『若者はなぜ「決められない」か』

『若者はなぜ「決められない」か』
筑摩書房
長山靖生

読後の感想
若者というか正確にはフリーターについて書かれたものです。
簡潔に要約すると、一般に「選択する」の前提にくるのはまず、選択肢を認識していることと、締切が必要になります。ところが、まず若者は自分の現状を認識していない、そして、パラサイト・シングル化して締切がない、加えてダラダラフリーターをしていても、しばらくはなんとかなってしまう、というものでした。
これらの内容は一面としては正しいのかのしれませんが、やや決め付けすぎるきらいが見受けられ、厳しすぎるなぁと感じました。
大東亜戦争時代の若者と現在の若者との共通項を探り、つまりは、おじさんだって昔は若者だったのだ、とのくくりは自分にとって斬新でした。
それにしても、夏目漱石から山田昌弘まで引用の幅が広い文章です。読者に一定の知性を要求する書き手。

印象的なくだり
ある若い人に、どうしてあなたはそういう生き方を選んだのか、と聞かれたことがあった。
とっさのことで、私は「分からない」と答えた。それが正直な言葉だった。だが、それだけでは不十分なのも事実だ。
「分からない」というのは、まだ結論が出ていないという意味なのであって、決して問いに答えを出す努力を放棄したわけではない。
私にとって、「分からない」という答えは、「答えを出すべき問題を抱えている」ということだ。
そして「分からない」に至る過程には多くの混乱と思考がある。
逆に、思考停止または思考放棄を表すのが、安易に「信じる」態度とか、「信じられない」という言葉だ(P014)。

(前略)、友人であれ家族であれ、あなたが困っているときに、あなたが望むような援助の手を差し伸べてくれなかったとしても、「信じていたのに」という言葉だけは発してはならない。
もしその言葉が出かかったら、あなたは今の自分が、信じていた相手に、そんな信じられないことをせざるを得ないような負担をかけているのだと自覚すべきだ
(P031)。

繰り返すが、会社は労働の場である。決して仲良しクラブではない。
会社人間は、会社に見も心も捧げているように見えて、その実、給料のほかに、あらゆる満足まで会社から引き出そうとしているかのようだ。
若者の「会社離れ」は、そのような「会社人間」の上司に、私的に搾取されたくないという気持ちを反映している。
そして若者はまた、自分も正社員になり、会社が自分の全世界になってしまうと、いつか自分も会社人間になってしまうのではないか、という危機感を抱いているのだ。
だが、「会社に頼らない生き方をする」ということと「正社員にならずフリーターでいる」ということは、実際には無関係な、別次元の問題である。
この二つの混同が、無思慮によるのでないとすれば、そこには自己逃避の欺瞞が潜んでいる(P055-056)。

現在、われわれが天職というとき、それが他者のために選ぶ職、他人に奉仕する職という意識は希薄である。
天職はあくまで、自分自身のためのものであると感じている。
だが、「自分が自分の生き甲斐としてやることに、他人が金を出してくれる」というのは、かなり虫のいい話しではあるまいか。
これほど消費者を無視し、馬鹿にした態度もない
(P113)。

(前略)私は、今、とても恐ろしい事態を空想している。
それは今時の親世代にとっては、子供がフリーターをし、パラサイト・シングルになっているのを許すことが、親である自分自身の最後のプライドになっているのではないか、と(P118)。

漱石が講演「文芸と道徳」(一九一一)のなかで「昔の道徳すなわち忠とか孝とか貞とかいう字を吟味してみると、当時の社会制度にあって絶対の権利を有しておった片方にのみ非常に都合のよいような義務の負担に過ぎないのであります」と述べている。
そしてその都合のいい側に与した人間は、忠だの孝だの貞だのを言い訳にして、巧みに自己の保身を図り、利を貪ることにもなる(P148)。

昔は、話の合う友人をなかなか見つけられなくて苦労したが、思えば価値観のずれた同士でなんとか会話を成立させようと努力していたことが、私が曲がりなりにも文章を書くためには役立ったのだと、今にして思う。
ネットは孤独な人間の救いにはなるかもしれない。だが、かえって自分の価値観のなかへひきこもるのを助長する要素もあるのかもしれない
(P190)。

調べる作業が容易になった分、知識は記憶するのではなく、すぐ他人に聞くなり検索すればいいという風潮が強まった。
他人によって処理された情報を得ることは、自分で考える要素を少なくする。
それと気付かずに他人の解釈に従属してしまっていることでもある。それはつまり「私」を希薄化させるという副作用があるのではないか(P192)。

事実を認めることに価値があるのは、その認識が現状を克服する出発点となる場合だけだ(P204)。

過去に読んだ同じ著者の本
『不勉強が身にしみる 学力・思考力・社会力とは何か』 感想はこちら