がり、誰でも自分で選んだ職に就く可能性が生じる。
しかし、それは誰でも自分が選んだ職に就けるということを保証するものではない。
むしろ、職の方から選ばれない確率も高いのだ(P031)。

親の決めた相手と結婚しなくともよい自由が与えられ、不本意な相手と結婚生活を続ける必然性はなくなる。
しかし、好きな人と結婚できる自由があったとしても、好きな人と結婚できる保証はない。
自分がよくても、相手にNOと言われるケースがでてくる。
こちらが離婚したくなくても、相手から離婚を言い出されるケースも出てくる。つまり、結婚の自由化は結婚できないリスクを作りだし、離婚の自由化は相手から離婚されるリスクを作り出すのである(P032)。

弱者がまとまることが難しくなる
(中略)つまり、「弱者に転落するかもしれない」という意識だけでは、連帯することは不可能である。
なぜなら、多くの人は「弱者に転落しなくて済む」と思っていて、実際に転落しない人がいるからである(P045)。

保険会社が倒産して保険金がもらえないのは、危ない会社を選んだ個人の責任であるというように、保険というリスクヘッジに伴うリスクの危険までもとらされるのである(P046)。

所得の不平等度を著すジニ係数(P060)。

「努力が報われると感じること」が、希望という感情をもたらす(P089)。

選ぶ自由があるからといって、望む選択肢が実現するとは限らない。若者に関しては、不安定な職を「選ばざるを得ない」状況に追い込まれている。
若者の意識変化は、そのような状況に適応した結果生じたのであって、その逆ではないことを強調しておきたい。
若者の心理的安定、そして、自己正当化のためには、「好きでやっている」という言い訳が必要となるのである。これも、日本だけでなく、他の先進国でも、なかなか得られない「自分らしさ」を求める若者の意識として指摘されている現象なのである
(P101)。

いつかは受かるといって公務員試験を受け続けても、三〇歳を過ぎれば年齢制限に引っかかる。どうせ正社員として雇ってくれないからと就職をあきらめ、単純作業のアルバイトをいしていた高卒者は、仕事経験や能力が身に付かないまま、歳だけとり続ける。よい結婚相手に巡り会えないからと結婚を先延ばしにしていた女性は、四〇過ぎれば見合いの口もかからなくなる。当の若者は、考えると暗くなるから考えない。若者自身が不良債権と化すのだ。
そして、いずれ、生活を支えていた親が弱ったり亡くなったりする。歳をとれば、アルバイトの口もかからなくなる。そして、結婚や子どもを作ることなく、高齢を迎える元フリーターの中年男性、女性が一〇〇万人規模で存在する社会はどのようなものになるだろうか。彼らは、自分自身の生活を自分で支えられるのだろうか。生活が破綻する人が増え、その結果、社会福祉費が増大する。何より、年金掛け金や税金を納めず、子どもも育てない中高年者が増えれば、それだけ、まともに働いている人やきちんと子育てをしている人にしわ寄せが来るはずである。社会全体の不良債権と化することは目に見えている。彼らに年金の掛け金を納めろと説得することは、不可能である。明日の生活に不安な人は、六五歳になってからの生活など心配できるはずはない(P125ー126)。

独身保険や離婚保険などできるはずもない。離婚を予測して準備をすること自体が、離婚を誘発する危険性があるのだ(相手から不審の目で見られる)。せいぜい、一人で生活できるよう仕事能力、家事能力を付ける位しか対策はない(P143)。

ちなみに、スウェーデンでは、自殺では保険金がおりないので、不況と自殺率には相関関係がない(P155)。

学校教育システムは、ただ、子どもに知識を与えるだけの機関ではない。社会・経済システム全体の中にあって、教育される子(とその親)、そして、社会にとって、重要な役割を担っている。
教育は、子ども(とその親)にとっては、何より「階層上昇(もしくは維持)の手段」であり、社会にとっては「職業配分の道具」なのである。この二つの機能が危機に瀕していることが、現在の教育問題の根幹にある。
そして、この視点から教育を考えることは、主流の教育学者、教育関係者(教師や旧文部省など)、教育評論家、一部マスコミにとっては、たいへん嫌われる。従来の教育界主流の考え方では、教育の目的は、人格の完成とか、学ぶこと自体が楽しいとか、文化の伝達などで「あるべき」であって、投資とか金銭的リターンなど「経済的利益」、ましてや「社会的効率」の視点から教育を考えることは良くないことであるという意見が強かった(P159)。

教育は、「手段」なのであって、それ自体が目的ではないことを肝に銘じるべきである。何事も、それをすること自体が目的になってしまうと、一種の「宗教」となってしまうのだ。そして、教育の自己目的化をあおるマスコミの論調が、教育改革を阻んでいる一つの要因なのだ(P160)。

つまり、この学校に入りさえすれば、ある職業に就けるという確実性がなくなったが、学校に入らなければ、確実性どころか、可能性さえないという状況である。青少年は、教育課程において、パイプラインに入り、リスクを取ることを強要されるのである。これが、教育システム版のリスクの普遍化である(P173)。

学力低下は、決して教師の教え方が著しく下手になったせいではなく(高度成長期も上手とは言えなかった)、親が勉強させないためでもなく、受験の詰め込みのせいでもない。学校で勉強しても就職に結びつかない、つまり「勉強しても仕方がない」という事実が厳然と姿を現しているからである(P186)。

社会心理学者ランドフル・ネッセの希望論を手がかりにして、現代日本の若者意識を分析してみたい。彼は、希望(hope)という感情は、努力が報われるという見通しがある時に生じ、絶望は、努力してもしなくても同じとしか思えない時に生じると述べている。努力を、「苦労」や「つらさに耐えること」と置き換えてもあてはまるし、報われることは、経済的利益を得るだけではなく、自分が行った努力が社会から評価される(将来でも、現在でもよい)と信じることである。
人間は、何の苦労もない楽な状態で満足する生き物ではない。楽であっても物足りなく不幸を感じることもあれば、苦労があっても、それが生きる活力になって幸せを感じるときもある。ジャン=ポール・サルトルは、パリ市民が最も生き生きしていたのは、第二次世界大戦のナチスドイツの占領下だったという。将来の解放を信じて、レジスタンスという苦労を重ねることが、人々の喜びであったのだ(P194)。

中国が、「社会主義」という看板を捨てられないのは、革命によって前近代的宗教を破壊した後に、社会主義を放棄すれば、貧しい人々に心理的救いがなくなってしまうことに指導者たちが気づいているからなのだ。ソ連が崩壊した後、ロシアをはじめとした旧ソ連構成国は、宗教や民族を基盤とした数々のテロに悩まされているではないか(P198)。

もうこの世で報われないという絶望間に陥ると、他人の幸福がうらやましくなる。精神科医の和田秀樹氏の言う「エンビー型」の嫉妬心が生まれる。他人が幸福であるとき、自分も努力して幸福になろうと思うのが、「ジェラシー型」の嫉妬であり、和田氏は高度成長期にはそれが典型的だったと主張する。一方、他人が自分と同じ不幸になることを願う気持ちを「エンビー型」と呼んで、このタイプの嫉妬が近年増えていると述べている(和田「幸せになる嫉妬 不幸になる嫉妬」)。目的合理的ではい犯罪は、この「エンビー型」嫉妬を原動力ひきおこされる。つまり、「不幸の道連れ」なのである。人生を捨てている人に怖いものはない(P209)。

現行制度のもとでは、不動産を相続していれば、生活保護など社会的サポートは受けられない。一方、中高年になったフリーターは、アルバイトでさえも雇ってもらえなくなる。リスクを先送りしているうちに、深刻なリスクに陥る元若者が増える。
彼らの絶望感は、いま以上に深刻になるだろう。その先には、アディクションにふけるものや自暴自棄になる者も増え、中には「不幸の道連れ型」の犯罪に走る者もでてくるだろう(P221)。

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