『セーラが町にやってきた』

『セーラが町にやってきた』
プレジデント社
清野由美

読後の感想
セーラの影響で長野県小布施町の街づくりがどのように変わっていくのか変遷の様子が分かりやすく読み物として面白く読めました。古い考え方が変化するきっかけは外的なものでしたが、本書のセーラの場合のように、正に外から内に入り込み、内部から変わっていく様子は読んでいて心地よく、非常に上手に成功した好例だと感じました。本物を追及する姿勢には激しく共感しました。

印象的なくだり
目指す相手が留守だとわかると、今度は「何時に帰っていらっしゃりますか」。何時になるかわからないと言われたら、次は「ではどちらに電話をかければお話できますか」「どこに出向けばお会いできますか」。とにかくアポを取る相手と最短、かつ直接に話ができるまで、意志疎通の困難をモノともしないし、自分の立場、用件を繰り返すこともまるでいとわない(P066)。

(前略)、もてなしの返礼として、アン王女が日本側に贈ったのは長野オリンピックを記念して英国が制作した騎士の刀剣である。ヨーロッパでは剣をやり取りする時には、それで両者の縁を切らぬよう、剣を贈られた側がコインを差し出す習慣があるという。そこで、日本側の代表として市村次夫がその剣を賜った際には、コインの代わりに市村家に伝わる江戸時代の古銭を用意した(P073)。

結局、本物とはこだわりだけでなく、長い目で見ると採算面でも”お得”なのだ(P102)。

理不尽だと思った時は、怒るのがいい。悲しみは人を立ち止まらせるが、怒りは前進をうながす(P132)。

セーラにとって桝一の「商品」とは、陳列棚に並んだ酒だけではなく、店の歴史、空間、そこで働く自分たち全部を指すのであった(P142)。
「たとえば今、日本から自動車メーカーが一社くらいなくなっても、ほかのメーカーがさまざまな車を出しているのだから、消費者はさして困らないでしょう。同じように、小布施の町から小布施堂がなくなっても、消費者は困らない。メーカーが作り出すモノは日本ではもはや飽和状態で、クールに考えれば企業は代替がいくらでもある。じゃあ、そんな時代に社長は何ができるか。それを考えると、会社に「存在感」があるという付加価値を与え、そこを高めていくこと、という新しい基準に行き着くんです。「あの会社があると世の中が明るくなる」「楽しくなる」。表現は簡単ですが、人々にそう思われ、語られることが、二十一世紀には、企業の大きな存在理由になっていくはずです」(P150-151)

「ア・ラ・小布施」企画部長の関悦子は、自身も「小布施国際音楽祭」などのイベントに携わる身だ。その経験から出る言葉は、「おもしろそうな企画を立てることは、本当は誰にでもできる。肝心なのは行動力、気力、体力、経済力、そして忍耐力。この五つが揃って、やっとイベントは実現する」(P204)。