『女は男のそれをなぜセクハラと呼ぶか』

『女は男のそれをなぜセクハラと呼ぶか』
角川書店
山田秀雄

読後の感想
結論としてよくわかりません。たくさんのケースを挙げての結論としては、人によって異なるということでしょうか。

印象的なくだり
(前略)、ビートたけしが「名言」を吐いている。
「そうなんだよ。おいらが自分の映画に出ている女優やタレントと、慰労でもしてやろうかと食事をしてお酒を呑んでいるうちに、いい雰囲気になるってことはあるんだよ。でも、あとで、たけしが絶対的な力を持っていたので、彼の言葉に逆らえませんでした、と言われたら、そりゃあ、もう弁明はできないよね」(P017)。

一人の人間が社会的に成功できるかどうかは、相手の気持ちを正確に「読める」ことが重要なポイントである(P084)。

セクハラや強姦といった男女のあいだで起こる事件では、実体がまったくないということはほとんどないと思う。つまり、なんらかの関係があったものが、それを「合意」があったかどうかという点で争われることになる。
ただ、一度事件性を帯びてしまうと、実体があったか、なかったかを荒そう前に、社会的な制裁を受ける結果、地位が高い者の犠牲は大きくなる(P108)。

いきなりの内容証明。セクハラで訴えられたことのショック。ここでほとんどの人は、プライドを傷つけられ、憤慨し、封書を最初から来なかったもののように扱ってしまう。すなわち無視してしまう。
「乞う、連絡」の四文字を無視さえすれば、相手も起こったことを忘れてしまうとでもいうように、人間の心理としてわからないではない。自分に不都合なことはできれば忘れてしまいたい。起こらなかったことにしてしまいたい。相手がことを大げさに取ってしまったことを憤慨することで、プライドを保とうとする(P155)。